紀行エッセイ「バスターミナル」
第五章 悠久の緑に生きる血
 
第一話 牧童のいた国
@    
 べ物が高い国に増して、食べ物が安い国には貧富の差がはっきり表れる。
 比較的貧しいエクアドル、ペルー、ボリビアを旅したあとで比較的発展しているチリ、アル ゼンチンを訪れ、ボクはそう感じていた。
 
 ところで、ウルグアイの物価は予想していたよりも安かった。旅人たちが書き残した情報ノ ートや、旅行ガイドの情報には、1ドルあたりの相場は13ウルグアイペソと書いてあったの に、いざ両替してみると28ウルグアイペソである。最近、また乱高下したようだ。
 
 アルゼンチンのお金持ちがウルグアイによく別荘を建てるそうだ。なるほど、いざ港町コロ ニアに降り立ってみれば、色調豊かな街並みが続く。ケバケバしさはなく、ナチュラルでハイ センスな色遣い。石畳や白壁をキャンバスにし、軒先に植えられた花やレトロな自動車がポ ートレートのように目に映った。

 ホテルなどはやたらに安いが食べ物だけはなぜか高かった。例えば1泊の宿代がダブル で1人あたり3ドル、いっぽう地元の食堂では1食2ドル程度。いままでの傾向から考えると 1泊は4食くらいに相当するはずなのに、ここでは1泊が1.5食くらいだ。
 
 生活しにくい国なのだろうか、と思いつつ町を歩けば、日中の通りはいたって穏やかな雰 囲気である。どこかの国のように、人間がボロキレのようにごろごろと転がってはいないよう だ。…というよりはそもそも人があまりに少なかった。
 A   
 首都モンテビデオのバスターミナルにうろついている外国人は、ボクとダイキのほかイタリ ア青年の2人組くらいなもんだ。人気観光地のコロニア港ならブエノスアイレスから近いし日 帰りで観光できることもあいまっていくぶん活気がある。しかし、モンテビデオともなると「ウ ルグアイを旅したい」というモチベーション以外に旅人を引き寄せるモノはない。
 
 「ん…、イタリア青年?」と記憶を巡らせているうちにダイキが彼らと談笑し始めた。
 
 「あー、彼らとはね、エルカラファテで会ったんだよ。顔みしり、顔みしり。」
 「え、あそうなんですか?ほっほー、これまた偶然…。」
 
 そう、2人組とはボクもバリロチェのユースホステルで出会っている。ドミトリーで相部屋をし ていたイタリア3人組のうちの2人だ。スペイン語はおろか、英語すらしゃべれない青年たち である。ダイキが何語で談笑しているかと聞き耳を立ててみたら…、日本語で談笑してい た。
 
 「あいつら何言っているかわっかんねーよー、はは。」
 「………。」
 
 世界は狭い、というより旅行者のゆく道程なんて、みんな似たり寄ったりなのかなと思う。 目的、方向、立場を同じくするならば、いつかまた巡り合うというのは、旅に限らずよく耳にす る話だ。
  B  
 ダイキとともに町を散策するため、宿を出ようとしたときだ。背後から凄みの利いた声がし た。ものすごい悪人ヅラをしたオヤジがホテルのレセプションからボクたちを眼力で招く。カウ ンターに近付くとにやりと笑った。オヤジは肩をナナメに傾けながら片手で市街地マップを目 の前に置くとおもむろにピンク色のマーカーである区画をグルリと囲った。
 
 オヤジには右手がなかった。
 
 「小僧、いいか。この辺りには近付くな。もし港に行きたいなら大通りを回っていけ。いい な!?」
 
 オヤジはボクとダイキをギロリと睨みつけた。シワの刻まれたまぶたの奥から澄んだ瞳が 見えた。とつぜん「ぅおいっ!」と、オヤジは図太い声をうしろに荒げる。ほどなく階段から降り てきたのは、満面の笑顔でモップを握った、ちょっとウェーブがかったロングヘアーのファンキ ー青年だ。マリファナでもやっているのではないかと思えるくらいからっきしに明るい。
 
 「よーぅ、アミーゴス。元気か、Ha−ha?地図のココがホテルの玄関だ。そしてこの大通り が目の前のこの道。あと、カバンを持っていくのなら常に腕に抱え込むように歩けよ。じゃな っ!」
 
 見送りにわざわざ降りてきたようだ。さわやかな笑顔に白い歯を光らせながら、彼は軽快 なステップで掃除に戻っていった。
 
 とにもかくにもモンテビデオ、キレイな町並みに乾いたホコリが風に舞う。なんともさびれた 雰囲気だ。ひび割れた鉄筋コンクリート、温暖な気候なのに東南アジア的なナマ臭さはな い。ときおりカッポカポと、アスファルトの陥没を上手によけながら馬車がゆきかう。
 
 通貨の急激な下落。近代建築とインフラ。物価のバランス…。漁港でとった食事は1食5ド ルだ。地元の人はどこでご飯を食べているのだろうか。アルゼンチンの属国、ではないか。し かし、アルゼンチンとは明らかに違うところがある。その違いは、何だろうか。
 
 中央市場に足を運ぶと、スペースの割に営業している店舗が少ない。街でわずかにすれ 違う人はフラフラとして仕事をしているわけでもなさそうだ。圧倒的な人の少なさに気味が悪 くなる。アフリカ系の黒人はチラホラ見かけるが、インディヘナや華僑は見当たらない。

   C 
 「キャバクラ、行こうよ。」
 
 ダイキの提案だ。素っ頓狂に脈絡のない提案をするのもダイキらしいところ。聞くとどこかの 宿に置かれた情報ノートにモンテビデオでキャバクラ経営をしている日本人がいるという情報 があったらしい。ボクもダイキもその日本人への興味だけを握りしめ、お金も持たずに不気味 なくらい静かで暗い夜のモンテビデオを歩いた。
 
 お店に入ると外にも増して薄暗い。店の奥に女の子が数名いる気配があるけれど、店内に は客はほとんどみえない。オーナーに会いに来たと黒服に説明すると即座にVIPルームに 通されてしまったので、お店を見学することができなかったのが残念だ。日本人に日本人が 会いに来たというだけで了解されるらしい。
 
 ほどなくVIPルームにヨコタという男が入ってきた。そもそもキャバクラという商売をこの国に 持ち込んだのはこの人。ヨコタ氏は45年もウルグアイに住んでいる。水割りを飲みながら薄 暗い個室で話をするのは男3人だけだ。
 
 「かつて20、30年前までウルグアイペソとドルは1対1だったんだ。経済も順調で、モンテ ビデオの町並みはその頃に完成されたんだよ。いまは1ドル何ペソくらい?」
 「今回ボクたちが両替した時は1ドル28ペソでしたよ。」
 「あ、そう!?そんなに下がった。あー、そぅ…。」
    D
 急激に成長して急激に崩落した街並み。アルゼンチンとの違いは基盤がないということな のだろうか…。多くが波に乗ってやってきた。そして、もっと多くが波にさらわれて行ったのだ ろうか?
 
 ボクが目にしているウルグアイの状態を、夢の跡と思うのは独りよがり。淋しいとか思うの も独りよがり。独りよがりは大いに結構だけど、それをあたかも一般論のように思いこむのは 好きじゃない。でも、寂寥感が素直なボクの気持ちだった。
 
 ホテルに帰ると悪人ヅラのレセプションオヤジがウィンクした。「楽しんできたか、若ぇの?」 なんて目つきをする。ボクはすれ違いざま、ウィンクを返しておいた。
 
 タンゴはアルゼンチンじゃなくてウルグアイが発祥だと言い張る人々。のらりくらりしながら 経済のはざまで、その時を生きる人々。キザったらしくない素朴な人々。サッカーによる世界 への主張。

 いまのウルグアイの雰囲気は嫌いじゃない。風化しつつある重工業化の夢のあとさき、ふ わっとしてとらえどころのない牧畜国家のにおいが、ホコリ風に乗って旅人の裸の肌をなぜく っていった。
第一話 牧童のいた国@
 
 
 
 
 
情報ノート…個人旅行者の集まる安宿に設置されてい る宿帳で、旅行者が情報を寄せたり連絡先を残したりす る。
ペソ…ウルグアイの通貨で1ペソは約3.5円。アルゼン チン経済の暴落と同じく経済破綻したため、貨幣価値が 著しく下がった。
コロニア…アルゼンチン首都ブエノスアイレスからラプラ タ河口を挟んだ美しい港町で、日帰りクルーズなどが人 気の観光地。
 
 
 
 
 
 
 
今までの傾向…発展途上国をバックパッカー旅行した 場合の傾向。
 
 
 
 
第一話 牧童のいた国A
モンテビデオ…高度成長期に建てられた超高層ビルが 立ち並ぶものの、改修や手入れはあまり行われていな い。見どころも特にない。
ダイキ…南米最南端ウシュアイアで出会い、ブエノスア イレスで再会したマイペースな25歳の青年。ウルグア イまで道連れになることにした。第四章第三、六話参 照。
 
 
 
バリロチェ…アルゼンチン中部の景勝地。ここの欧州系 ユースホステルで相部屋をしたイタリア青年3人組は英 語もスペイン語も一切喋れず、コミュニケーションが取れ なかった。第四章第二話参照。
ドミトリー…安宿の部屋のタイプ。大部屋に数人が相部 屋をする。基本的に自分のテリトリーはベッドのみ。
 
 
 
 
第一話 牧童のいた国B
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マリファナ…乾燥大麻。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
インディヘナ…アンデスの山岳地帯に古くから住む原住 民。大航海時代に航海士が南米大陸をインドと勘違い したため、インディアンと呼ばれた。
華僑…世界に散らばる準能力のきわめて強い中国系 の商売人。
 
 
 
 
 
 第一話 牧童のいた国C
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 牧童のいた国D
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 体験パラグアイ
@    
 が、グダグダのアスファルトの切れ目のぬかるんだ赤土にところせましと育つ。
 泥くさい。というより臭い。そしてどこからともなく食べ物の匂いがした。
 
 公共の建物はどれも西洋建築だ。だけど、風化が進んでズタボロである。開かずの窓か、 ガラスがないかのどっちかである。この辺りはウルグアイと同じ具合なのだけれど、大きな違 いが1つ、人が多いのだ。ウルグアイと同じ「グアイ」なのだけれど、まったく違った。
 
 路上ではうす汚れた格好のオヤジたちが、まっぴるまからドラム缶テーブルを囲みゲーム に興じる。ハダシの少年が靴墨とブラシを片手に、穴だらけのスニーカーを履いたボクじっと 見つめていた。やってきたのはパラグアイの首都アスンシオン。ここは、そんなところだ。バッ クパックを背負って呼吸をするたびに、熱気と湿気にむせかえりそうになる。
 
 バスターミナルに客引きはいない。タクシーが列を作って客待ちをしているくらいだ。首都に はこれといって見所がない。でも、ボクはすぐにこの国の魅力に取りつかれることになる。そ の魅力とはもちろん人々の多くが原住民系の有色人種であることや、豊かな土壌の青臭 さ、食べ物やゴミのナマ臭さによるものではない。決して経済的には豊かとはいえず、また 社会設備や仕事において充実しているともいえない。
 
 だけど、ここに住む人々の息遣いがまさに耳元で聞こえてくるくらい、街は活気に満ちあふ れているのだ。その活気に潜む混沌とした影は、ペルーの首都リマやボリビアの首都ラパス のようにあからさまには感じられない。むしろ、あけっぴろげという印象を受けた。
 
 「楽しい匂いがする…。」
 
 ふつふつと沸き起こり、抑えきれないこのワクワク感にボクは心躍りはじめていた。
 
 このアスンシオンには少なからず日系企業や日系官庁がある。そうしたジャパニーズビジ ネスマンが愛用するのが「ホテル内山田」という日系ホテルだ。パラグアイにありながらも設 備は日本のビジネスホテル並みに充実している。驚くなかれ「氷」がなんとタダでもらえてし まうのだ。
 
 この氷には思わぬ使い道があった。
 
 バックパッカー向けに1泊10ドルの部屋も用意されていた。でもインターネットや朝食バイ キングがスーツ姿の日系サラリーマンに混じって活用できてしまう。このホテルを拠点にパラ グアイの匂いを存分に嗅いでおこう、とボクは息巻いた。
 A   
 ここにきて、荷物はすでにパンパンに膨れ上がっている。思えばお土産と称してくだらない ものをたくさん買ってきた。ショッピング自体は楽しいものだけれど、後ろめたさを正当化する ために「お土産」という言葉をよくまぁ使ってきたものだ。
 
 なかでも、もっとも邪魔になっていたのはマテ茶セットだった。バスターミナル、観光地、駅 などのどこに行っても、お湯の入った魔法ビンを持った人を見かけた。日本人のタバコに近い 頻度である。これはもう、いらない。パタゴニアも乗り切ったし、防寒具も送ってしまおう。
 
 郵便局に来たついでにエクアドルに充てて手紙を送った。10日間ホームステイさせてもら った学校の先生との約束で、訪れた国から必ず手紙を送ることになっていた。この約束は今 のところ破られていない。これで…、7通目。
 
 郵送料はしめて46ドルだ。食堂での1食が1ドルに満たないのだから、我ながら随分と思 いきった。身軽になると、暑さも楽になるものだ。バスターミナルのインフォメーションで聞い ていたスラム街まで足を延ばす。アスンシオンを流れるバヒア川沿いの一帯には、低所得層 が住んでいるのだ。
 
 もちろん、物見遊山の気分で立ち入りはしない。それに、命の保証もない。遠くからそのエ リアをのぞくだけなのだが…、その光景はボクにとって鮮烈なインパクトを与えるものだった …。

 「えーいっ!アハハハ…。」
 「ヒョゥッ、バササッ…。」
 
 れっきとした由緒正しい教科書どおりのスラム街では、全裸の子どもが路上に遊び、川か ら汚水臭い風が吹けば洗濯物がはためいた。ここ、南米大陸ではスラム街なんていくらも見 てきた。だけどここは一般街とスラム街の隔たりが、たった1本の小道だった。この道を5歩 またげば、一瞬にして世界が変わる。
 
 「おなじ人間が同じ街に住んでいるのに…。」
 
 センチメンタルな気分に浸るなんて、ボクにしては珍しい。しかし、ラインのない国で育った ぼくにとっては、まったく想像もできないくっきりとしたライン。目の前にこうまでアリアリと見 せつけられると、モヤモヤしたものがハッキリとひんむかれる気がして、やはり衝撃を受ける ものである。
  B  
 セントロを歩いていると、女性たちが、地べたに座り、カラフルなアクセサリーや小物入れな どを広げていた。おばちゃんたちは無愛想で、せっせと商品をこしらえていた。

 いままで南米大陸で見てきた原住民と明らかに人種の異なる人々であった。高山地帯の インディヘナより、こちらは少し肌の色が濃くて平べったい鼻が特徴的である。モンゴロイド系 とも、アフリカ系とも違う。
 
 街を歩いているとお土産物屋の軒先に、趣味の悪い等身大の木彫りの人形が飾られてい るのを見かけた。茶色のニスを塗ったくり、両手足に鉄製の枷をはめられていて、首を本物 の鎖でぐるぐる巻きにされて、…そしてコミカルに思えるくらいわかりやすい泣き顔をしてい た。
 
 その鼻の形は、さっき路上販売をしていたおばちゃんたちと同じように平べったい。
 
 ここからアマゾンにかけての一帯、グアラニー族という原住民が住んでいた。新大陸入植 時代に捕獲され、大勢が奴隷としてブラジルに強制連行されたという。入植者にとって、彼ら は人間ではなかった。
 
 首に鎖が巻かれていた…、けれど顔を見れば「ボクらはとても悲しかったんだよ」と訴える。 泣いているのだ、その木彫りの人形は。コミカルなくらいわかりやすい泣き顔をしていた。
 
 パラグアイの通貨は…、グアラニーである。そのあけっぴろげな開放感に、ボクは自分のう ちの何かが重たく苦しいものに感じられた気がする。
   C 
 パラグアイを行く旅人の間では有名な話だけど、ホテル内山田周辺の夜はにぎやかだ。ボ クは猥雑な雰囲気が嫌いではない、というかむしろ好きだったので、退屈はしなかった。日 が暮れ始めるとどこからともなく道のいたるところに人影ができる。ストリートガールである。 いや、ストリートボーイと言ったほうが正確だろう。アチコチいじっているからなのかどうなの か真相は分からないけれど、彼らはハッキリ言ってボクがパラグアイで見てきた女性たちの 誰にもまして美しい…。
 
 「はぁーい。ハンサムジャッキーチェン、どこ行くのかしらん?」
 「あ、いや。ご、ご飯を食べに…。」
 
 ワクワクしながら振り向けば、背がモデルのように高くて、本当に大美人で可愛らしいコた ちが流し目をしているのだ。「男の子?」と聞くと「そうだぜ、俺たちは男だ」という。こういう返 事をするときだけ野太い声を出すのはネタになるのだろう…。やはり、予想は付くけれどおど ろいた。
 
 「ほぅ…、1発6万グアラニー?ふぅん、たっけーなぁ。」
 「え、23歳なの?ボクと同い年だ。友だちになれそうですね。」
 「なになに、このお仕事は2年目なの?もう、ベテランさんですな。」
 「ははっ、いまのお仕事が好きなんだ。しかもムーチョ(超)って言っているし…。」
 「なんだってぇっ?パラグアイはこう言う仕事が禁止されていないだって?ホントかよ…。」
 
 なお、1ドルは約6千グアラニーである。
    D
 翌日、バヒア川沿いのスラム街近くを散歩していると、警官に呼び止められた。くちヒゲをた くわえた優しげな目つきの警官である。ベージュの制服を着ていた。
 
 「旅行かな?悪いがパスポートを見せてほしいんだが…?」
 
 パラグアイには偽警官がウヨウヨいると訊いていた。彼のうしろに停めてある車から、ガラ の悪い私服の2人組が身を乗り出してこちらを睨んでいた。嫌な予感がした。パスポートは 貴重品と一緒にパンツの内側にぶら下がっているポーチにある。パスポートを出するというこ とは貴重品のありかを面前にさらすようなものだ。ぼくはちゅうちょしてた。
 
 疑いを察したのか、彼はボクに警察手帳を見せた。確かに彼はホンモノ警官のようだ。だ けどボクの警戒は解けない。それほどまでにうしろに控えている悪人ヅラの2人組が気にな るのである。グルという可能性も充分にあった。
 
 「んー、じゃぁさ、警察署に出頭してくるよ。タクシー捜してくるね…。」
 「その必要はないぞ。どうしても警察署に行きたいなら、この車に乗りなさい。」
 
 「この車…、パトカーじゃないじゃん!」なんて思いチラと見ると悪人ヅラ2人組がニヤニヤ 笑っていた。「まずい…!」と思った…。「いや、必ず出頭するから、タクシー拾ってくる!」と 言い捨てるとボクはひと気の多い方に足早に歩きだした。すると2人組のうち助手席に座っ ていたアゴヒゲの太っちょがなんと拳銃の右手に車から飛び出してきたのだ。
 
 「来た…!」と思った矢先にボクは叫びながら人気の多い通りに向かい走りだす。この当た りの行動は静だ。だけど、むなしくもボクの叫び声は無数のサイレンにかき消され大通りは 一時騒然となった。やがて、ボクの行く手に2台のパトカーが横付けで急停車した。「本物の 警察だったのか…?」と安堵と同時に「ん?これじゃボクは警察から逃走した犯罪者じゃな いか?」という焦りがわき起こる。
 
 ボクのすぐ後ろにはさっきの悪人ヅラの運転する車が迫った。挟まれた。
 
 「ぐ、あぁ。(観念したボクのうめき声)」
 「…!……!!(羽交い絞めにされながら拳銃を頭に突き付けられ罵声を浴びる)」
 「ゴッ!ぶしっ!(目の下とほお骨の間から鈍い音が響いた)」
 
 殴られたらしい…、世界が静かになっていた。ただちに手錠がはめられなお殴打される。そ してお尻を足の裏で蹴飛ばされ、後部座席に文字どおり叩き込まれた。警察署に向かうパト カーの中でも殴られ続けながら、ボクは必死に怒りを抑えていた。やりすぎだ…、無抵抗な のに。できればパンチを避けたかったけれど、おとなしく殴られていた方がダメージは少なか った。避けて逆上されるともっと怖い。
 
 警察署の駐車場に引きずり出されると、今日も快晴の青空が広がっていた。炎天下だ。悪 人ヅラを見ると、笑っていた。うすら笑いを浮かべながら、まだ殴ってくる。「もう、勘弁してく れ。いてぇ…。」
 
 駆け付けた5、6人の頭の悪そうな警官に取り囲まれると、今度は全裸にされた。かたわら でボクのナップザックが路上にぶちまけられるのを見ていると、なんともやりきれない気持ち になってくる。手で前を隠しながら色白で小柄な東洋人は、大人の男たちに囲まれて大いに 笑われた。悔しくて自然と歯ぎしりする。悪人ヅラは手が疲れたようで、ボクのタオルを奪い 取るとムチのように全裸のボクをシバいてきた。
 
 警察署、拘置所、ツーリストオフィスなどを軽トラックの荷台に乗せられ連れまわされた。い ろいろと注意を受けたけれど、とどのつまり「逃げたから、追いました。」ということだった。疲 弊しながら警察署を出ると、無意識に門を殴っていた。手が痛くなっただけだった。門番が驚 いたようにボクを見ていた。
 
 滞在先のホテル内山田に戻ったらオーナーで日系2世の内山田氏がエントランスで出迎え てくれていた。ボクの身元引受人をしてくれたらしい。
 
 「大変でしたねぇ、ケガがなくて良かったです。お疲れ様でした。」
 「いえ、ありがとうございます。本当にお世話になりまして。偽警官が多いと聞いていたの でちょっと警戒しすぎていたものですから、かえって変なトラブルにあっちゃったみたいで …。」
 「あぁ、そうですね。確かにいますけど、偽警官は落ち着いて見ればわかりますよ。」
 
 内山田氏は本当に心配していた。
 
 「…今日はもう、お部屋でお休みになりますか?」
 「…と、行きたいんですけど、青タン冷やしたらバスターミナルに行きます。まだ次の町へ のチケットを買っていないので。その足でご飯でも食べてきますよ。」
 「そうですか。そうですか。今日は週末だから、セントロの広場で野外コンサートが開かれ ますよ。よろしければちょっと覗いてみてくださいね。」
 
 ボクは元気よく笑顔で頷きながら「氷を貰いに行ってきますね!」と告げた。内山田氏はホ ッとした表情をしていた。内山田さんは、旅人をもてなす本物のプロだった。だいじょうぶ、ボ クはパラグアイを嫌いになったわけでもないし、この国での思い出が嫌なものになったとも思 わない。だいじょうぶ、今こうして楽しみながら文章に綴っているくらいだから…。
第二話 体験パラグアイ@
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
アスンシオン…パラグアイの首都でアマゾンの南部、大 陸の内陸部に位置する。どことなくアジア的な熱気があ るエキゾチックな街。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
氷…南米のローカルなところでは氷をお目にかかること は少ない。もちろん飲料にも基本的には氷は浮かんで いない。また、現地で氷を口にするのは危険。
 
バックパッカー…大型リュックを背負う個人旅行者。欧 州圏ではスポーティな旅行スタイルとして定着している が、日本では貧乏旅行のイメージが強い。
第二話 体験パラグアイA
 
 
 
 
マテ茶…チリやアルゼンチンの庶民のたしなみ。銀メッ キのコップに茶葉をすり切りいっぱい入れお湯を注ぎ、 茶漉しの付いた極太の銀のストローをお湯にひたる茶 葉につっこんで飲む。
送る…バックパッカーはよく海外で郵便局を利用し日本 へ不要な品を送る。
 
 
 
 
バヒア川…アスンシオンを取り囲むように流れるアマゾ ンのジャングルからの川。
 
 
物見遊山…遠足気分。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 体験パラグアイB
セントロ…町の中心、センター。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
インディヘナ…アンデス山脈一帯に古くから住むモンゴ ロイド系の原住民。
 
 
 
 
 
 
 
 
グアラニー…パラグアイの多くの人々はグアラニー族の 血を引く。そして彼らはそれを薄めるどころかアイデンテ ィティを取り戻すがごとく回帰するように努めている。非 常に珍しい民族国家である。
 
 
 
 
 
第二話 体験パラグアイC
 
 
ストリートガール…立ちんぼ。娼婦。
 
 
 
 
ジャッキーチェン…親愛の情をこめて東洋人を呼ぶ際に 使われる南米で人気の映画スター。逆に嘲笑をこめて 呼ぶ際はチーノ(中国野郎)。また南米では日本と中国 と韓国の違いを重要視していない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 体験パラグアイD
 
 
 
 
 
偽警官…警官の服を着た泥棒。外国人を呼び止め、職 務質問と称して貴重品を探り抜き取ったりする。悪質な ものは人気のない所に連行して強盗をしたりする。ただ し、明らかに怪しいので必ずわかるうえ、相手にしない で人気の多い所に移動すればすぐにあきらめる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ツーリストオフィス…外国人旅行者に情報を与える役所 の機関。領事館などの連絡先を教えてくれる。なお、海 外でこうしたトラブルに遭っても在外日本領事館は自由 には助けてくれず、国際問題に発展するような重大な事 件のときにだけ助けてくれることが多いようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 イグアス観光記
@    
 界遺産のイグアス滝はじっくり見たいモノの1つだったので情報収集に努めた。
 具体的な観光の仕方について直前までかなり頭をひねったものだ。
 
 パラグアイの首都アスンシオンを発ったボクはイグアス滝を囲む3つ巴の国境の町の1つ、 シウダデルエステへと向かった。拠点となるのは、ホテル「ボクのおばあちゃん」(HOTEL  Mi Abuera)。たぶんこの界隈では最も安い宿だと思う。
 
 「僕は訪れてくれた旅行者が、あぁ来てよかった、と思ってくれるのがうれしいんだ。ここで の滞在が有意義でずっと思い出になるようにしてあげたいんだ。」
 
 笑いながら言ってのけたのは、宿の従業員の青年エベだ。ボクがエベと同じ17歳のころ は、キレイ事でもそんなこと、言えなかっただろう…。宿を出ようとしたら掃除夫のおじさんに 呼び止められた。シュッと奪い取るしぐさを見せながらボクのかばんを指差した。旅先がのど かであればある程、なぜか盗難の注意がもらえることが多いものだ。
 A   
 イグアス観光の初日はブラジル側からイグアスの滝にアプローチすることにした。今日が記 念すべきブラジル初入国日でもある。ポルトガル語には戸惑った。国境の町だから何とかな るだろうと思ったけど、ブラジルではスペイン語をほとんど、というか全く使えないのだ。力関 係だろうか。
 
 1ヘアルも持たずにブラジルに初入国してしまったけれど、商店のお姉さんがポケットマネ ーで少しだけ両替してくれた。言葉も通じない東洋人にここまで親切にしてくれるとは…。町 中を歩くブラジル少女たちのヘソ出しルックもマブい。黒々したギャランドゥを処理しておいて くれたらなお素晴らしい。そんなだから、まだ見ぬブラジルの印象がガゼン良くなっているこ とにわれながら気付く。楽しくなりそうだ。
 
 しかし、肝心のイグアスの滝と言えば、期待が大きすぎたのか、やっぱりスケールの壮大 さに対してはそこまでボクのテンションが上がらなかった。ボクはむしろ、滝以外のところに 心惹かれることとなった。
 
 それは色彩美である。直火であぶられたようにチリチリとかがやく青空と地上からの湿気 が生み出す入道雲。そのしたに果てしなく続く、目がくらむほどの緑、深緑ときどき赤土。こ れには、不意に鳥肌が立った。ブラジルの国旗の色はどっからどうみても「ブラジルらしい」こ とがひと目でわかる。その緑に突然現れる巨大な瀑布は大いにボクの気分を盛り上げてく れたものだ。

 ブラジル側のイグアス公園は、世界観や大規模な滝の全体像が楽しめる。世界観という表 現をしたけれど、それはこの環境に身をおくことで自分の中で作り出す雰囲気的なイメージ のことだ。ボクは「秘境探検」気分を大いに楽しんだ。
 
 ブラジル日帰り観光を終え、パラグアイに再入国し宿に戻る。エベから「どうだった、イグア スは?」と聞きなれたスペイン語で話しかけられるとホッとした。言葉は、落ち着く。緊張をほ どき、夕食をとろうと薄暗い町を歩いていると…「ふぁさっ…!」。
 
 すれ違いざまに左の鎖骨から右の耳の下を指でなでられた。…背筋に悪寒が走る。かつ て夜の横浜反町公園で、男にナンパされたときの恐怖にも似た困惑がよみがえった。ハッと 振り返ると知らないネーチャンがウィンクをして去って行った。娼婦ではない、普通の通りす がりのネーチャンらしい。フフフンと息巻きながら、初日の夜は更けていった。
  B  
 イグアス観光の2日目はアルゼンチン側から滝にアプローチした。期待を裏切らない迫力と 轟音。しぶきが舞い炎天下に虹がきらめいた。滝のまうえに鉄の遊歩道がせり出していて、 吸い込まれそうなくらいの至近距離から「悪魔ののど笛」と呼ばれる滝壺を覗き込む。イグア ス滝はブラジルの滝だと思われがちだけど、実は滝壺はアルゼンチン国内にあるのだ。
 
 「悪魔ののど笛」なんて表現をした人は、この爆音鳴り響く巨大な滝を悪魔と見立てたのだ ろう。むかしの人の表現って、素直なアニミズム(汎霊説)が感じられてシックリ胸に響く。ア ニミズムというのは森羅万象に精霊が宿るとする考え方で、特定の者を神性の対象に限定 しないという点が特徴的…、らしい。ま、何となくわかったつもりにはなっている。

 イグアスの滝の観光は、広大なスケールを楽しみたければブラジル側の「自然保護区」 へ、ド迫力の瀑布を楽しみたければアルゼンチン側の「滝テーマパーク」へ。両国にまたがり 両国ともに違った魅力があるのだ。富士山は静岡のものでもあり山梨のものでもある、みた いな感じである。
   C 
 アルゼンチン側のイグアスを見終えたころには日も暮れはじめていた。やや焦り気味にブラ ジルのバスターミナルに向かう。「あと、15分ある…」とつぶやきながら街頭の柱時計を眺め ると、違和感を感じる。…柱時計は8時を指している?ボクの時計は7時!近くの人に時間を 聞くと、…8時!?
 
 …時差だ。たとえ歩いて10分の距離でも、国境をまたげば時差がある。
 
 すっかりバスに乗り遅れてしまい、途方に暮れてしまった。バス会社のカウンターのシャッ ターが1社、また1社と下ろされる。ターミナルの発着場、バスの輪留めに座り込んでいる と、警備員がポルトガル語で話しかけてきた。
 
 「ははは。果報は寝て待てよ、兄ちゃん。(ポルトガル語、訳は推測)」
 「寝るところもないし、路線バスもないし、タクシー呼ぼうにもお金がないし、両替屋も締まっ ているし…。どうしようかなぁ…、は…はは…。(スペイン語)」
 「なんだ、寝るところ?あっち行ってみ?(ポルトガル語、推測)」
 
 ボクは合掌した手を耳に添え、眠るジェスチャーをして聞き返した。
 
 「シーン、シーン、エーサ、アヤ。」
 
 警備員は左手でターミナル横のアーケードを指さしながら、右手でボクの背をたたいた。ア ーケードにはボロい店がたち並ぶ。裸電球が電線にぶら下がり、日本の夜祭の屋台さなが らである。
 
 店のひとつの2階を登りきったところには粗末なカウンターがあった。奥にはベニヤの間仕 切りで作られた部屋が10室ほど。長距離バス運転手や待合客の簡易宿泊施設のようだ。 室内には170センチくらいの小型ベッドがあり、四方にベニヤ板がそそり立つ。ドアノブはな く、針金と釘が取り付けられていた。漫画喫茶の個室をイメージすればわかる。
 
 1泊5ヘアル(約300円)だ。食堂も深夜まで開いており、かつ安かった。ビュッヘ形式で 4.5ヘアル(約270円)。温かいごはんを食べると気持ちが落ち着いた。ビュッヘは給食の バケツをイメージすればわかる。初めて食べる黒くてドロドロしたフェィジョアーダという煮込 み料理が口に合った。
    D
 イグアスから始まったブラジル旅の幕開けはボクにとってかなり濃密なものであった。初日 にして言葉、通貨、人々の性格、気候、食べ物などいろいろな方面に触れることができた気 がする。ギャランドゥ少女にしろ警備員にしろ、ボクがまだ見ぬブラジルに対して抱いていた おおらかでフレンドリーだという先入観の期待には、かなりこたえてもらえた気がした。
 
 もっともブラジルの旅はそんなに単純ではなく、良いイメージも悪いイメージも道中に味わっ ていくのであるが…。
第三話 イグアス観光記@
 
イグアス滝…ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3つ 巴の国境にまたがる世界最大規模の滝。アマゾン支流 にあり、周囲を熱帯雨林に囲まれている。

シウダデルエステ…イグアスを取り囲む3か国のうち、 パラグアイ国境の町。なお、アルゼンチンはプエルトイグ アス、ブラジルはフォズドイグアス。
 
 
 
 
 
 
 
第三話 イグアス観光記A
ブラジル側…ブラジル側とアルゼンチン側にそれぞれイ グアス国立公園がある。ブラジル側は壮大な全景、ア ルゼンチン側はダイナミックな近景が特徴。
ポルトガル語…ブラジル公用語。南米大陸は全土でス ペイン語が主流だが、ブラジルのみポルトガル語を使 う。
ヘアル…ブラジルの通貨レアルのポルトガル語読み。1 レアルは約50円。Rから始まる単語は鼻から息を強く 出しながらH音で発音する。
ギャランドゥ…西城秀樹がギャル&ドゥーを唄うときに目 立っていた下腹部の体毛。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再入国…イグアス観光をするときは、国境を頻繁にまた ぐ。ただし、日帰り観光であればビザは不要。
 
 
 
 
第三話 イグアス観光記B
 
 
 
滝壺…アルゼンチンのイグアス公園内にはちんちん電 車がめぐらされており、滝壺クルーズなどのアトラクショ ンが用意されている。アミューズメント性が高い「テーマ パーク」。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 イグアス観光記C
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 シーン…そうそう、ソレ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フェイジョアーダ…フェジョンとも。ブラジルの国民食で豚 の臓物や肉片を黒いフェジョン豆と煮込んだもの。奴隷 が主人から与えられる肉片やホルモン(放るもん)を試 行錯誤して作った。ご飯にかけたりパンにつけたりして 食べる。
第三話 イグアス観光記D
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 ルーツ
@    
 ラジルの都市サンパウロには、世界最大規模の日系人街がある。
 どれくらい大きいかといえば、市や特別区くらいの範囲が日系人で埋め尽くされているくら いだろうか。
 
 1900年代、貧しい農民に対し政府は海外移住を推し進めた。激しい人種差別によりアメ リカから移民の受け入れを拒否された結果、ブラジルが最大の移住先になったそうだ。楽園 を夢見て家族を引き連れ地球の裏側にわたった人々を待っていたのは、過酷な労働だけ。 帰りたくても帰れない。乗り越えるしか道はなかった。きっと、文字通り血のにじむようなご苦 労をなすったに違いない。
 
 日系移民たちがブラジルに築き上げてきた功績は大きい。彼らはブラジルにおいて「日本 人はまじめでよく働く」という印象をしっかり根付かせた。ブラジルを旅しているとブラジル人 からよく言われた。それはどこかの国でシニカルに言われる「クソまじめなオタク」とはちょっ とニュアンスが違った。言われて気持ちの良い賞賛のコトバに聞こえたものだ。
 
 いっぽう「ブラジル人はおおらかでフレンドリー」という印象を持っている日本人はきっと多い だろう。よほどヒネくれない限り「無神経でいい加減」というネガティブなイメージにはならない と思う。
 
 双方に良いイメージを、実は持っている。
 
 2008年は受け入れ100周年で、ブラジルと日本の双方でいろんなイベントが開催されて いる。「そっか、日本とブラジルは友好国なんだ」と、いまさらながら認識できる。
画像の出典:WIKI
 A   
 ところでボクはたいそうヒネくれ者のオタクだったので、サンパウロ行きの長距離バスの車 内でさっそく「ブラジル人は無神経でいい加減」というネガティブなイメージを持った。
 
 黒煙を噴くバス、窓がないバス、オフロードバス、泥棒バス、動かないバス、氷点下のバ ス、キャラ祭りのバス…。これまであらゆるバスで旅をしてきたけれど、今回のバスがもっと も辛かった。
 
 窓際に座るボクの隣席と前後の座席には、太っちょの5人家族が乗車していた。つまり完 全包囲されていたのだ。隣りは1番太ったおじさんだった。家族はジュースやお菓子を広げ て歌ったり騒いだりするものだから、腕が顔にぶつかるし食べカスが降りかかるし…。匂いと 圧迫感でへとへとになってしまう。その宴は他の乗客が寝静まった深夜まで続いた。午前3 時ころ就寝したと思ったら…、イビキ。いや、参った。
 
 やっとのことで到着したサンパウロの街は広かった。地下鉄も縦横無尽に張り巡らされて いて、勝手の知らない外国人であっても市内の移動はしやすい。
 
 印象的なのは人種が入り乱れているということだ。サンパウロの街を歩いてみれば、人種 が区別されていない…、というよりもうチャンポンだ。あらゆる人種がおなじように街を行き交 っていた。そしてルーツが分からない人も目立つ。混血に関してもかなりオープンな印象を受 けた。
 
 いっぽう市内の日系人街を歩けば「ここは日本か?」というような妙な感覚に陥る。日本語 の看板の並ぶ通りを歩けば、日本語があちこちから聞こえた。歩いている人は…、もちろん 南米では浮いてしまうノッペリとしたしょう油顔。バリやグアムに行った旅行者からよく聞くよ うな、観光客目当てで日本語があふれているような状態ではない。サンパウロの場合は、こ れが街の素顔だという点で違う。

 サンパウロは何をするにも便利な街だったので、ペンション荒木を拠点にひと休みすること にした。日本食材が手に入るので、自炊の幅も広がる。郵便やメールのチェックなども楽に できた。
 
 「お元気?あたしは無事帰国して日本の出版社に入りました。ケイ君はあれからいろんな 経験を積んで旅を楽しんでいるころでしょう。ペルーの写真を送ります。サチ」
 「やぁ親愛なる、友よ。ボリビアのウユニの素晴らしい旅を君たちとともにできて幸せに思 う。写真を送るから確認してくれ。フェリペ」
 
 驚くことに、旅で道づれになった人たちから、写真が届いている。ボクはチリの夜行バスで デジタルカメラをメモリごと盗まれていた。もらえた写真は盗まれる以前の旅の軌跡。それだ けに、感激もひとしおだった。

  B  
 サンパウロの日系人街には期待通りペンション荒木という老舗日本人宿があった。
 
 「しっかし…、き…汚ねヤッベェ…、この宿!」
 
 1泊20ヘアル(1000円弱)と、設備の割にはいい値段だったが嫌いな雰囲気ではなかっ た。ボクは日本人宿に快適さを求めるより、むしろそこにいる人たちとの触れ合いや情報交 換を楽しみにしている。
 
 だから、床がベタついて歩くたびにペリペリ音がしようが、ショウジョウバエが飛び交おう が、トイレに「マリファナ禁止、通報します」という張り紙を見つけようが、とにかくここにいる日 本人旅行者たちにはだれもかれもキャラが濃く、かつ好感が持てたので安心した。
 
 夜のサロンでボクは迫る旅の期限に焦りながら、今後のルートについて旅人たちと語り合 った。それゆえ集まる情報もより具体的になってきた。
 
 「はぁ、ベネズエラ?無理っしょ、1か月はかかるよ。ブラジルって広いんだよ?」
 
 ある旅人が言った。彼女はおりしもベネズエラのギアナ高地から1か月かけて南下してき たという。メガネのおさげ女性で30歳前後に見えた。読書家のようなおとなしそうな風貌と はうらはらに、健康的に黒々と日焼けした顔がテカっている。堂々とした口調で話した。
 
 「陸路でベネズエラに向かう場合アマゾン川を逆流しなければいけないから、多分アタシの 時より時間かかるね。アマゾンより奥に行ったら船移動、舗装された道なんてないからね? もっともアマゾンまで道のりも怪しいものだけど…。」
 「ど…、どうしよう…。コロンビア発の帰国便は…、20日後!」
 
 広大なジャングルを北上し、アマゾン川を逆流して、ギアナ高地を越え、カリブ海沿岸を走 り、ふたたびアンデス山脈にあるコロンビアの首都ボゴタに行かなければいけないなんて …。
 
 「無理だ」と、誰かが言った。「アマゾンは飛ぶしかない」と断言した。そこで、ボクは陸路で 一周したいと告げた。その場にいた全員に向けてである。
 
 おもしろいことに「なんで?」とか「下らんこだわりは捨てろ」という発言はない。ここにいる 人たちはおのずと思考回路が、自分で決めた道があるならば迂回するのではなく打開しろと いう方向に向くらしい。
 
 「じゃぁ、帰国便の搭乗日を延期するしかないだろうね…。」
 「でも、年末で混むだろうねぇ…。いまからの変更は無理じゃない?」
 「んー、グシケンさんに相談してみるか…。」
 「あー、サンワのグシケンか、相談に乗ってくれるかも…。」
 「いいね、グシケンさん。あの人は本当にイイ人だよ。まってな、地図書いてやる…。」
 
 ペンション荒木にも長期滞在者はいる。だが、新参者との距離はだいぶ近かったように感 じられた。なんだか、オープンだ。この違いは、どこから来るのだろう…。
   C 
 今日は土曜日。ボクは宿の人に書いてもらった地図を見ながらサンワ旅行社を訪れた。た ぶん営業はしていないはずだけど、小柄でやせたグシケン氏はやさしい笑顔で出迎えてくれ た。グシケン氏は、とりとめもなく早口で事情を伝えるボクに、1杯のコーヒーを勧めた。たぶ んいちばん困ったタイプの客に違いないだろう。
 
 「今日は土曜日だから、今日中の予約変更は難しいかもしれませんねぇ。」
 「でも月曜まで待てないんです。今日中にでも出発しなければコロンビアの空港にたどり着 けないかもしれないんです。かといって年末なので早くしなければ予約変更できないかもし れないんです…。」
 
 グシケン氏は取引先の航空会社取次店にかたっぱしから電話してくれた。そして土曜日に もかかわらずなんとか航空会社の本社にブッキングを取り次いでくれた。そしてすぐにタクシ ーを呼びニッコリとボクにほほ笑んだ。
 
 「良かったですね!窓口で今日手続きしてもらえるみたいです。」
 
 グシケン氏はボクに何も要求しなかった。土曜日にいきなりやってきて航空チケットを買う わけでもなくツアーを申し込むわけでもなく、ただ日本語で捲くし立てるように自分の要求だ けする小僧に誠心誠意で対応してくれた。
 
 え…、なんで…?
 
 やってきたタクシーの運転手はカズと名乗る中年の日系男性だった。グシケン氏はボクを タクシーに見送る。ここで別れてしまうのが名残惜しく感じられてならなかった。ここで別れて しまったら、次に感謝する機会はそうそうやって来ないだろう…。
 
 「こんなに親切にされて…、感激しています…。」
 「いいよ、いいよ。困った時はお互いさまでしょう。」
 「ブラジルには仲間がいるんだ。オレは二世で日本に行ったことないけどね。」
 
 カズが明るくふるまった。
 
 「グシケンさん、漢字読めるの?オレなんか日本語の小説いつも読んでいるもん。」
 
 カズは自分のタクシーの助手席を指さした。古びた日本語の文庫本が無造作に置いてあ る。
 
 「読めるよー。少しなら書けるよ、ホラ。…困ったことがあったら連絡しなさい。」
 
 グシケン氏はサンワ旅行社の電話番号を書いたメモをボクに渡した。少し間違っていたけ れど「三和旅行社」と漢字で書いてあった。
 
 こんな2人のやりとりは不安、感謝や色んなモノでパンパンに詰まってしまったボクの胸を すっかりリラックスさせてくれたのだった。
    D
 カズの運転するタクシーで市街の航空会社の出張窓口に向かう。窓口のシャッターは閉ま っていたけれど、スーツ姿の社員が店舗わきの通用口から現れ、シャッターを半分だけ開け た。店舗の中はきれいだったけれど、明かりは消されておりカウンターの1つが蛍光灯に照 らされていた。今日は休業日であることは明らかだった。
 
 「よかったねぇ、あんた。…すぐにサンパウロを発つんでしょ?サンパウロは楽しめた?」
 「はい…、とても。すごく良い経験をしました。でも本当はもう少しいろいろ見て回りたかった んですけどね。また来たいです。」
 
 少し間をおいてから、カズはおもむろにタクシーメータを止めた。
 
 「バスは16時だっけ?ちょっとさ、市街回ってからバスターミナルに行こうよ?あー、いい よ、いいよ。オレが好きでやることだからさ。嫌ならやめとくけど?」
 
 え…、なんで…?
 
 カズはサンパウロの見所や、日本人が移住してきたときの話などをしてくれた。サンパウ ロ、もっと知りたかったなぁ…。サンパウロ美術館、原生林公園も行きたかったなぁ…。もっと もっと知りたかったなぁ…。
 
 この旅でここまで人に親切にされたのは初めてかもしれなかった…。いや、そうではない。 親切なんて生きている限り受け続けているはずだ。今ならわかる。ここまで人に感謝した自 分に出会ったのは、初めてかもしれなかった…。
 
 もう、いい加減「え…、なんで…?」なんて思わないようになりたい。もらいすぎていっぱい にならないようになりたい。いつでもなるべく、そうありたい。
 
 帰路の便は年末、12月31日成田着に変更した。あとは迷わず進むのみ。大幅な遅れが なければ2週間でブラジルを縦断できるはずだ。港町サルバドールも見たかったけれど、あ きらめたわけではない。敢えてこの旅で訪れるのをやめた。次回の楽しみを残したのだ。た ぶん無駄なプライドの高いボクのことだ。何年先になるか分からないけれど、きっとまた戻っ てくる。
 
 ジャングルが楽しみたければアマゾン川の逆流で充分だ。進むことが旅。これがボクのス タイルじゃないか。アルゼンチンやブラジルでは居心地の良さに怠けすぎだったんだ。観光も いいけれど、今回のいちばんの目的は、「旅を果たす」こと…、そうだろう?
第四話 ルーツ@
サンパウロ…ブラジルでも3本の指に入る大都会。ブラ ジル南部は大西洋に面したあたり、リオデジャネイロと 並んで位置する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第四話 ルーツA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャンポン…ごちゃ混ぜを示す外来語(ポルトガル語と も)が転じた擬態音。韓国などでも同様にチャンポンを日 常会話でひんぱんに使う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自炊…旅行目的がリゾートではない個人旅行者は、不 必要な出費をカットすべく自炊をすることが多い。安宿に はキッチン設備があることが多い。
メール…この時代になると発展途上国にもインターネッ ト屋が普及している。ボクはバックパッカー第3世代に当 たる。第1世代…人づて。第2世代…在外領事館で置 手紙。第3世代…メールをアルファベット入力。第4世代 …世界対応の携帯電話。
サチ…フリーカメラマンをしている30代前半の女性。ペ ルーで出会った。首から下げた大きな一眼レフカメラと、 キャップがトレードマーク。第三章第三話参照。
フェリペ…晩婚のハネムーンでウユニ塩湖ツアーに参加 していたフランス人男性。第三章第五話参照。
カメラ盗難…それまでの思い出が全て奪われた気がし てたいそう沈んだ。またその結果気付いたこともたくさん あった。第四章第一話参照。
写真提供:Peusho Fellipe
 
第四話 ルーツB
日本人宿…観光地にある旅行者用の宿で、日本人が 経営し、または日本人客が多く集まる。バックパッカー 向けの安宿であることが多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ギアナ高地…ブラジル北部、ベネズエラとの国境付近 に広がる高地で、標高1キロほどの台形山地が林立す る景勝地。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
飛ぶ…飛行機を使った移動をする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

長期滞在者…短期旅行者とそりが合わないことがあ る。第四章第六話参照。
第四話 ルーツC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 ルーツD
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サルバドール…大西洋に面した穏やかな港町。格闘ダ ンスのカポエイラ発祥の地。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 旅の目的
@    
 国のときまでそう時間は残されていないことを知ったボクは、急ぎリオデジャネイロか らアマゾン川のベレン港にバスで向かっていた。既に12月だ、年内帰国がボクなりのケジメ だった。
 
 隣席は若い女の子だったので座席にゆとりがあった。周囲の家族連れもいたってもの静か だったのでストレスフリーに50時間のバス移動ができると思った。でも甘かった。
 
 家族連れ、いうなればお子様が静かなわけだ。「ゲホッ!」と嫌な音がしたかと思えば、ほ どなく車中を漂うえもいわれぬ臭い。そして、ついに来た。足もとに液体が伝ってきた。「しか たない…、しかたないよな。」とボクは自分に言い聞かせた。子どもにとっては3時間じっとし ていなければならないだけでものすごい苦痛だろう。ここでボクが「液体」にストレスを感じて も事態は良くならない。
 
 隣の女の子は苦笑いをしてから土足を座席にあげて体育座りのような格好になった。ボク も続く。周囲の人たちの対応はとてもスマートだ。ここでボクのブラジル人の味方(ガサツで 無神経)に多少なりとも修正が加わっていた。
 
 生理現象はつらかった。車内にトイレが設置されているとはいえ、おう吐物で詰まり水びた しだった。さらに、アマゾンのアスファルトのないラフロードとブラジル流のスピーディで荒い運 転のさなかで用を足すのは至難の業なのである。
 
 実は朝から腹痛に悩まされている。おそらくはリオ・デ・ジャネイロのバスターミナルで立ち 寄った安食堂の牛タン料理が原因だろう。味はよろしいのだけれど、店内のいたるところに ハエ柱が立つこの旅でもっとも汚い食堂だった。いままでどんなに汚くても腐った料理を出す お店はなかったのだが…。ブラジルの熱気と湿気に育まれたバイキンたちは、生ぬるい日本 人の消化器系では到底タチウチできないのはインドに近いものがある。もし、このバスがペ ルーやボリビアの黒鉛噴出のバスだったら間違いなく3度はソソウをしていたことだろう。バ スにトイレが付いているだけでも大きな救いだ。
 
 バスは乗り継ぎなしで50時間、気がめいりそうなほど長旅だった。景色を眺めているのに 飽きたころ、この旅で書きためてきた手記を見返し、これまでにあった出来事や考えを整理し て過ごすことにした。
 A   
 フォズドイグアスからサンパウロにやってきて、いろんな人に会えたものだ。日本人宿ペン ション荒木に集まる日本人旅行者たちは、なんだかずいぶんとおおらかで感じが良かったっ け。日本人旅行者たちとこうまでコミュニケーションがとれたのは、正直言って珍しかった …。
 
 ドミトリーの同室カトウ氏はからっきしに明るいおじさんだった。そう、パッと見で子供がいて もおかしくなさそうな気のいいオジサンなのだ。メガネをかけていて上品な感じの人だった。 「ブラジルが好きでさ、休みの都度ここに来てブラジルの空気を吸うんだ」なんて言ってい た。釣り好きが週末に山や海にでも行くような感覚でブラジルへの渡航を楽しんでいる。まさ に独身貴族の楽しみか…。

 サロンでは深夜まで長期滞在者も新入りも分け隔てなく情報交換や雑談をしていた。ボク はこうしたペンション荒木のオープンな雰囲気は嫌いじゃなかった。
 
 「さて、そろそろ行くかな?」
 「お?ご出勤ですか?」
 
 と、中年男性が腰を上げ、若い女性が声をかけた。ボクは「えっ?お仕事ですか?」なんて ヤボな質問をした。すると若い女性は「そう、お勤めなのよー。ねぇ、このコも連れて行ってあ げれば?」と中年男性に投げかける。
 
 「おっ?一緒に行く?ブラジル人ねぇ、いいヨ!…カトウさんも、たまにはどう?」
 「セントロの置き屋でしょ?オレはパス。昔はよく通ったけど…、最近はもういいや。」
 
 つまり、売春のために物価の安い国に長期滞在する旅行者もいる。マリファナや覚せい剤 目的の旅行者もいる。そういった目的の旅行者は東南アジアではことさら多いと聞く。オープ ンな雰囲気だからこそ彼らと会話もでき、良いか悪いかはともかくとしてそうしたスタイルが あることを知ることができた。
 
 ある朝、水道水をガブガブ飲むカトウ氏に率直な質問をした。
 
 「カトウさんは何でブラジルに良く来るんですか?」
 「オレねぇ…、ブラジルが好きなんだよ。ホント住みたいくらい好き。」
 「ブラジルのどういうとこが好きなんですか…?」
 「だって、おおらかで温かくていいじゃん?まぁ…、人それぞれだと思うけど。女が好きだっ たりサッカーが好きだったり…。ん、あんま突き詰めて考えたことないけどね。」
  B  
 翌日は宿で知り合ったサオリとユリとケイスケの4人で郊外のアパレシーダという聖地に足 を伸ばしてみた。サオリとユリは、パラグアイでボクと顔見知りだった。安宿で知り合った人と こうしてちょっとした観光に一緒に行くことは多い。とはいえその場限りが多く、旅そのものの 道連れになることは稀だ。

 夕方頃いつものようにサロンに戻るとブラジルの格闘技カポエイラの話で盛り上がってい た。ユウタという童顔の青年がこれからカポエイラ道場に行くのだそうだ。ユウタはカポエイラ 留学のつもりでサンパウロに滞在している。
 
 世界初の道場が開設された港町サルバドールはカポエイラ発祥の地。そんな話を嬉しそう に話しているユウタを見ていると、文化発祥の地をこの目で見たくなる。だけど、今回は帰国 便に間に合わないため見送ることにしたのだ…。

 アパレシーダをともに見たサオリとユリの2人組とはリオデジャネイロまで行動をともにして いた。彼女たちは有名なボサノヴァの曲「イパネマの娘」が作曲されたとされるリオの海岸沿 いの「ピアノバー」に誘ってくれた。
 
自らメロディーを追って「聞きに行く」というよりは、そこにあるメロディーに「体をゆだねる」タイ プと言えばよいだろうか。たぶんボクひとりだったら37ヘアル(約2000円弱)のチャージを 払ってまで聞きには来なかったかも知れない。
 
 彼女たちの旅の目的は、リオで本物のボサノヴァを「感じる」ことだった。
   C 
 旅人たちの旅の目的は、本人だけが知る。たとえば、社会生活を犠牲にしてまで自分の 楽しみだけを追求し、その結果、日本でまともな社会生活が送れないとかボクが思っても、 その良し悪しを決めるのはボクではない。本人しか決めることはできない。
 
 人を批評して…、ボクは変わるのか?自己正当化をしたいだけなんじゃないか…?
 
 ただ、賛同できるかそうじゃないかだけ。ブエノスアイレスで否定的な感情を抑えることに ストレスを感じていたけれど、ここにきて少し自分の考えが整理できた気がする。
 
 人を見て良し悪しを判断する意味なんてない。自分基準を他人に当てはめたところで答え なんて出るはずがないのだ。ただ、それを見て自分がどう思い何を感じどう考えを整理し、ど う動くかが大事だった。賛同できればうれしいし、賛同できなければそれまでなんだ。
 
 なんて…、孤独なんだ…。旅に置き換えてみたけれど、そんなこと、普通に生きていても同 じではないか。人はみんな、ひとりで人生を歩いているのか。
    D
 バスの旅は長かった。でも、道中に乗り降りする乗客たちとの触れ合いがボクの旅にちょっ とした演出をしてくれる。なぜボクが陸路で旅をするかと言えば、こうしたふれあいと空気の 移り変わりを肌で実感したいがためなのだ。
 
 ルイスという17歳の青年が話しかけてきた。
 
 「こんばんは。ポルトガル語はしゃべれますか?」
 
 ボクは「英語とスペイン語ならなんとか…」と答えた。すると彼はポルトガル語なまりの強い 英語を一所懸命に話した。客引きや商売人以外で英語をここまで一所懸命に使おうとする 人は、これまでの旅のスタイルで出会った現地の人たちにはたいそう珍しかった。
 
 「僕は英語が大事だと思っているんです。だから勉強しています。」
 
 ポルトガル語もスペイン語も南米の人たちにとっては母国語じゃない。だからあえて英語を 熱心に勉強しようとは思わない、ボクはどこかでそう考えていた。南米諸国では、ブラジルは ポルトガル語を公用語とし、それ以外はスペイン語を公用語とする。ただしこれらの言語は大 航海時代に侵略者がやってきてから根付いた言葉であって、もともと彼らには原住民が使っ ている言葉が存在している。当たり前のことではあるが、そもそも単一民族国家である日本 人にはあまりなじみのない感覚である。それゆえ英語を一所懸命に使おうとする彼の姿勢 が新鮮でならなかった。
 
 えらく人懐こい青年だった。それにもまして好奇心がとても強い青年だ。英語教育について 淡々と語りだしたかと思えば、質問の嵐がボクを襲った。まるで日本人が考えている「外国 人にされそうな質問」をそっくり実践されたようだ。
 
 なぜ日本人は英語が苦手なのか、日本の経済は何で発展し、なぜブラジルとここまで差 がついたのか、鎖国をしていたのになぜここまで世界の自術や文化を取り入れることができ たのか、日本人という民族はそもそもユダヤ人のように優秀なのか…。
 
 地球を半周まわって日本のちょうど真裏に位置するブラジルのアマゾンの悪路、このゲロ にまみれた薄暗い長距離バスの車中でこんな異文化交流が行われ、くしくもボクといういい 加減な人間がこのルイス青年にとっての日本代表にまさに選ばれていた。
 
 間違っているかもしれないけれど、ボクは異文化交流の内容を記録した。
  ・日本人はなんで英語が苦手?
  →島国で外国と接する機会が少なく、母音が5つしかないため聞き取りづらい。
  ・日本経済は何で発展?
  →マネと器用さとオタク気質。すなわち自動車と精密機器とアニメ。
  ・鎖国をしていたのに柔軟に文化と技術を取り入れられた経緯は?
  →戦争に負けたから。
  ・日本人は優秀か?
  →別に優秀じゃないがマジメで神経質。どの国でも見られる「国民性」のひとつ。
 
 バスが立ち寄る食堂がコンクリートからバナナ葉葺き木造バラックに変わった。道の陥没に 泥水が溜まる。寒い、強烈に寒い…。凍え死にそうだ。ブラジルのバスの冷房…。眠れるだ ろうか…。
第五話 旅の目的@
リオデジャネイロ…ブラジルで3本の指に入る大都市。 入り江に分断された区画ごとに趣が変わる人気の観光 地。
ベレン…アマゾン川の河口にある港町で、アマゾン流域 第二の町。ここからアマゾンを内陸に向かって遡上し、 北のベネズエラを目指す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
インド…インドに渡航した日本人はどんな高級ツアーで あっても必ず腹痛を起こす。なお、インド人に言わせれ ば、インド人もしょっちゅうお腹を壊している。
 
 
 
 
 
第五話 旅の目的A
フォズドイグアス…世界遺産イグアスの滝の近くにある 国境の町。
サンパウロ…リオデジャネイロと並ぶブラジル屈指の大 都市。世界最大の移民日系人街がある。
ペンション荒木…サンパウロの日系人街にある日系人 の経営する個人旅行者向けの安宿。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
セントロ…センターのポルトガル語読みで、街の中心を 指す。
置き屋…吉原などで舞妓や芸者を成金が抱えるために 据える長屋。転じて売春宿。
 
 
 
水道水…短期旅行者はあまり飲まない。
 
 
 
 
 
 
第五話 旅の目的B
アパレシーダ…むかし、漁師がアパレシーダを流れる川 の底から黒いマリア像を拾いあげた。そのマリア像は 数々の奇跡を起こし、今やブラジルでは巡礼者が後を 絶たない国民人気ナンバーワンの大聖堂が建てられて いる。
カポエイラ…円形の土俵で対戦者と向き合い音楽にあ わせて回転蹴りなどのアクロバティックな技を繰り出 す。実際に相手には当てず、より派手な技で相手を圧 倒した方が勝ち。アフリカからブラジルに奴隷船で連行 された黒人たちが、ダンスのふりをしてアフリカ源流の 格闘技を鍛錬したことから発展したという説がある。奴 隷が手かせを付けたまま行なったため足技が多いと紹 介されることもある。格闘技というよりはブレイクダンス に近く、エアロビのように、女性の練習生も多い。
 
サルバドール…ブラジル北東部、大西洋に面した穏や かな港町で観光客に人気のスポットのひとつ。
 
 
 
 
 
 
 
 
ボサノヴァ…リオはボサノヴァ音楽発祥の地。ゆったりと したメロディーと単調なリズムでアコースティックとボーカ ルの旋律が甘く心に響く音楽のジャンル。
 
 
 
 
第五話 旅の目的C
 
 
 
 
 
 
ブエノスアイレス…長期滞在者から距離を置きたかっ た。第四章第六話参照。
 
 
 
 
 
 
 
第五話 旅の目的D
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寒い…南米の公共交通機関の冷房が強すぎることが 多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 アマゾン川は止まらない
@    
 マゾン河口の港町ベレンのメルカド(市場)は楽しかった。
 売り子の兄ちゃんたちとの掛け合いは忘れられない思い出である。もちろんボクはポルトガ ル語なんてしゃべれないし、兄ちゃんも日本語はおろか英語も喋れない。ぜんぶ身振り手振 りで通じるから、人間とのコミュニケーションは楽しい。
 
 彼は左手をボクの肩に回して右手を握りながら言った。
 
 「わかったよ!お前は友だちだ、それでいいよ!(推測)」
 「良いハンモックじゃんか、気に入ったよ。(日本語とスペイン語)」
 「だろ?良い布使ってんだよ、それ。お前良い買い物したよ。(推測)」
 「うん、大事に使うよ。今夜さっそく使うんだ。(日本語とスペイン語)」
 「今から港か?オッケ、こっちだよ。(推測)」
 
 彼はボクの腕をつかんでメルカド外の幹線道路まで引っ張った。そして、ほどなくやってき たバスを停車させるとボクを車内に押し込んだ。親指を立てて「良い旅を!」と言ったのだ。こ のハンモックは今もボクの実家の押入れにしまってある。

 メルカドをメルカドと思って行動すれば、危険なことなんてない。スリや詐欺やひったくりな んてあるに決まっている。それは危険なことではなくて、そこに住む人々の営みがあるにす ぎない。お邪魔するのだから、自分が承知おけば問題なんてどこにもないのだ。
 
 アマゾン上流の港町マナウスまでの船旅が始まる。ここから北のベネズエラまで行くに、 あくまで陸路にこだわるのならばアマゾン川を遡上するしかないのだ。東京・鹿児島間以上 の長距離を流逆し、5泊6日でひたすら川の流れに逆らっていく。
 A   
 船は乗客や荷物でごった返していた。家族に会いに行く人、商売をする人、いろんな人の 想いが船に積まれる。3等客室では自分のハンモックを吊るせそうにないので、クルーに70 0円程度の追加料金を渡して2等客室に入れてもらう。ようやく自分のハンモックを吊るす場 所が確保できた。なるほど、チケット売り場で前売り券を買うよりも安いのか。
 
 船内のだだっぴろい空間の床には体育館にあるような深緑色のシートが敷かれており、天 井に張り巡らされたハリには番号が付されたフックがいくつも並んでいる。乗客は自分の番 号のフックに持参したハンモックを吊るすのだ。荷物は足もとに置きっぱなし。ここが約1週 間の自分の場所になる。
 
 船旅でつらかったのは船酔いであった。それにハンモックは思っていたより寝心地が悪く、 全身に筋肉痛やむくみを感じヘロヘロになる。もう、立つのもおっくうだ。そんな船酔いや体 のだるさも2、3日すれば不思議とケロリと良くなってしまうもの。もっともこの2、3日がとても 辛いのではあるけれど…。
 
 甲板に出てアマゾンの風を浴びると、なんだか目に見えない霧の中にいるような湿気を感 じた。遠雷とスコールの気配、そんな視覚ではない感覚が忘れられない思い出作りにひと役 買った。欄干に干した洗濯物は乾く気配もなく、むしろ臭くなっている…。珍しく晴れたら強烈 な日差しに喘ぐ。動植物の楽園かもしれないけれど、人間の地獄だと思った。いや、日本人 にとっては…、か。
 
 乗客が甲板に集まってきた。「なんだろう…?」と虚弱した体を起して目をこらすと前方川辺 にせり出した木造のボロ小屋の方から、ヨレヨレ服の子どもたちが手漕ぎカヌーでフェリーに 近付いてきた。2人乗りのカヌーから1人が船に向かってジャンプする。ロープを欄干に縛り よじ登ってきた。
 
 彼らは男女問わずみんな小中学生くらいの子どもである。手にはチーズのビン詰めやビニ ール袋に詰められた茹でエビなどを携えていた。船から滑ってスクリューに巻き込まれたら、 即死だ。船酔いで写真どころではなかったけれど、この状況から目を離さずにはいられなか った。

 どう考えてもサンパウロやリオ・デ・ジャネイロといった大都市とは同じ国とは思えない。違 いすぎているけれど、これも、ブラジル。
 
 夕日はとてもきれいだ。川岸から川岸へ、ジャングルを飛び交う巨大な鳥の群れたち。彼ら はどこで寝るのだろう。夜空に星がまたたくけれど、相も変わらず遠雷は絶え間ない。流れ 星…。この旅でいくつの流れ星を見たことだろう。願いなんて浮かばない。
 
 ほんの一瞬で自分の願いが思い浮かんだなら、その願いは、きっと実現できてしまうくらい に強い意志だ。だから3回唱えたら叶うって、きっと本当なんだと思う。
  B  
 フェリーの200名あまりの乗客のなかで、ボクは唯一の東洋人だ。ヒマを持て余した子供 たちにとっては東洋人がよっぽどオモシロオカシかったらしい。気がついたらボクの周りには 子どもドーナツが出来上がっていた。変な気分だ…。

 だが、悠久のアマゾンクルーズ、テレビもないし、言葉も通じない。子どもと折り紙などで遊 んでいる間は言葉が要らず、ヒマつぶしにはちょうど良かった。

 フェリーはときに丸1日港町に停泊する。200人が箱詰めになっているのだ。ゴミは溜まる だろうし、もちろん食料や水の補給も半端な量ではないのだろう。サンタレンというアマゾン 川第3の都市に停泊したとき、少し散歩をする時間があった。
 
 陸は3日ぶりだ。足もとがゆらゆらしているような妙な感覚に襲われる。メルカドにはいかに も港らしい賑わいがあった。岸沿いの土手にひしめくバラックには、巨大フルーツが山積みに されており、ピラニアやナマズの仲間などの淡水魚がズラリと並んでいて情緒を醸し出して いた。

 ハンモックの隣の夫婦とは初日から顔見知りだった。夫は30歳の白人で、妻が17歳の黒 人である。若くて可愛らしい奥さんだ。夫はブリキのおもちゃの行商をしている。戦後の日本 で流行りそうな赤いアメ車を見せながら、仕事で覚えたというスペイン語で話をした。
 
 南米の人と話すと良く聞かれる質問が2つあった。1つは「白人の女が好きか?」というこ と。そしてもう1つは「日本はどうやって発展したか?」ということだ。
 
 前者の質問については「ボクは黄色で中間だからどっちでもいいと思う」とはぐらかす。本 音を言えば、美白という言葉があるように白い肌に美を感じるセンスはある。かといって「黒 人だから」という固定観念はない。たぶん肌の黒い人たちは色々な意味を込めてこの質問を する。
 
 後者についてはいつも困ってしまう。ボクに限らず、多くの日本人がそうした話には無頓着 なんだと思う。
   C 
 早いものでフェリーは明日の夜9時に終着点のマナウスに到着する。食堂おじさんともお別 れだ。ボクは毎食いつでも食堂管理人の彼に日本語で「いただきます」と「ごちそうさま」を言 っていたから、いつしか仲が良くなっていた。言葉は通じないけれど、食事時に顔を見せれ ば向こうも笑顔を見せてくれる間柄だ。
 
 今日ものんびり甲板で景色を眺めていると、多少の感傷に浸ることができた。いつもあまり に何気なく過ごしていたけれど…、この光景…、目に焼き付けるべき旅の記憶なんだとしみ じみ思う。雲は遠くて薄くジャングルをまんべんなく覆い、緑は果てしなく茂り、拓けたところ には民家や家畜や焼き畑が見える。あぁ、ボクはこんなところを今、旅しているんだなぁ…。
 
 甲板では若者たちがサンバを踊っていた。彼らは知り合い同士ではない。それぞれの目的 を持って船に乗り込んだ個々の乗客だ。この船で何日か過ごしているうちに友だちになる人 は多い。

 日も暮れ景色も見えなくなり、ただ遠雷だけが聞こえるようになったころ、ボクは1人甲板 の端でケーナを吹いていた。すると、褐色の肌をしたスレンダーな女の子がボクをサンバに 誘ってくれた。ハケルと名乗った。この船で東洋人はボク1人だ。5日目ともなると船上では 多少有名になっていた。それで誘ってくれたのだろうか。ボクはダンスなんてできるガラじゃ ないので断った。
 
 ハケルはあれやこれや身振りを交えてボクとコミュニケーションをとろうとした。でも、ボクに はまったく伝わらなかった。すると隣のハンモックの夫婦がやってきてポルトガル語からスペ イン語へと通訳してくれることになった。
 
 25歳のハケルは専門学校に通いながらホテルで働いている。マナウスの実家に帰省する のだという。彼氏はいないのだけれど虫除けのために右薬指にリングをはめているのだそう だ。なんでも右薬指が「彼氏います」で、左薬指が「結婚しています」だそうな。
 
 ブラジルでも多少の人種差別がまだ残っていること、アメリカ人の奴隷だった多くのアフリ カ系黒人は今もブラジルで貧しい生活を送っていること、それゆえブラジル人はアメリカが嫌 いだということ(ハケル嬢だけかもしれないけれど)…。
 
 悪戦苦闘していたコミュニケーションだったけれど、打ち解けてみればスムーズになった。 最初、心を開いていなかったのはボクの方だ。心を開くと言葉は条件ではなくなる。ハケル は積極的にボディタッチをした。
 
 子どもに包囲されたときもそうだったけれど、1人と打ち解けると、その人に近いタイプの人 たちとも打ち解けられた。今日ボクは自分と同い年くらいの若者たちの輪にハケルを通じて 入ることができたのだ。
 
 さっき、甲板でサンバを踊っていたカロルがボクにサンバを教えてくれた。グラマラスで笑顔 がとてもチャーミングな女の子である。カロルと踊っていたマドソンはバク宙を披露してちょっ と照れたりしてみせた。
 
 夜9時頃、悪夢の到来で楽しい夜はお開きになった。蛾やカナブンなどのジャングルの大 型昆虫がフェリーの照明に誘われ甲板を埋め尽くしたのだ。それも嵐のように。甲板の人々 はペキペキと足音を鳴らしながら足早に船室に戻る。全室の窓が密閉された。
    D
 マナウスのバスターミナルで1人ボアビスタ行きの夜行バスを待ちながら、ようやく息をつ いて思い出せたことがある。それまでボクの思考回路はストップしていた。肩と背中の日焼 けが今になってチリチリと痛み出した。そうか、日中カンカン照りの太陽のした、ハケル、マド ソン、カロルたちと上半身ハダカで遊んだんだっけ…。焼けつくような甲板の放射熱にさわや かな汗を流しながら…。
 
 夕方、刻一刻と近づくマナウスの港。ボクは荷物を整理しハンモックをたたんでいた。そこ に、ちょっとさびしげな表情のハケルが言葉少なにやってきたのだ。
 
 「ね、夕日、見に行こ?」
 「いいね。」
 
 今日で船旅は終わる。せっかく仲良くなったけれど、みんな今日でお別れだ。船室のいた るところで乗客同士が記念撮影や住所交換をしていた。ハケルと同じようにボクも多少なりと も一抹の寂しさを感じていた。甲板の端っこにイスを2つ並べて座る。言葉は交わさなかった し、お互いの表情も見なかった。
 
 はるか遠くにマナウス港がかすんで見えた。陽は傾きアマゾン川はオレンジ色に揺らめい た。そして…、ボクの目には何も映らなくなっていた。少し荒い吐息が、かすかな意識の奥で 耳元に聞こえていた。
 
 気が付くと、辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。港の明かりがすぐそこできらめいてい る。だいぶ時間が経ったらしい。ボクはなかなかイスから立ち上がることができなかった。ハ ケルは目をキラキラさせ、頬を染めながら、意地悪くボクを笑った。
 
 乗客と荷物で混乱した桟橋には、ハケルの妹ジョアナが待っていた。姉妹はボクを長距離 バスターミナルまで送ってくれた。時刻は夜10時を過ぎていた。
 
 ターミナルに着くとジョアナは手作りのお弁当をボクに差し出した。ハケルが事前にジョア ナにお願いしていたらしい。ご飯とファリーニャ(トウモロコシ粉のふりかけ)とフライドチキンが タッパーに入っていた。
 
 ボクは泣きそうになった。元来涙が出にくい体質のボクだったので、涙は出なかったけれ ど、代わりに汗が出た。胸が熱くなった。お礼がしたかったけれどボクは何も持っていない。 苦し紛れにポルトガル語やスペイン語などが書いてある5カ国語会話帳をわたした。
 
 それでも足りなくて切なくなった。
 
 …12時過ぎに、バスはターミナルにやって来た。ボクは少し後ろ髪を引かれたけれど、マ ナウスの街の最後の1歩をバスのステップに乗せた。
第六話 アマゾン川は止まらない@
ベレン…アマゾン川の河口に位置するアマゾン流域第 二の都市。
メルカド…マーケットのポルトガル語読み、市場の意 味。
 
 
 
 
 

ハンモック…これからアマゾン川を遡上する長距離移動 船に乗り込もうとしている。船は一等船室以外ベッドは ないため、乗客はハンモックを各々持参する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

危険…よく旅行ガイドなどで市場など人の集まるところ は危険と紹介されている。
 
 
 
 
 
第六話 アマゾン川は止まらないA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 アマゾン川は止まらないB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 アマゾン川は止まらないC
食堂…船内にはトイレ、泥水のシャワー、食堂があり、 三食の料金は船賃に含まれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
遠雷…遠くにとどろく見えない雷鳴。ジャングルではに わか雨のような天気が随時おとずれる。
ケーナ…アンデス山脈の原住民の伝統楽器でリード (吹き口)のないたて笛。ペルーから持ち歩きながら旅を していた。
サンバ…ブラジル伝統のダンス。テンポの早いリズムで 情熱的に踊る。男女ペアを組んだり、集団で腰を動かし ながら行進したりする。ブラジル人の9割がサンバを踏 めるそうだ。そしてブラジル人は日本人の9割が空手が できると思っている。
 
 
 
 
アフリカ系黒人…アメリカ人が南米大陸開拓の際にアフ リカから多くの黒人を連行してきたと、ハケル嬢は言っ ていた。ハケル嬢の肌はアフリカ系のように色が濃く、 きめが細かかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第六話 アマゾン川は止まらないD
マナウス…アマゾン川上流にある流域最大の港町。ボ クは河口のベレン港から上流を目指してここに行きつい た。
ボアビスタ…ブラジル北部、ベネズエラ国境にほど近い 町。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立ち上がることができない…生理現象をさらすのに羞恥 を感じ、直立することができない。
 
 
 
 
 

 紀行エッセイ「バスターミナル」