第三話 ある不器用な生き方 |
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会社を辞めて、現実から切り離された非日常で自分を見つめなおす。いわゆる放浪の旅
に出るなんて、ロマンチックじゃないか。多くの人があこがれ、羨み、そして夢に終わらせる。
見果てぬ夢。
仕事を辞めるわけにはいかない。帰ってから就職に苦労する。現実的ではない。だから、旅
になんて出られるわけがない。その通り、無理なんだ。現状の豊かな生活に飽きて、更なる
至福を追求するのでない限りは、夢で終わらせるべきだと思う。
だけど、それをやってのける人は、実はたくさんいる。学生時代に南米大陸を一周したときに
も会社を退職してから飛び出したシルクロード諸国でも幾度となく30歳前後の働き盛りの長
期放浪者、バックパッカーたちに出会った。
彼らの大半は旅路において職を持っていない。社会責任を一時的に放棄して海外旅行にや
ってきたわけだ。もちろん、仕事の休暇として個人旅行を楽しむ人もいるけれど、長期的に旅
をしている人と、バカンスとして旅をしている人との間には明確な違いがある。
その違いは何なのかはうまく言えないけれど、敢えて言うなれば「旅人」になれているか「日
本人観光客」であるかの違いなのだろう。素っ裸か、ステータスと責任で緻密に編み込まれ
た衣服をまとっているかの違いだ。
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放浪の旅に憧れる人は、素っ裸になりたいのかもしれない。素っ裸になることは、ヌーディ
ストに通ずるくらい気分が良いものだ。ヌーディストなんてやっているのは、社会生活に疲れ
果てた先進諸国の人々がほとんどじゃないか。
裸になって世界という未知のフィールドに飛び出してみれば、すべての不満から解放され
る。そして、何かしら予期せぬ変化が起きたり、新しい扉が開かれるのではないか?そんな
期待も大いにあるのだろう。
だけど、そんなものは途方もない現実逃避だった。
一度社会を経験して世界に飛び出した人が、帰ってきてどういう生活を送っているかは、想
像にたやすい。なかには書いた旅行記が売れたり、写真やアートが世間に認められたりする
人もいるけれど、実際に手元に残されるのは余ったドル紙幣と満足感と達成感、そして胸い
っぱいの思い出だけである。
どれも、自らの人生にとてつもなく豊かな潤いを与えてくれたことだろう。それと同時にどれ
も、今後ご飯を食べていくにはあまりに頼りないものばかりなのだ。
世間はどう迎えてくれるだろうか。再就職の際、履歴書に旅行をしていた空白の時期を、
堂々と「海外放浪」などと埋めることはできるだろうか?
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海外で見られる30歳前後のバックパッカーは、みんな自由な環境にある人々なのだ。養
うべき家族がいない人。なおかつ手に職がある人。問答無用で帰る実家がある人。そういう
環境の人たちばかりなのである。
社会人に放浪の旅が許される条件は、そうした環境と運以外にないといっても過言ではな
かろう。長期の海外滞在や海外での活躍を希望するのであれば、企業による海外研修制度
だったりボランティアや海外青年協力隊で渡航する以外に道はないのだ。それだけ、生産活
動を休んで日本から離れるということは、放浪の旅にしろ何にしろ責任が伴うものなのであ
る。
かくいうオレも、多分にもれず自由な環境にあった。それはつまり何をどうしても、ひとさまに
迷惑をかけない限り誰からも文句を言われない立場である。独身で、幸いにも手に職がある
身分だ。さらに暖簾(のれん)を別にしてはいるものの甘えられる実家もある。
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オレは、そこに強い葛藤を感じた。責任が伴うはずなのにもかかわらず、オレは恵まれた
環境に甘んじて自己の満足だけを追求するのはもったいぞと、欲を出し始めたのだ。
であるならば、いつか世間に認めてもらえることをめざして、できるところまでチャレンジして
みようと考えた。失敗したら手元には何も残らないカケのような挑戦ではあるけれど、失敗し
ても失うものがないのであれば、やってみたい。
許されたなら、こういう道で高みを目指してみようと思った。目的地は、「ひとり旅について、
エンタテイメントだけでなく自己実現の一手段としての認知を得、学生に推奨するような文章
を出版する。」ということ。オレのこれから始める旅の動機である。
変な虫を騒がせず、おとなしく家業を継げば、誰からも非難されないだろう。むしろ褒められ
るはずだ。奥さんをもらって子どもを育て、そこそこの家を建てればもう言うことはない。普通
の生活をキチンと送ることができるのが一番偉いことなのだ。
だけど。
普通ではない生活を許された以上、オレは失敗してもいいからできるところまで挑戦して、自
らの信じる目的地に向かって旅立とうと考えたのだ。人に理解されようとは思わない。だから
こそ、結果を出すことだけに集中しないと…、自分を裏切ることになる。
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そういった暑苦しい信念というか意地のようなものを抱き、鼻息荒く奮起したのが、会社を
辞めたあの頃のことである。
紀行エッセイの出版を目指すというのがオレのさしあたっての目標になった。その目標は今
も変わらず眼前にちらついてき、あの後もこれからも、オレの活動の大義名分となった。
ズレていなければ、これこそオレにできる社会貢献だと信じている。今後の国際社会を生き
抜く人材育成の一マインドとして定着させ、意欲的な学生の出鼻をくじくような保守的否定を
減らし、あわよくば積極的な国際研修の発展につながることを目指して。
漠然と言えば、俗に言う広い視野とド根性が身につく程度のことなのだろう。それは海外放
浪なんてしたことがない人にも想像のつく範囲のことだと思う。
だから、本文において敢えて実体験と感性を誇張させて非日常を描くので、その中に日常を
リンクさせて何を思うかを読者自信に感じ取ってもらいたい。旅先で何を思うかなんて人それ
ぞれだから。大切なのは非日常のBGMの中でのできごと、つまり素っ裸で遭遇した出来事
に感じとること。
だから、今回の旅先にシルクロードを選んだのだが、場所は日常から離れていればどこでも
いいというのが、旅を終えた現在におけるひとつの結論なのである。でも、遥かなるシルクロ
ード、ロマンを駆り立てるでしょ?アジアに生きる万人のルーツ、想像を絶するイスラムの世
界の扉が、今開かれる…!?
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第三話 ある不器用な生き方@
第三話 ある不器用な生き方A
第三話 ある不器用な生き方B
著者は、学生に対してはひとり旅を積極的に推奨する
が、社会人に対しては責任放棄に見合う見返りが明確
でない限りは、特に推奨をしない(否定もしない)。
第三話 ある不器用な生き方C
第三話 ある不器用な生き方D
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