紀行エッセイ「バスターミナル」
第一章 その一歩を踏み出した
 
第一話 会社を辞める
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低だ…。」
 
それが、上司から言われた心からの最後の言葉だった。タッグを組んで4年目。お互いヒラ の先輩後輩だったころから兄弟のようにいつも一緒にいて、苦楽をともにし、そして今は部長 とその右腕という関係になっていた。お互いの身分もずいぶん変わった。一緒に合コンにで かけることも、いつしかなくなった。それでも人知れず2つの心は近く、たがいに信頼し合って いる。そんな間柄だった。
 
今から3か月前の9月、オレは上司に退職を告げた。普段から寡黙で冷静沈着な彼からは 想像もつかないような叱責に殴打され、「良く考えて出直してこい!」と怒鳴られることとなっ た。それから3か月後の12月、決意が変わらないことを伝えて今に至る。
 
信頼している彼だからこそ、オレは辞めたい理由を正直に言った。
 
「仕事はつらいけれど嫌いじゃないです。むしろ楽しいです。不満はありません。転職するくら いなら辞めていません。どこに行っても同じだと知っています。ただ…、旅がしたいのです。 挑戦しなければ、きっとオレは後悔します…。」
 
彼は怒涛のように、それでいて噛んで含むように説き臥せにかかった。ときには怒りの光線 を目から発し、ときには冷笑と蔑みを表情に浮かべながら、次のように語った。
 A   
レだってやりたいことがたくさんある。楽もしたい。でも、そうじゃないだろ?そりゃ、お前 が留学して腕を磨きたいとか、ボランティアに従事したいというのならば、まだ話はわかる。 だけど、お前の言う旅とやらをしてどうなるの?漠然としすぎて、意図がまったくわからない よ。そしてお前はどこに行きたいの?じゃぁ今までやってきたことは何だったわけ?これまで さんざん投資してもらって、さぁこれから恩返しをしてもらおうかって言うときにイイトコ取りで 辞めますって、ムシが良すぎる…!そしてその辞める理由もまったく理解に苦しむ自分勝手 な主張を並べるだけ…。最低だ…。」
 
その通りだった。しかしオレは、たまらなくなって言い返す。
 
「まだ…、足りませんか?オレはほかの同期には負けないくらい頑張ったつもりです。すべて をかけて組織に尽くしたつもりです。それは、アナタが一番知っているはずです。それでも、 足りませんか…?」
 
「…。そこまで言うなら数字で見せてやるっ!これがお前の実績だ!そこから頭割りにした 固定費をつければ、今年に入ってやっと今までの赤字を帳消しにしてトントンくらいだ。つまり この4年、オレはお前を育ててきて、なんのメリットもなかったんだね…。」
 
固定費には物件費や総務の人件費のほか、経営陣の福利厚生や創業者に対するのブラン ド使用料が含まれる。かたや実績には、人材育成、社風や士気をも含む社内インフラへの活 躍は含まれない。したがって人材力を安直に数値化することは、たとえば契約・派遣社員や 外注などのように人をビジネスライクに品物扱いする行為に近い。
 
この瞬間、二人三脚の絆は解き放たれた。きっとそう割り切るしか、もうお互い手だてはなか った。
  B  
度転職を経験している気の置けない友だち清澤に相談したら、意外な指摘を受けた。
 
「お前の言っていることはイチイチかっこつけていて、真意がまったく伝わらないんだよ。じゃ ぁ、どうしてそもそも今の職を選んだんだ?なんで今なんだ?自分でもわからなくなっている って状況だな?気楽に考えてみろよ。」
 
そう言われると、何となくだけどだんだんわかってきた。オレは家業を営む親を安心させたく てこの業界に入ったんだな。そもそも後を継ぐ気だから辞める気はもちろんあった。そんなな か、片親の老いが今日になって顕著に見えてきたので、長男のオレはそろそろ戻らなけれ ばならないと考え始めたんだ。だけど、その前にどうしても夢にチャレンジしたかった。
 
夢とは長期のひとり旅である。よく自分探しに放浪の旅に出るなんて冗談を言うことがあるけ れど、オレは本気で放浪の旅に出たかった。見たいモノや感じたいモノがある。社会に出て 地に根を張って生きていたら、もう絶対にできない。年齢による気力と体力も着実に衰える。 それくらいの断言は、もうできるようにはなっていた。
 
あくまで旅人になりきらなければ見ることができない、感じることができないモノをいまこそ確 かめたい。学生時代に南米放浪を経験して、それがオレの人生の糧になったことは確信を 持っている。それは、仕事の休暇にぶらりとどこかへ旅行に行って感じることとは違う経験だ った。
 
それをもう一度感じて、文章にまとめたかった。だから、ひとり旅をとことんしてみたかった。 いまこのタイミングで退職して、家業を本腰あげて手伝うまでにどこまでできるかチャレンジ すべきだ。そう思った。
   C 
うそう。要はな、物事は単純なんだよ。老いた親を助けにそろそろクニへ帰りたいんだ ろ?まぁ、旅ってもんがどうとかお前の信念とかは良ぉわからんが、それまでに挑戦したいこ とがあるんだろ?単純でありゃあるほど、『なんで?』って思わなくなるんだよ。『なんで?』っ て思えてしまうならまだかっこつけが入っているって証拠なんだよ。」
 
「で、でも…。上司の言っていることはもっともだし、オレ自身それでいいのか?という迷いが まだあるんだ…。」
 
「バカかお前!?迷うくらいならやめときゃいいだろ。本当にやりたいなら、迷わず黙ってやっ ているよ。誰かに賛同してもらいたい、背中を押してもらいたいなんて、男の決断にそんな甘 えなんかねーよ…。だがなぁ、立つ鳥跡を濁さずとは良く言ったもんでさ、体裁だけでも繕っ ていくのが大人だ。」
    D
終決断の取締役との三者面談の時、オレは「実家に帰って手伝いをしたいので辞めま す。」と一言だけ言い、あとは何も言わなかった。困惑した表情を浮かべる上司をしり目に、 ただ残念そうな顔を浮かべる取締役の眼の色を確認してから席を立った。
 
12月の全社忘年会、ほろ酔い気分のおえら方を探してビール瓶片手にあいさつに駆け回る オレがいた。このあたりの上層の人々は、部下の退職なんて日常茶飯事といわんばかり に、「残念だ。がんばれよ。」と言葉をかけてくれる。それらの言葉には、各々の気持ちは乗 っていはいるけれど、言葉自体が簡素であるため、重苦しさは感じられない。ちょうど良い塩 梅の離別の言葉である。
 
忘年会の終盤、しこたま飲んで上機嫌の上司を見つけ出して一献注いだ。彼はまさしく一年 間たまりにたまった疲れを洗い流しているようだった。そして、「ありがとう、ホントいままであ りがとうね。」と吹っ切れたように満面の笑顔で繰り返していた。
第一話 会社を辞める@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 会社を辞めるA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 会社を辞めるB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 会社を辞めるC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 会社を辞めるD 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 やりたいこと
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りたいことは、いっぱいある。人は、やりたいことのために行動を起こすものだ。理由もな しに動くことは、まぁないと思う。大きな迷いを振り切って、決断して、やりたいことを貫こうと するとき、悲しきかな、迷いすぎて自分でも本心がわからなくなることがときおりある。
 
たとえば20代の半ば過ぎ、社会人3年生くらいの男性のなかに、「オレはこのままで良いは ずがない」と意欲に燃えて転職を考える人がいる。新卒3年目で転職を経験する人はとても 多いのだ。その熱き若者たちの多くはとまでは言わないけれど、いくらかに転職の理由を聞 いても良くわからない。本人はわかっているつもりなのだが、他人からすればよくわからな い。
 
でも、他人をわからせるくらいまで具体的にしなければ、ワガママを押し通そうとしているよう に取られてしまうのが社会の厳しいところだ。
 
では、どうすればわかってもらえるだろうか?じつは難しく考える必要はなくて、本音を話せ ば良いだけのこと。心からわき出た言葉は人に伝わる。逆に作った言葉は人に伝わらない。 そういうものだ。だからまず、本当の自分の行動の理由、すなわち動機を自分自身が納得で きるまで掘り下げて追及するべきなのだ。
 A   
ちろん動機はいつも立派なものとは限らない。立派ではない動機は自分のプライドが認 めない。認めないけれど、言っても人間は楽をしたいものだし利己的にできているものだか ら、多くの動機はカッコ良いと言えるものでもないと思う。その葛藤の中で無意識に美しくカッ コ良い動機を自らでっち上げ、自分の中だけで確かなものとなってしまったかりそめの動機 は、他人に説明しても伝わりっこない。
 
そのなかで、コミュニケーションにつかれ、断念し、「わかる人にだけわかれば良い」という自 己正当化に陥ってしまったら、反省の余地さえ自ら奪ってしまうのものだ。
 
退職の理由を相手を納得させられる言い方は、例えばこんなものだろうか。
 
「転職先が決まったから。」
「実家に帰って家業を継ぐから。」
「疲れて心が折れたから。」
 
逆に良くわからないのは、例えばこんなのだと思う。
 
「自分の可能性を試したいから。」
「経験を深め広い視野をもちたいから。」
「人生の区切りだと感じたから。」
 
もっともビジネスライクのご時世にあっては、現実にこういうやり取りが行われるのは少ない のだろうが、対人感受性においてはどうだろうか?
 
装飾はいらない。上乗せの部分なんて相手には関係ないし、知る必要もない。
 
オレ自身、カッコつけた装飾で根底がわからなくなっていた点、大いに身に覚えがある。旅に 出るために会社を辞めたい理由を友だちに相談したときには「お前の言う旅だとか信念だと かは知ったこっちゃないけど、要は何かにチャレンジしてから実家に帰りたいんだろう?」と バッサリ切り捨てられたことがある。
 
「ボクちゃん、ガッコウに飽きたので、ちょっと遊んできてからお家に帰る」と思われたくないプ ライドが妙な装飾を施した。いやはや、己の並々ならぬピンボケを再確認するようで歯がゆい ものではある。
 
本当の理由は確かに本人にしかわかりっこない。だが、理由や状況はどうあれ少なくとも本 音は必ず人に伝わる。逆に人に伝わるくらいハッキリとモノが言えるほど、自分の中で考え を研ぎ澄ませれば自信にも変わるし迷いも断ち切れる。
  B  
ころで、オレは社会人である。27歳という年齢は社会責任を間違いなく背負っている点 で学生とは違うのだ。社会責任とはすなわち、生産性の問題であって、現在の生産活動をも って自分以外のすべてに対して「何か」を分け与えなければならない責任のことである。
 
逆を返せば自分の社会勉強になることをしても、非難される立場にある。社会勉強はもう終 わったのだ。そこが学生とは大きく違う。
 
社会人であれば無意識にそのことは感じているだろう。だから、やりたいことは自分以外の 誰かに何かを分けられる生産性のあることならば良いという概念はだれしも持っている。ボラ ンティアにしろスキルアップのための留学にしろそうした概念から社会的に許される。
 
社会人が異文化交流交換留学に行ってもだれもほめてはくれないけれど、社会人がたとえ ば英文会計、MBAの資格取得、欧米教育の実習活動をするために留学に行ったら文句は 言われない。なぜならば、これらは具体的な生産活動につながるからだ。
 
27歳のある程度まわりも見えてきているハズの成人男性が、現在すでに全うできている生 産活動をかなぐり捨てて、何かにチャレンジするには、それなりの動機が必要だった。そして その動機には「今後の生産活動に大きく関わる社会貢献的なものでありたい」という欲が少 なからず絡む。
 
学生時代に経験した長期のひとり旅が自分の糧となり、基盤となったことは確かだった。そ れではその基盤が具体的にどのようなものであり、そしてその基盤が社会生活を送る上で どの程度役に立つものなのかを立証することには大きく意義があった。
   C 
かしから「かわいい子には旅をさせろ」とはよく言うもので、旅は豊かな人生の経験にな りうるものだった。しかし旅の目的は、この豊かさの時代においていつからか「楽しみ」にす ぎないものとして定着しつつある。
 
それは現代社会では旅なんぞしなくとも責任を全うするうえでは何ら不自由しないほど情報 にあふれているからなのかもしれない。迫りくる情報化の波により、日常生活に資する知識 や常識は間接経験であらかた事足りるようになった。それゆえに、旅に期待される成果を人 はいつしか「好奇心の満足」に絞ってしまったわけだ。
 
ときに、世界経済の発展はめまぐるしく、我が国からも第一次、第二次産業は影をひそめ、 サービス中心のビジネスモデルが闊歩している。その形のないサービスはフィールド狭しと 海を越え世界に行動範囲を広げてしまった。
 
もうフィールドは日本国内だけではない。にも関わらず、日本の伝統的な悪癖たる、海外は 特別、外国語は難しいと言う傾向は根強い。いまやサービス業のトップを誇る今をときめく金 融フィールド、すなわち保険、証券、銀行業界はアメリカンファミリー、モルガンスタンレー、 HSBCをはじめとする外国資本においしい所をくまなく握られている体たらくである。
 
きっと、彼らは日本も世界数多存在する活躍のフィールドの一部としか見ていないのだろう。 彼らは自らの行動範囲が伝統的な日本人よりもはるかに広範囲にわたるという点で、圧倒 的に世界経済界においてリードを得ていることは否みようもない事実である。
 
エゾではない、南米大陸へ。奥の細道ではない、シルクロードへ。フィールドが広がれば、よ り広いフィールドに向けた旅による経験も見直されてもいいはずだ。世界を庭、もといビジネ スフィールドに取り込むことができるのは、世界を見ようとする意欲と、世界を見た経験に他 ならない。
 
そうであるならば、現代版「かわいい子には旅をさせろ」が成り立っても良いはずだと信じて いる。
    D
生時代の南米周遊から帰国して間もなく、就職活動を始めたときの話である。大手志望 先での面接時、自己PRのひとつとしてこの旅の経験を挙げた。しかし面接官の反応は渋く、 結局は「彼の知っている」日常に直結する具体的な経験や技能をアピールした方が効果的 だったのだ。
 
自分にとってひとり旅がいかに偉大な経験であっても、この現代の日本型企業においては 「長めで冒険的で元気な卒業観光旅行」として括られてしまう。
 
オレにはその風潮が耐え難かった。この、ひとり旅という人生経験の手段を、一般的にした いと思った。今後の日本を背負って立つ国際ビジネスマンの育成に一役買うと信じていた。 だから、旅を通じて得られた大切な経験を、もっともっと具体的にして世に知らしめたいと考 えた。
 
自らが旅をして経験を積むのではない。旅で得られる経験が何なのかを取材して記録する のだ。
 
これが、オレのやりたいこと。家業を継いで、人並みに働いて人並みのお金をもらって人並 みに過ごすという、人生の道を確定させるまでに、足を踏み込んでみたかった寄り道。そして ロマン。芽が出なかったら迷わずピントがまたもや世間様とズレていたと反省し、「地に足つ ける前に遊びたかったんです。」と謝る覚悟はできている、期間限定の最初で最後のチャレ ンジだ。
 
そしてその旅先として、日本から近くてあまりに遠いシルクロードを目指した。イメージだけは 知っているけれど、その実なにも知られていない非日常の世界へ。
第二話 やりたいこと@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 やりたいことA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 やりたいことB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
MBAとは欧米圏における経営修士の学位で、日本の 学位よりもはるかに実践的で即戦力になりうる実務資 格のようなもの。経営幹部に強く求められる技能。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 やりたいことC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第二話 やりたいことD
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ある不器用な生き方
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社を辞めて、現実から切り離された非日常で自分を見つめなおす。いわゆる放浪の旅 に出るなんて、ロマンチックじゃないか。多くの人があこがれ、羨み、そして夢に終わらせる。 見果てぬ夢。
 
仕事を辞めるわけにはいかない。帰ってから就職に苦労する。現実的ではない。だから、旅 になんて出られるわけがない。その通り、無理なんだ。現状の豊かな生活に飽きて、更なる 至福を追求するのでない限りは、夢で終わらせるべきだと思う。
 
だけど、それをやってのける人は、実はたくさんいる。学生時代に南米大陸を一周したときに も会社を退職してから飛び出したシルクロード諸国でも幾度となく30歳前後の働き盛りの長 期放浪者、バックパッカーたちに出会った。
 
彼らの大半は旅路において職を持っていない。社会責任を一時的に放棄して海外旅行にや ってきたわけだ。もちろん、仕事の休暇として個人旅行を楽しむ人もいるけれど、長期的に旅 をしている人と、バカンスとして旅をしている人との間には明確な違いがある。
 
その違いは何なのかはうまく言えないけれど、敢えて言うなれば「旅人」になれているか「日 本人観光客」であるかの違いなのだろう。素っ裸か、ステータスと責任で緻密に編み込まれ た衣服をまとっているかの違いだ。
 A   
浪の旅に憧れる人は、素っ裸になりたいのかもしれない。素っ裸になることは、ヌーディ ストに通ずるくらい気分が良いものだ。ヌーディストなんてやっているのは、社会生活に疲れ 果てた先進諸国の人々がほとんどじゃないか。
 
裸になって世界という未知のフィールドに飛び出してみれば、すべての不満から解放され る。そして、何かしら予期せぬ変化が起きたり、新しい扉が開かれるのではないか?そんな 期待も大いにあるのだろう。
 
だけど、そんなものは途方もない現実逃避だった。
 
一度社会を経験して世界に飛び出した人が、帰ってきてどういう生活を送っているかは、想 像にたやすい。なかには書いた旅行記が売れたり、写真やアートが世間に認められたりする 人もいるけれど、実際に手元に残されるのは余ったドル紙幣と満足感と達成感、そして胸い っぱいの思い出だけである。
 
どれも、自らの人生にとてつもなく豊かな潤いを与えてくれたことだろう。それと同時にどれ も、今後ご飯を食べていくにはあまりに頼りないものばかりなのだ。
 
世間はどう迎えてくれるだろうか。再就職の際、履歴書に旅行をしていた空白の時期を、 堂々と「海外放浪」などと埋めることはできるだろうか?
  B  
外で見られる30歳前後のバックパッカーは、みんな自由な環境にある人々なのだ。養 うべき家族がいない人。なおかつ手に職がある人。問答無用で帰る実家がある人。そういう 環境の人たちばかりなのである。
 
社会人に放浪の旅が許される条件は、そうした環境と運以外にないといっても過言ではな かろう。長期の海外滞在や海外での活躍を希望するのであれば、企業による海外研修制度 だったりボランティアや海外青年協力隊で渡航する以外に道はないのだ。それだけ、生産活 動を休んで日本から離れるということは、放浪の旅にしろ何にしろ責任が伴うものなのであ る。
 
かくいうオレも、多分にもれず自由な環境にあった。それはつまり何をどうしても、ひとさまに 迷惑をかけない限り誰からも文句を言われない立場である。独身で、幸いにも手に職がある 身分だ。さらに暖簾(のれん)を別にしてはいるものの甘えられる実家もある。
   C 
レは、そこに強い葛藤を感じた。責任が伴うはずなのにもかかわらず、オレは恵まれた 環境に甘んじて自己の満足だけを追求するのはもったいぞと、欲を出し始めたのだ。
 
であるならば、いつか世間に認めてもらえることをめざして、できるところまでチャレンジして みようと考えた。失敗したら手元には何も残らないカケのような挑戦ではあるけれど、失敗し ても失うものがないのであれば、やってみたい。
 
許されたなら、こういう道で高みを目指してみようと思った。目的地は、「ひとり旅について、 エンタテイメントだけでなく自己実現の一手段としての認知を得、学生に推奨するような文章 を出版する。」ということ。オレのこれから始める旅の動機である。
 
変な虫を騒がせず、おとなしく家業を継げば、誰からも非難されないだろう。むしろ褒められ るはずだ。奥さんをもらって子どもを育て、そこそこの家を建てればもう言うことはない。普通 の生活をキチンと送ることができるのが一番偉いことなのだ。
 
だけど。
 
普通ではない生活を許された以上、オレは失敗してもいいからできるところまで挑戦して、自 らの信じる目的地に向かって旅立とうと考えたのだ。人に理解されようとは思わない。だから こそ、結果を出すことだけに集中しないと…、自分を裏切ることになる。
    D
ういった暑苦しい信念というか意地のようなものを抱き、鼻息荒く奮起したのが、会社を 辞めたあの頃のことである。
 
紀行エッセイの出版を目指すというのがオレのさしあたっての目標になった。その目標は今 も変わらず眼前にちらついてき、あの後もこれからも、オレの活動の大義名分となった。
 
ズレていなければ、これこそオレにできる社会貢献だと信じている。今後の国際社会を生き 抜く人材育成の一マインドとして定着させ、意欲的な学生の出鼻をくじくような保守的否定を 減らし、あわよくば積極的な国際研修の発展につながることを目指して。
 
漠然と言えば、俗に言う広い視野とド根性が身につく程度のことなのだろう。それは海外放 浪なんてしたことがない人にも想像のつく範囲のことだと思う。
 
だから、本文において敢えて実体験と感性を誇張させて非日常を描くので、その中に日常を リンクさせて何を思うかを読者自信に感じ取ってもらいたい。旅先で何を思うかなんて人それ ぞれだから。大切なのは非日常のBGMの中でのできごと、つまり素っ裸で遭遇した出来事 に感じとること。
 
だから、今回の旅先にシルクロードを選んだのだが、場所は日常から離れていればどこでも いいというのが、旅を終えた現在におけるひとつの結論なのである。でも、遥かなるシルクロ ード、ロマンを駆り立てるでしょ?アジアに生きる万人のルーツ、想像を絶するイスラムの世 界の扉が、今開かれる…!?
第三話 ある不器用な生き方@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ある不器用な生き方A
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ある不器用な生き方B
 
 
 
 
著者は、学生に対してはひとり旅を積極的に推奨する が、社会人に対しては責任放棄に見合う見返りが明確 でない限りは、特に推奨をしない(否定もしない)。
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ある不器用な生き方C
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
第三話 ある不器用な生き方D
 
 
 
 
  紀行エッセイ「バスターミナル」