紀行エッセイ「バスターミナル」
第二章 絹路の始まる大陸
 
第一話 末代のカリスマ
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田空港の待合ロビーでいつも思うのは、空弁を買うか否かということだ。そりゃぁ、一晩 以上のフライトならば、機内食もつくだろう。だけど、海外旅行に行く際には時差というものも 付きまとう。まったくもって悩ましい。
 
オレはどちらかというと意地汚い方なので、ご飯がないと切なくて元気がなくなる。だから、 そうした下らない問題であっても見過ごすことができない死活問題なのだ。
 
乗継地点、機内の乗客たちの顔ぶれ。日本語以外の言語が飛び交い、異国の人々がチラ ホラと見え始める。そこで、あぁこの女性はわりかしタイプだとか、この言葉は何語だろうか なんて詮索するのだ。
 
久しぶりの外国の空気を鼻から大きく吸い込むと、外国に出てきた日本人である自分に、冷 静に気付く。まだ、裸にはなっていないようだ。
 
この先は長い。何と言ってもユーラシア大陸を横断し、ヨーロッパ圏の玄関口ともいえるトル コまで行くのだ。しかも陸路で。普通の観光旅行とは違うんだということを、早くオレにとって の現実に溶かしたくて、この旅に掛ける情熱をあれやこれや考えているうちにロマンは膨ら んでいった。
 
やがて中国の古都、シーアン(西安)に到着した。
 
タラップに降り立ったとき、時刻はすでに真夜中の1時を過ぎていた。さっそくの試練だと思 い嬉々として空港敷地内に寝袋を広げるスペースを物色していると、間もなく警備員に追い 出される。離発着のない深夜の時間帯、西安空港は閉鎖された。
 
敷地から出るとホテルのあっ旋をしたくてウズウズしているタクシー運転手たちがワラワラと オレの周りに集まってきた。これが、旅の幕開けである。なに、ロマンもへったくれもないもん だ。ただ、これまで毎日のように繰り返してきた会社とアパートの往復生活とは、明らかに状 況を異にしていた。
西安のシンボル「ジョンロウ(鐘楼)」
 A   
西安市内は広い。Googleマップで見てみると、四方をかつての城壁に囲まれているのが わかる。一見するとこじんまりしているように見えるのだがあくまで大陸を統一した諸王朝た ちの都だ。一本一本の道がとてつもなく広く、歩くのには骨が折れる。あぁ、これからトルコま で陸路で向かうのか、遠いなぁ…。
 
シルクロードの起点とされる西安西門の外にあるシルクロード起点群像(絲綱之路起点群 像)には真っ先に訪れようと考えていた。ここより長安の隊商はラクダを引いて遥か西を目指 した。海のルートが開拓されるまでは、都からゴビ砂漠を越え中央アジアをまたぎ、ペルシャ を抜けてコンスタンティノープルを介し、欧州諸国と交易したという。
 
モノは豊かさ、そして文化。文明は学問や美術をもたらし人類は発展する。古き良き中国の 文化に大きく影響を受けた我々にとっても、デジャビュのように随所にルーツが垣間見れる はずだ。その起点を確認し、これから自らの足でたどるシルクロードへ思いを馳せようとし た。
 
が。
 
チャチな造りの隊商モニュメントがおかれた幹線道路の中央帯から見えるのは、ブーブーと 排気ガスを待ちきらす育ちの悪そうな自動車たち、そして裏手にはオレンジ色のガソリンスタ ンド。
 
とまれ、確認はできた。そこで気付く。確認作業はもうやめよう。期待との突合作業じゃ、つ まらない観光ツアーと一緒である。
 
素直に、感じる方に感性を向けるのが正解だ。ここに来るまでに見てきた桃売りに、季節感 や風土を感じるであろう。中国の初秋は白桃の季節。甘くてみずみずしく、上品で清楚な白 桃。ただの「もも」に感動することにしよう。西安駅で観光地図を売る人、鼓楼にいるモノ乞 い、無駄に多い白タクシーを見れば、単純明快な生活手段に、みなぎるパワーを感じよう。 そうしよう。
西安駅
  B  
西安には回坊地区と呼ばれるところがある。回坊とは、漢民族にしてイスラム教徒である 人々、回教徒のことだ。顔は中国人だけど、老年男性は髭を蓄え、女性は髪を隠す。ここか らは不思議な匂いがした。泥臭い中国の裏通りにもかかわらず、ところどころに立ち込める エキゾチックな紫煙に目をしぱたかせたものだ。
 
回坊地区に限らず、市内の食堂には良く清真の二文字が見うけられた。市内中央部にはチ ンチェンタース(清真大寺)とよばれる立派な寺院が保存されている。清真とはイスラムを表 す言葉なのだ。唐草文様に異国の風と宗教を感じる。シルクロードがもたらしたものは、文明 そして宗教。この道を通過することが許された宗教は、唯一イスラム教なのだと知ることとな った。
 イスラム寺院の清真大寺
日本の環境においては理解しがたいのだけど、宗教と文明は本当に密接なのだ。セットと言 ってもよかろう。かつて日出処に大陸から伝わったのは文明だけでなかった。仏教は古来あ った神道を排除する勢いでまたたく間に小さな島国に広がっていった。
 
ではあるが。日本はことごとく大陸諸国の発展とは異なる道を歩んできた。やがて大陸から 伝わったのは宗教であれ文明であれ、発展の下地に埋もれてしまった。そう遠くない昔話で ある。
 
ところが、このイスラミックロードをして発展せしめた都西安。宗教について言えば、割と柔軟 な対応をとっていたようだ。現に城壁内にイスラム寺院を擁すもその実、漢民族は仏教を信 仰するという不思議な均衡が保たれている。マジョリティとマイノリティが明確ながらも、奇妙 な共存を図っている。この大陸を統治した偉大な都は、宗教により人心をまとめあげたので はないようだ。
   C 
してその統治は、鉄板だったのだと思う。碑林博物館という旧時代の遺産を展示する博 物館は、中国でよく見かける品のないハリボテのような派手に浮かれたセンスは感じられな い、重厚で品のある硬派な芸術品の宝庫であった。それは、生活用品が既に芸術の域に達 していると言う点で、人々の心の豊かさが感じられるものだ。
 
兵馬俑という軍隊の群像が坑から発見されたのも西安である。数千と発掘された兵士の顔 は、ひとつとして表情を同じくするものはなく、すべて実在の人物をモデルにしたとも言われ る。その表情は生き生きとし、土像であるにもかかわらず瞳には輝きさえたたえる。すべて、 人だった。そのすべての人が始皇帝と呼ばれるたった1人の男にひざまづいた。
秦始皇帝兵馬俑坑
カリスマ。
 
秦から唐までの千年。いつの時代にも必ずカリスマが現れた。それは伝説を紡ぎ、後世に語 り継がれるヒーロー。人は人とつながる。これだけの人を繋ぎとめるのはカリスマ以外にいな かった。腕力では限界がある。口先だけでも頭の良い奴はゴマンといる。カリスマ以外にな んと言えよう。
 
宗教に勝るほどに、人の心をひとつに集めるカリスマたちが、西安にはいた。旅先のこの地 でオレは、感動と畏怖を感じずにはいられなかった。西安を確認したのではなく、西安を感じ たのだった。
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西安からさらに西へ行くほどに、文化の狭間を感じるようになった。空調のない硬座の列 車はひたすらに荒涼とした大地を走った。そして、チアユィーグアン(嘉峪関)という土地にや ってきた。ここには大国の国土の果てがある。すなわち、万里の長城の端っこである万里長 城第一土敦があるのだ。
壁懸長城万里長城第一(土敦)
荒野を超えてどこまでも東へ続く長城の先は、こんもりと盛られた塚のようなものが遺されて いた。その先は…。ここより先は国土ではないとみなされた異国があるのだ。イスラム教の 香りがさらに強くなる。
 
嘉峪関よりもさらに西、砂漠の玄関口ドンホァン(敦煌)の莫高窟は、イスラム教徒の排他的 破壊を逃れるため、時の有力者がひそかに崖に築かせた石窟寺院である。徳を積みたい、 幸せになりたい。そうした人の願いは永劫ところ違えど共通するものである。だが、ここでは 仏教がマイノリティだ。
莫高窟
玄奘三蔵が仏典を求め死地を超えて目指した西へ。いまはイスラム教徒の住まう土地であ る。さぁ、新疆ウイグル自治区へ。
ウイグル自治区に沈む夕日10:00pmサウナのようで快適な寝台バス
敦煌を発った夜行バスは灼熱の砂漠を走り始めた。
第一話 末代のカリスマ@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
陸のシルクロードの東の端は西安、西の端はトルコのイ スタンブールと言われている。
 
 
 
 
西安はかつて長安と呼ばれた歴史都市。紀元前の秦 代(あるいはそれ以前)から唐代までの千年にわたって 大陸の政治の中心となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 末代のカリスマA
 
Googleマップ西安上空写真はこちら。
 
 
 
長安は西安の旧名。
 
コンスタンティノープルとはイスタンブールの旧名。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 末代のカリスマB
 
 
 
 
 
イスラム教は回教または清真教ともいわれる。
清真マークを掲げる食堂は、戒律により豚肉を食べない イスラム教徒でも安心して食事ができる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日出処とは聖徳太子が唐代の中国に向けて書を送った ときに自称した日本国のこと。
 
 
 
 
 
イスラミックロードという単語はないが、著者がそう感じ たので文中で用いることにした。
イスラム寺院とは、いわゆるモスク、マスジッド、マスジ ェデのこと。清真大寺は742年(唐)建立。
 
 
第一話 末代のカリスマC
 
 
 
 
 
兵馬俑坑は、秦の始皇帝の墓に併設されたもの。秦の 始皇帝は紀元前210年(秦)没。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カリスマが、名君か暴君かはともかくとしている。
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 末代のカリスマD 
中国の鉄道は硬座、硬臥、軟座、軟臥の4クラスに大き く区別されていることが多く、硬座は一番安い。
土敦は「土へん+敦つくり」でドゥンと読む。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イスラム教徒は偶像崇拝を禁止し、異教徒の仏像やキ リスト像などを破壊する、排他的な性格を持っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
玄奘三蔵は紀元645年(唐代)に天山北路から中央ア ジアの砂漠を越えインドから長安に仏教経典を持ち帰っ た実在の人物。のちに物語を孫悟空をはじめとする妖 怪で脚色した西遊記が作られた。
 
 
 
 
 
 
第二話 中国人かたぎ
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国ん千年の歴史!なんて言うくらい、中国からは「らしい」ものがいくらでも思いつくはず だ。
 
三国志の織りなす大河のロマンに少年たちは血沸き肉躍る。世界三大料理の一に数えられ る中華料理もおいしいね。ジャッキー・チェンに代表されるカンフーアクションは世界にゆるぎ ない地位を築いた。華麗な舞踊、雅なる建築。どれもこれもセレブな響きを感じないか?由 緒正しくて、プライドさえ鼻につかない説得力のある歴史背景。
武神関帝廟(三国志蜀の将軍関羽雲長)
あぁ、中国、素晴らしき伝統に彩られた老国家よ。そのたたえる雰囲気と迫力に、国家として の並々ならぬ人格が垣間見れる。

嘉峪関(モンゴルとの西端の関所)西安の水墨画ギャラリー
ところがだ。
 
近年の中国人ったら良いイメージなんてろくにない。そのどれもが品格のなさに端を発する。 そして日本人がイメージする中国の悪いところは、良いイメージに増してワールドワイドで共 通なのである。
 
名も知られていない小さな貧しい国の中国人に会ったこともない人々が、イメージだけで中 国人をバカにしていた。中華風フェイスのオレは南米でだってイスラム諸国でだって「チニー ト!」だとか「チャンチンチョーン!」だとかいわれもない嘲笑を嫌というほど浴びたものだ。日 本人だと名乗れば態度が一変するわけだから、肌の色やのっぺりした顔立ちでからかわれ ているというわけではないようである。
 A   
れは私見に過ぎないのであるが、ここまでバカにされているのは迫力があるのに品がな いという相反のギャップが強すぎるからなのだと思う。短く言えば、少し攻撃的ではあるけれ ど、目立つダサさは嫌われる…。
 
迫力とは無限大ともいえる爆発的なマンパワー。ユダヤ商人よりも華僑商人の方が世界に ハバをきかせている。ここまで適応力が高く体力がある民族はほかに浮かぶだろうか。
 
国民1人当たり年間GDPが2万円足らずのタジキスタン、断崖の道路工事作業員として派遣 されている外国人労働者は中国人であった。いまや日本人が旅行に行きそうなどの国にお いても中華系ショップは見られる。
タジキスタン道路事業に従事する中国人労働者
そして下品とは品格のなさ。大声、わがまま、利己主義、ハデ好き、手鼻、唾吐きなどなど のイメージがわくだろう。
 
キルギス人の友だちグリザールに聞いてみると、やはり中国人は好きではないと言った。問 うてみれば「中国人はマナーが悪くてルールを守らないデスヨ。」と。たぶん彼女のキルギス における日常生活において、中国人がルールを守らないことによって被害をこうむるシチュエ ーションは考えにくいから、きっとイメージなのだ。
 
キルギスは中央アジアにある、旧ソ連から独立した草原の小国である。ロシア風モンゴルと 言えばイメージがつくだろうか。日本人の多くは名前さえも初めて聞くかもしれないけれど、 そうした国ですら中国をイメージで嫌っている。
 
中国観光で楽しみにしていた歴史建築が、真っ赤なペンキでベタ塗りにされて、派手なライト アップで雰囲気を台無しにされていると、心底ガッカリする。絶景よりもディズニーなどの著作 権を無視したハリボテを愛で、記念撮影に明け暮れる現地人観光客の様子を見ると、たとえ が浮かんだ。
ウルムチの紅山公園入り口
ほろりと苦いフキノトウは彼らの口には合わないのかも…。
 
利己的でわがままで周囲に対する配慮に欠け単純明快な表現にわかりやすい喜びを表現 する。ちょっと、偉大な老国家の品格としては幼いような気がした。
 
その一方、持前のマンパワーや高い適応能力は、戦乱を幾多となく超えた悠久の歴史に裏 付けられるゆるぎない地盤によるもの、つまり年の功とも思える。
 
ここに、品格の幼さと、年輪を重ねたどっしりとした幹が、おおきなギャップとして垣間見れ た。
 
日本の会社を退職して中国に留学しながら中国文化を独自に研究している日本人男性によ ると、「文化大革命が、すべてを崩壊させた」と断言していた。古い考えを捨て、文化を革命 すべし、と。そうして良くも悪くもかなぐり捨てたのは、文化だけでなく、伝統的な品格もしか りなのだろうか。
 
なるほど、国民性の品格というものは歴史に裏付けられるものだとすれば、その通りかもし れない。宗教国家であれば宗教哲学に裏付けられた道徳観や品性が備わるものだ。宗教 による裏付けによるのでなければ、伝統以外にないと思う。それは日本の武士道だったり、 英国の騎士道だったり、韓国の儒教だったりするものだろう。
 
中国は日本や韓国と同様、そこまで威圧的な宗教統治がされていないし、宗教が政治に濫 用された歴史もついぞ聞かない。であるならば品性は伝統に基づいているはずだった。その 伝統を片っ端から打ち崩してしまった文化大革命により、品性が一気に若返ってしまったの だろうか。そのような気がしてならない。
  B  
ちろん、北京や上海などの大都会の中国人と、西安以西の地方都市の中国人とはその 意識に大きなズレはあるだろう。今回オレが訪れたのは後者にすぎない。そこで良いイメー ジをカバーして余りのあるそうした悪いイメージにある程度の覚悟決めて訪れてみると、どう したことか。なぁに、実はそこまで憂うべくもなし。
 
電車に乗っても食べカスは床ではなくちゃんと窓から投げ捨ててくれるし、自分の乗車券の 座席に知らないオッサンが座っていても、言えばちゃんと席を譲ってくれる。唾は人にかから ないようにあっちを向いて吐くし、室内で吐く場合も通路ではなくテーブルの下など人の通ら ないところに吐く。少なくともインドのようにバナナの皮でスッテーンと転倒する危険性はそう ないと言えよう。
 
バスや公共施設で、遠慮なく携帯電話を鳴らすのだって、うるさいけれど無害。それよか税 理士会や医師会や国会なんかで踏ん反り返って携帯を鳴らすお偉い皆様の方が、場を考え ればよっぽど非常識なのだ。
 
ノースリーブの若い女性がセクシーなワキ毛をさらしていても、おフランス流と思えばファッシ ョナブルだ(といったらウソになる)。若い女の子のパンチラした白パンツが染みやら泥やらで 茶色く変色していても、パンチラ見れたんだから良いじゃないか(百年の恋も冷める)。
 
…いやいや、だんだん感覚がおかしくなってきたぞ。まぁ、つまり、残念ながら、実際問題と して、あんまり品の良いものではないのは確かなようだ。深い歴史に培われたハズの品格 はどこへやら…。
 
先ごろ旅先ドンホァン(敦煌)で知り合った、中国で日本語教師をしているエミに聞くと、今で こそニーハオトイレは減ってきたものの、パンツを上げる前に個室から出てきてしまうギャル が後を絶たないという。
 
「生理現象だから、食べることと同じ感覚で、あまりその行為を恥じらうという文化はないの かもね。」
 
などと言っていた。うーむ。グローバルスタンダードという言葉が浮かんだが、すぐに撃沈し た。どんなグローバルな基準も、この国の迫力には飲み込まれ、手をひねられる赤子のごと し、か。
   C 
こで文章の流れを正しておきたいのだが、中国人が劣等民族であるとはまったく思って いないし、下賤だとも悪いとも思っていない。一個人はあくまで普通に生きている人間であ る。道徳も常識ももちろんある。
 
今回の旅でも香港周辺や北京など、わりと発展的な地域の中国人バックパッカーにまれに 会った。彼らは日本人や欧米圏のバックパッカーとなんら変わらない。
 
変わらない点とは、つまり、外国語を積極的に話し、ルールを守る。まず、そもそもここにおけ るルールとは何であるか周囲を見回して確認しようとするのだ。もちろん、中国人同士で母 国語で話をするときは声も大きくなることもあるけれど、それは日本人宿で共有スペースに iPODや携帯電話を放置している日本人たちと大差ない気の緩みなのだろう。
 
一方で、成金の中国人団体観光客が発展途上国にドヤドヤやってきては、雰囲気を考えず 大声で話し、売店で大枚をはたき、記念撮影ポイントを占領したりする。イメージ通りの中国 がここにジオラマ的に展開される。
 
まるで高度経済成長期に農協か何かの旗を掲げて土足で人さまのお宅(発展途上国)上が り込んで行った、いまやコントになりつつある日本人団体観光客のようだ。オヤジは女を買い あさり、オバハンは小金で「安い安い」と際限のないショッピングを楽しんだという。
 
バックパッカーと団体観光客の違いは何か。それは裸になっているか否かの違いだ。ここで 初めて何々人というステータスは取り払われて一個の人としての品性がはからずとも滲みだ す。と同時に、色眼鏡を外し、異文化を体験し感じ取ることができるのだろう。
 
観光ツアーが悪いというわけではないし、裸にならないのが悪いわけではない。ましてやバ ックパッカーのようなスタイルを観光旅行よりも旅の優位に置くのは大きな誤りでありナンセ ンスである。旅の目的が違うのであるから、そもそも比較のしようがないことに注意された い。
 
また、中国人に問題があるわけでもない。自分流を自己中心的にヨソへ持ち込むのが問題 なのだ。悲しいことに革命後の新しい中国は、まだヨソ行きが苦手なのである。
 
逆に中国に行ったのであれば我々こそ中国流を受け入れて裸にならないといけない。そうし てみると、その中国流の中で営まれる中国人の生活やそこに垣間見れる個々の人格が見 えてくる。
 
世話焼きだけど人のテリトリーにずけずけ入り込むほどなれなれしくもない。困っている人は ちゃんと気にかけてくれる。人に対する興味もあり、ポジティブに呼びかけや投げかけを惜し みなくしてくれるではないか。
 
そのスマートな親切心は宗教的な徳のためでも、経済的な利益のためでもなく、真実のつつ ましやかな良心そのものからわき起こるものであることがわかるだろう。
 
ドンホァン(敦煌)の隋オヤジは腹痛のオレを気遣って、薬局まで付いてきては怪しい調剤士 に処方の通訳をしてくれた。
 
チウチュエン(酒泉)の旅行代理店の少女たちは、宿なしで困ったオレのために外国人が宿 泊できる安ホテルを必死で探してくれた。お礼に日本の飴を渡そうとしてもかたくなに受け取 ろうとしなかった。「貧乏なあなたの貴重な食料でしょ?」とこう来るのだ。あれ?
 
鉄道のボックス席をシェアしたハミ(哈密)へ向かうの少数民族の女性たちは、オレの口に無 理やり雑草の塩焼きをサンドした焼き小麦(パンとかけ離れナンとも言い難い)を押し込んで は「食え食え、元気を付けろ」と励ました。
 
砂漠の真ん中、万里の長城のいっとう西端にある第一土敦の、人っ子一人いないさびれた 売店の中からは、爆音の英語レッスンカセットテープが響き渡り、ピンインにも聞こえる英語 の発声練習が合唱の様に後を付いてきた。次は何週間後に観光客がやってくるとも知れず …。
万里長城第一土敦の売店
他にも中国における中国人とふれ合った体験なんてたくさんある。そのどれもが良い思い出 になってオレの旅を彩ってくれた。あぁ、いろんな人に出会えた。
 
中国で出会ったチンフータオ君から送られてきたメールを掲載しよう。英語も日本語も通じな いから、中国語で送ってきたものを、中国で日本語教師をする友人コータローに翻訳してもら ったものである。
 
      中国の新疆ウルムチの天池から別れて、半年あまりが過ぎました。
天池
       まだ、ボクのことを覚えていますか。
       キミは、半年間で6ヶ国の国を旅すると話していました。
       今、どこを旅していますか。

       ボクは、この半年間もとても忙しかったです。
       この間、ずっとボクはキミにE-mailを送っていませんでした。
      キミが、ボクの事をまだ覚えてくれているかどうか分かりません。
       ボクたちは、旅行会社のツアーで一緒に天池に行きました。
天池
       キミは、別れる時に、ボクに一枚の紙をくれました。そして、
       ボクたちには縁があると言ってくれていました。
       それから、ボクと彼女に日本のコインを何枚かくれました。
       ボクの彼女は、キミにアメをあげました。
       旅を楽しむことを心から願っています。
       どうぞ、道中お気をつけて下さい。
 
これらの人格のどこに、見下す要素があるだろう。
    D
オヤジは、ドンホァン(敦煌)で個人の観光エージェントしている。巧みなあやしい日本語 を駆使して、敦煌にふらふらとやってきた日本人個人旅行者を自らが入り浸る飲み屋に連れ 込んではオリジナルツアーをあっせんするのだ。
莫高窟
料金は安くはない。だが、高くもない。敦煌では一般的な観光地である鳴沙山・月牙泉や莫 高窟などのツアーも組んでくれるが、彼ならではのオリジナルツアーも多い。まだ観光開発 されていないゴビ砂漠の穴場スポットにビール片手にふらりと行って星を眺める天の川ツア ーなんかは、一般的な旅行会社では絶対に扱っていないだろう。
鳴沙山と月牙泉
どうせ観光にお金を払うなら、彼の方が良い。日本語が使える現地人ということで公私にわ たり頼りになるし、なにより夜ビールを飲みながら雑談するのも楽しいものだ。
 
そんな彼は、雑談の中で一人っ子政策について語った。
 
「中国は農業中心ですよ。人は多ければ良い。そう考える人が多いから、日本とは違う。どこ かで調整をしなければ人は増え続けて、食べるものがなくなります。」
「じゃぁ、一人っ子政策は中国人も推奨しているの?」
「いや、難しいです。でもたとえば農村でどうしても人手が必要という場合は、一人っ子じゃな くても良いという例外があります。だから、なんでもかんでも一人っ子というわけじゃないか ら、そこはあまり問題にならないです。」
「隋オヤジはどう思っているの?」
「私は今のままではよくないと思う。人がいなければ発展はしない。何とかしないといけな い。若い人がいない国は発展しない。日本人には理解できないでしょう。」
 
日本だって、農業中心の産業だった、人は多い方が良かっただろう。それが移行したのは経 済や国際情勢の変化に伴ってのこと。中国はまだそこまで来ていない。であるならば、日本 との比較はできないはずだ。
 
バランスは難しいだろう。偏った人口政策にばかり力を入れていると、日本のゆとり教育み たいなことになってしまうのではないかと、心配になる。
エミと隋オヤジとオレ(天の川ツアーにて)
中国というところは、掘り下げればいくらでも何かが出てきそうな、底なしのふところを持つ奇 妙奇天烈な国だった。
第二話 中国人かたぎ@
 
 
 
 
世界三大料理は、中華料理とフランス料理とトルコ料理 である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 中国人かたぎA
 
 
 
 
 
 
 
タジキスタンは中央アジアにある旧ソ連から独立した5 スタン諸国(カザフスタン・キルギスタン・タジキスタン・ ウズベキスタン・トルクメニスタン)の中で最も貧しいとさ れる。中国南西部、天山山脈と崑崙山脈の交わるあた りにある山岳国家。
 
 
 
 
 
 
 
 
グリザールは、著者が日本においてインターネット無料 電話スカイプでロシア語を勉強していたときのキルギス 人女性教師で、著者がキルギスを訪れた際に会いに行 った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文革は1960〜1970に中国で起こった大クーデター で、その影響は政治権力のみならず文明、社会、思想 の粛清運動にまで発展した。巻き込まれて死亡した人 民は1億人を超えるとも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 中国人かたぎB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
エミは敦煌の隋オヤジの酒屋で日もくれぬうちからビー ルを飲んでいたところ著者と出会った。開口一番著者に 飲酒を勧め、それから仲良くなった。なかなかの美女で あるが峠を越してオヤジ化してしまった○代前半の独 身。自称18歳の生娘。
ニーハオトイレとは大便器のつい立てが低い、またはな い中国ン千年の歴史を誇る伝統的なトイレ。用を足すた めにしゃがむと、隣の人と顔を合わせられることから、中 国語の「こんにちは」であるニーハオと掛けてそう呼称す る。
 
第二話 中国人かたぎC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本人宿とは日本人が経営し、または日本人が集まる 宿で、発展途上国などにある個人旅行者向けの安宿で あることが多い。
 
 
 
 
作家の遠藤周作がその著書でコミカルにデフォルメして 描いたこともあるが、いずれにせよ近いことが行われて いたことは事実のようだ。
 
 
 
 
 
観光旅行は旅の目的を、もっぱらエンタテイメントに置く のに対し、バックパッカー的な長期の旅をする人の多く は旅の目的をエンタテイメントに特に限定しない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
隋オヤジについてはDで後述。敦煌は中国西部真教と の境あたりにある町で、歴史あるゴビ砂漠のオアシス 都市。世界遺産の莫高窟が有名。
酒泉はかつての中国諸王朝の支配した地域でも西端 に位置し、世界遺産の万里の長城のいっとう端っこの遺 跡で有名。旅をした2008年は酒泉に限らずチベット問 題とオリンピックの影響で外国人の安宿への宿泊が厳 しく制限されていた。
哈密とは新疆ウイグル自治区の東端に位置する交通の 拠点。シルクロードに貫かれ、独特の砂漠文化を持って いるエキゾチックな町。ナンは平たい原始的なパンのこ と。
中国の地方には様々な少数民族が混在している。この 女性たちは身長が極めて低く、肌はアカギレて浅黒く、 瞳は透き通るような薄いブラウン色だった。
ピンインとは中国語の発音のアルファベット表記のこと で、四声と呼ばれる独特の抑揚をつけて意味を持たさ る。語学用語。
 
 
 
 
 
 
 
コータローは、キルギスで出会ってから2週間以上も行 動を共にした旅の道連れである。訳文には若干の修正 を加えている。
天池は新疆ウイグル自治区の区都ウルムチの郊外に ある天山山脈系の山岳湖景勝地で、中国のスイスと称 され中国人観光客に大人気。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 中国人かたぎD 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ウイグルごはん
@    
 激情家で理屈っぽいロマンティスト、オレの性質である。だから、本能的な興味は人に 増して強い方だ。つまり、モテない割には惚れっぽく、そしてエロい。また、性欲と並び食欲 にも、オレの興味は強くつよく注がれる。
 
 よく欧米圏の旅行者が、発展途上国の安食堂にちゅうちょして高い割においしくない外国 人向けのバーガー・ピザショップを探し回っているけれど、彼らを見るとちょっとした優越感に ひたれたりもする。
 
 旅の中であらゆる興味に向かって探究することができるのは、良いことだ。むしろ、目的を 限定してしまったらもったいない。縦横無尽にわき起こる興味を追求し、正直に感じることが 一番の楽しみ方だと思う。だから、オレの旅には「手記」が欠かせない。この興味を無制限に 追求できる喜びを少しでも人と共有できたら、もっと楽しいのだと思う。
 
 恵まれた環境のおかげでせっかく実現した旅なのに、恐怖心で足踏みなんかしていたら、 なおさら損な話だ。旅立つ前、AsagayaLoftというイベントスペースで知り合った辺境・旅・温 泉フリーコーディネーター今田壮氏はオレにメールでこう激励してくれた。
放浪宿シリーズ:LOFT BOOKS
「迷ったらオモロいニオイの方に進め!(原文まま)」
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 ときに。
 
 料理食材あまたあれど、ことに果物は面白い。
 
 三国志で蜀の劉備玄徳・関羽雲長・張飛翼徳が乱世の民の塗炭を救うべく起ち上がって 義兄弟の誓いを結んだ「桃園の誓い」に代表されるように、中国は桃の原産地だ。白い桃の 上品で優しい甘味は、古き良き中国の流麗なる大陸文化をかぐわせてやまない。
モモの花:果物ナビ
 中国は北西部奥に進んだドンホァン(敦煌)やトルファンで、オレにとって思い入れの深い 果実に再会することができた。南米エクアドルやボリビアで良く見た、つるつるの薄皮をむし ってかぶりつける珍しい小型メロンである。温暖で乾燥した地域で栽培されるのだろうか。元 来ウリ科の植物は乾燥気候に強いと聞く。
さわやかな甘さのコブシ大ミニメロン
 この敦煌周辺から土地柄ががらりと変わった。ここはゴビ砂漠の入口のオアシス都市なの だ。新疆ウイグル自治区にはオアシス都市が点在するのだが、なかでもハミ(哈密)にはハ ミ瓜と呼ばれる独特のメロンがある。強烈な甘さと潤沢な水分が特徴的。
甘味が強くみずみずしいハミグァ(哈密瓜)
 さらに西を目指して内陸に進むと砂漠気候になり、ブドウとスイカが多くなる。暑いのだけ れど熱帯フルーツは皆無。世界的にポピュラーなバナナでさえまだまだ高級で1本づつのバ ラ売りが基本である。地中海のように潮風柔らかくいっぱいの太陽に育まれるカンキツ類は まず見かけない。
トルクメニスタンの市場の長メロンウズベキスタンの市場のかぼちゃとスイカ
キルギスの市場のスイカとメロンカザフスタンの市場の金瓜メロン
 果実は市場の彩り、そして、華である。旅先で訪れる土地ごとに、市場の華の色を見て旅 情を感じるなんてオツではなかろうか。
 タジキスタンの市場、赤いのはザクロ
 それに、フルーツは野菜大好き日本人の旅路における貴重なビタミン源になりうる。そして 食べなれない味の料理が続いて疲れた舌とおなかを優しい甘さで癒してくれる。絶対にハ ズレのない舌のオアシスだ。
 キルギスの山地、その辺になっていた果実
 旅先では果物を食べよう!食以外の楽しみもいっぱい詰まった幸せの実なのだ。
  B  
 さて。
 
 シルクロードの内陸の焦土に育つ穀物は、主に麦である。中国北西部ではメン類が主食と して食べられており、それより西の中央アジア諸国ではラグマン(ラグメン)と呼ばれる汁うど んが良く食べられている。
ニュゥロォミェン(牛肉麺):中国北西部名物ラグマン:中央アジアの汁うどん
 そのほか、中央アジアで代表的な料理は、小龍包のようなマントゥ(マントゥ、マントィ)、油 ピラフであるポロフ(ポロ、プラウ)、羊肉の串焼きであるシャシリク(ケバブ、カワップ)、塩汁 ポトフのショルポ(シュルパ、シャルバ)であり、どこに行ってもたいていの食堂で食べること ができる。
ひき羊肉と玉ねぎのマントゥ人参羊肉油ピラフのポロフ
シャシリク(トマト・睾丸・モモ・レバ)肉と脂身と野菜の塩煮のショルポ
 中央アジアを取り巻く地域に遊牧していた人々、つまりカザック人、キルギス人、タジク 人、ウズベク人、トルクメン人、ウイグル人たちの定番料理と言えば、若干の地域差あれど 基本的には共通していて、このラグマン、マントゥ、ポロフ、シャシリク、ショルポの5品に絞ら れる。
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 もちろん毎日これらのローテーションを繰り返していれば飽きてくるのも仕方がない。
 
 中国国内のウイグル自治区であれば中華料理で気分転換することができる。だが。中国 ひろしといえど、西安以西の地方都市においては国内最低レベルの味の水準を誇るのだ。 食堂によって味と値段のバランスは大きすぎ、ランダムでチョイスした食堂でおいしいものに ありつける確率は2割以下だというのが正直な感想である。
ウルムチの海鮮砂鍋(春雨の土鍋)敦煌のロバ肉ピリ辛醤油炒め
 中央アジアの5スタン諸国においては、定住化して以来、ある程度料理の文化というもの も定着させてきた。その料理というのは世界三大料理のひとつトルコ料理をルーツとするも のである。
詰めるという意味のドルマ(野菜の肉詰め)
 また、旧ソ連時代の名残りでいくらかロシヤ料理も食べられる。 酢漬け赤カブのスープでボルシチらしい油分でげんなりブリゾーリ(肉と生野菜のサワークリーム和えオムレツ)
 しかしながら、いずれも残念なことに所詮はコピー品質で、二口目からきつくなってしまうこ とが多いのだ。そもそも料理を楽しもうという文化がない所に技術を持ち込んだところで、付 け焼刃にとどまるのは是非もないことなのである。
 
 それだからなのか、少なくともこれらラグマン、マントゥ、ポロフ、シャシリク、ショルポはいず れもはじめての安食堂では安心して注文できるものであるには違いなかった。巡り巡ってま たここへ戻ってきてしまう感覚だろうか。
 
 しかし、これらの5大料理がおいしければ良いのだけれど、実際問題として他が貧しいから こそまだ耐えうるが、一般的には日本人の舌をうならせるほど卓越洗練された味とは言い難 い。
 
 また、これらの地域の料理は理由があって脂分をふんだんに用いる。その理由とは、また 別途説を設けて紹介する。たまに一品食べるなら良い。だけど、ケンタッキーフライドチキン・ 背油を浮かせたとんこつラーメンクラスの脂分を含む料理を毎日繰り返し3食続ければどうだ ろう…。
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 しかしだ、地域により味に差は幾分ある中で突然変異のごとく降臨した料理があった。 それは新疆(ウイグル)風のラグマンだ。
 
 普通ラグマンは、給食のソフト麺を三昼夜ぬるま湯に浸したようなコシがないうどんに、野 菜と羊肉の脂身をトマト風味でごった煮にした塩スープをかけたもの。
 
 しかし新疆ラグマンのうどんのコシは讃岐のそれに勝るとも劣らず、またカケ出汁もトロリと するほどトマトと野菜の濃厚な味が染みだしており、羊肉の臭みをやわらかく包み込んで肉 のうま味だけを抽出する逸物だった。脂も臭くなく肉汁として素材に調和するから、しつこさも 感じられない。
新疆のおいしいラグマン
 どことなくアルデンテトマトパスタにも相通ずるものがなかろうか。麺のシルクロードをほう ふつさせ、愛着さえ湧く。そして、その独特のコシと濃厚なスープは旧ソ連から独立し資本主 義旋風に煽られ始めた中央アジア諸国でも口コミで広がり、ラグマンキタイスキー(露:中華 風のラグマン)としてちらほら見かけられるようにもなったのだ。
キルギスの新疆風ラグマン専門店
 この新疆ラグマン、日本では全く認知されてはいないけれど、もともと麺類が好きな日本人 には牛丼に近い感覚で受け入れられるのではないかとさえ思う。野菜も大量に摂取すること ができ、また羊肉のカルチニンは脂肪燃焼にも役立つので健康志向にもマッチしてはいまい か。羊肉が苦手な人には鶏肉ラグマンがある。こちらも割高ではあるが新疆で多く食べられ ている。
 
 サイドメニューとしてマントゥやシャシリクを備えれば、アルコール類の提供にまで対応でき てしまうのだ。もう、これは日本に持ち込んで、いっちょ商売をやらかすしか、ないではない か。美食国家日本とは異いえ、まだまだ世界には知られざる食文化がゴマンとあって、その なかには日本人の下に合うものも数えきれない。
新疆の大ぶりなマントゥのランチセット様々な部位の肉を扱うシャシリク(カワプ)屋台
 外国に出て、食を追求することの面白さを見出さざるを得なかった。……さて、話を大きく軌 道修正したい。
 
 まず、冒頭のフレーズを思い出してほしい。今田壮氏の激励文「迷ったらオモロいニオイの 方に進め!(原文まま)」だ。
 
 別に料理店をやるために海外に出ろというのではない。どんなことがどんなアイディアつな がるかなんてまったく予想もつかないことじゃないか。だけど、ひとつ断言できるのは、まず、 引き出しがなければアイディアなんか浮かびっこないということなのだ。
 
 興味に素直であれ、これを追求されたし!さて次は、エロでも追求してみようかな…。
第三話 ウイグルごはん@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ウイグルごはんA
 
 
 
 
著者は吉川英治氏の三国志を愛読しているが、作家に よって史実の解釈は異なることがある。
西安では露店などで気軽に買えるが、農薬が多いので 必ず皮をむいて食べること。白い桃のほか、やや味にパ ンチのある黄桃、糖分が高くて平べったい蟠桃(ばんと う)など、種類も豊富。
 
 
 
 
西語ではペピーナ(きゅうり)メロンと呼ばれていたが、 正式名称および漢名は不明。さわやかな甘み。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ブドウは新疆のトルファン(吐魯番)ブドウが有名。小粒 で糖度が極めて高く、のどが渇くほど甘い。
スイカは地域にもよるが大玉ひとつ100円〜程度で買 える。メロンはスイカよりも少々高い程度。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

野菜のビタミンを食事ではなく食後のデザート(主にフル ーツ)で摂る習慣の国は多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ウイグルごはんB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地域によって呼び名が多少異なる。どの料理からもル ーツのようなものが感じられる。
 マントゥ…まんじゅう
 ポロフ…ピラフ、炒飯
 ラグマン…トマトパスタ、うどん、ラーメン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ウイグルごはんC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世界三大料理は中華料理、フランス料理、トルコ料理で ある。必ずしも「万人においしい」とされているわけでは なく、長い歴史の中で研ぎ澄まされた調理技術、味覚 の幅、食材の幅などが優れていて、なおかつ世界中の 料理に強い影響を与えているものだと、著者は解釈して いる。またトルコは欧州文明、アジア文明のかけ橋とし て双方の文明の融合地点として有史以前から栄えた土 地であるから、そうした基準でも世界三大に数えられる のではないかと考えている。
なお、本文写真の野菜の肉詰めドルマは、欧州に伝わ りコンソメで煮込むロールキャベツとして定着。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ウイグルごはんD
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 異文化不交流
@    
名高いトルファン(吐魯番)の観光ウイグルの手口の話をしよう。
 
夜行バスが新疆ウイグル自治区に入域し、トルファンに到着したのは朝の7時前だ。全身の けだるさと、まとわりつくような朝のヌメった熱気の中、フラフラとあてもなく歩いていると日本 語で元気よく話しかけられた。
 
「オハヨー!こっちこっち、おいで。火焔山、ブドウ園、交河故城!」
 
恰幅の良い悪役レスラーのようなごつい男だ。眉毛が濃く、眉間は隆起し、厚ぼったい唇が 重たく顔の下半分にぶら下がる。軽妙な軽い口調で日本語を操るこのクセモノこそ、なんぞ はからん、トルファンの安宿をうろつく有名な客引き『日本語使い』なのであった。
 
日本語使いも客引きのプロだ。的をするどく射抜いたうえで釣り針のカエシのように引っかけ る。彼は忙しそうに鳴り響く携帯電話に向かって、ウイグル語で手下のタクシーたちの配車を しながら、オレにトルファン観光地図を広げて見せた。何を隠そうオレは観光をしにこの地に 立ち寄ったのだ。的は射ていた。
 
「荷物なんかトランクに入れておけばイイヨ。急ぐなら、今日の夕方にウルムチ行きのバスあ るよ。ちゃんと時間までにバスターミナル送り届けてあげる。ほかのお客さん待っているから 決めてよ。8時に出発なんだよ。」
「まぁ、待って。朝ごはんも食べていないし。少し落ち着いて考えさせてよ(それにオマエなん か信用できないし)。」
「あーいーよ。このホテルで朝ごはん食べてきていいから。10元(150円)ね。考えたら8時 前にまたこの駐車場においで。あ、カバン置いてっていいから。これアタシのカードだよ。ご 飯は10元だけ払えばいいよ!」
 
オレのちゅうちょの原因ひとつひとつをあっさりと取り除くように、日本語使いからはカギ縄が 投げられる。まったく、観光地の日本語使いにはロクなのはいない。
 
そりゃ、言葉がわからないところで日本語を耳にしたらオアシスのような心安さはあるけれ ど、彼らにしてみれば日本語なんて釣り餌だ。さして、日本人は獲物。
 
彼らと「心の交流やスキンシップ」を期待するのはお門違いである。そこに一抹の寂しさを感 じてしまうのは、残念ながらいたしかたないところではあるが。期待してフられたときの疲労 感よりは、一抹の寂しさの方がマシだろう。
 
ホテルのレストランのビュッヘの内容はかなり充実していた。150円であれば物価の安い中 国とはいえ、まったくお買い得だ。ここぞとばかり珍しい料理を腹に押し込め、牛乳をコップ一 杯流し込むと、一息つけた。ウェイター君に灰皿を要求すると、「床でいいですよ」と、中国ら しい返事が返って来る。
 
踏ん反りながらタバコをふかし、ふと渡されたカードを見てみるとどこかで見覚えがあった。 敦煌に観光に来ていた学生4人組から紹介された「トルファンの優良観光代理店」のカードと 同じものだった。
 
自己正当化は完了した。と、タイミングをはかっていたかのように先ほどの日本語使いが「ま だー。もう出発だよー急いで!」と食堂まで迎えにきた。
 A   
ルファンは新疆ウイグル自治区でも有数の観光の町である。西遊記の玄奘三蔵にまつわ る伝説が盛りだくさんだ。孫悟空などの妖怪一味は後世で脚色されたものだけど、観光とし てはキャッチィな素材になる。
火焔山のイメージキャラクタ孫悟空
本日は乾季に珍しく雨で絶好の観光びより。普段は日除けのない郊外を出歩こうもんなら脳 天がトロけて1時間ともたないだろう。だから今日のこの天候は即決に味方した。
 
同乗しているのは中国でフランス語教師をしているフランス人カップルだ。助手席にオレが座 り、後部座席にカップルが座ってツアーはスタートした。
 
オレもわずかながら中国語はわかる。フランス人も中国在住だ。運転手はウイグル人である が、中国語ももちろん話せるはずだ。われわれはこれから始まるツアーを雰囲気良く過ごし たいので運転手に話しかけたが、仏頂面の運転手は口を横一文字に結んだまま、コミュニ ケーションを敢えて取ろうとしなかった。
 
外国人を嫌ってコミュニケーションをとりたがらない現地人はたまにいる。また、そういう人間 には外国人を陥れようとする輩が多い。オレはどんな手をつかってくるものかと多少なりとも 身構えた。
 
ブドウ園に到着したときのことだ。おもむろにアクセントの悪い中国語で運転手がいつになく しゃべりだした。よく聞き取れないが、フランス人によると、「ブドウ園のレストランで食事をす ると、入園料が無料になる」とのことらしい。
干しブドウを作っているところ
「オレ、メシいらないよ、腹いっぱいだし」と、英語で言うと、「入場料は80元(1200円)だ し、食事の値段を考えても得だと思うのだが…?」と、フランス人。「ま、いいよ、オレは食わ ないで待っているけど、もしそれで入場料を要求されたらその時は払うから」と言っている間 にブドウ園前庭のレストランエリアに誘導された。
 
ウソ臭いウイグル民族衣装を着た少女のいるレストランは、庇の下にゴザを敷いて、プラスチ ックのイスとテーブルを並べたような設備だった。ブドウとスイカがサービスされた。運転手は 「これは無料だから食べていいぞ」と念押しした。まるで自分の店のようだ。
 
運転手はしきりに「食え、さぁ食え」と促しながら、少し離れた別のテーブルでモクモクとひと り食事を始めた。オレは土産物屋などを見ながらフランス人がラグメン(汁うどん)を食べ終わ るのを待っていたが、「少し味見する?」などとフランス人が気を遣っているところに、例の運 転手が「ツーツゥバ、ァア!」とメニューを広げて視界に壁を作った。
 
「オレ、ほんとうにおなか空いていないんだよな…」とメニューを見て、一番値段の安い2元 (30円)のカワップ(焼羊串)を1本、頼むことにした。フランス人も食事がしやすいだろうと思 ったのだ。
 
「なんだ、もっと高いもの選べ。ポロ(ピラフ)も頼め。そんな安いのじゃ入場料がタダにはなら ないぞ!」
 
運転手は無理やり追加注文しようとしたので、オレはキッと睨めつけ、しぶしぶ串をもう1本 頼むことにした。2本もあればフランス人にも少し分けてあげられる。もっとも、フランス人のう ち女はベジタリアンで、肉に手をつけようとはしないのだが、いくらか食事の雰囲気は良くな っていた。
 
そこからだ。コントが始まったのは。
 
いざ食事を終えて会計をしようとすると、微妙に値段が予想より高い。安っぽい派手な民族 衣装を着た少女に「フルーツはウェルカムサービスだって言っていただろう。払わない よ!?」とあきれ顔で言うと、同じくあきれ顔の少女はメニューを広げて見せた。
 
そこには「カワップ3元(45円)」と書いてあった。
 
せ、セコすぎる…。これにはオレもフランス人も笑ってよいのか怒ってよいのかわからなくなっ てしまった。日仏顔を向い合せにしたまま、一瞬、固まって動けなくなった。
 
「さぁ、メシが終わったんだったら早く入場してこい。さぁ、行け!」遠巻きに茶をすすりながら 運転手がけしかける。このブタ野郎…、本当にしょうもねぇな。
 
レストランエリアを抜けて入場口に行くと、係員に入場券の提示を求められた。さすがにもう 驚きはしなかったが、いぶかしげな表情といわれなき疑惑を、善良な中華国民に投げつけら れるのは日本代表、フランス代表としても忍びない。
 
「もう一度行ってみろ、入場できるから!行けよ。え、他の中国人も入場券を買っていた?じ ゃぁ、ポロ(ピラフ)を食べていないから入場できなかったのかもしれないな。お前らの料理は 安すぎた、お前らのせいだ。」
ポロと呼ばれるピラフ(干しブドウ入り)
フランス人の表情を見ると、「ブタ野郎の耳に念仏」、とでも言いたげに目をそらした。そして 彼らは観光の意欲も消沈しかけたように見えた。
 
たかだか数十円のキックバックのためにアッラーの御心に背けるほど、食うものに困ったよう な体格はしていない。要するにブタ野郎だ。コミュニケーションを拒絶するばかりか、オレらを 人とも思っていないようである。
 
人でなければ黄金律は値わず、とは。なんとも手厳しい。
 
興味のない観光施設をスキップしていたら、意外と早くツアーは終了し、フランス人の宿泊す る朝の安宿の駐車場に到着した。そこには例の日本語使いがニコニコした表情で待ってい た。
 
フランス人は日本語使いに今日の感想を述べるでもなく無表情のまま料金を支払う。その手 元を見てみると金額は1人80元(1,200円)である。彼らは足早に町の中心へ消えていっ たが、つぎに日本語使いはオレに料金を請求した「150元(2,250円)ね」、と。
  B  
んでオレだけ彼らの倍も払わなければいけないんだよ!」
「それはアナタが最後の客で2人分を負担しなければツアー出せないからよ」
「客が足りないのはオマエの営業ミスだろう?オレが負担する理由がない!」
「ちがうよー、アナタ今日ウルムチに行くから急いでいたでしょ?だから出発したよ」
「オレは2人分出すから出発してくれと頼んだ覚えはないぞ?」
「先に言わなかったのは悪かったケド、観光してウルムチ行けるから良いでしょ?」
「その観光とやらもヒドイったらありゃしない!あの運転手のブタ野郎はウソつきだ!」
「ウソついたの?それは知らないよー。彼、予定プランは全部回ったって言っているよ?」
「もう知らん、オレは150元なんて払わない!」
 
と、フランス人に倣って手に持っていた100元札を日本語使いの胸ポケットにねじ込んで立 ち去ろうとしたら、日本語使いはトランクにあるオレのバックパックを質にとってなおこうのた まった。
 
「前の日本人4人は1台で500元払ったよー。ボッていないよ!アナタたち1台310元だ よ!?安いよ!」と、オレに『優良』とオススメした敦煌の観光学生たちの例を引き出した。な るほど、彼らはボられている…。日本人はそういう眼で見られるのは仕方ないのだろうか…。 ウイグル人と日本人の関係ってそうなのだろうか…。
 
「ウイグル人、オレ会うの楽しみにしていたんだよ…。素敵な文化をもった良い人たちだと聞 いていたんだよ。」
「アタシも日本人良い人ばかりだから好きだよ(チョロイし金持ちだし)。」
「でもさ、こんなことなら、オレ、ウイグル人が嫌いになりそうだよ…。トルファンもさ、憧れて遠 くからはるばるやってきて、楽しみにしていたのに、せっかくの思い出が嫌な思い出になっち ゃうよ。」
「…(今日は疲れるなぁ)。」
「頼むよ…。良い思い出に終わらせてよ。日本に帰った後も、トルファンは面白かった、ウイグ ル人は親切だったって友だちに自慢させてよ…。気持ち良く終わりたいんだよ。」
「…。」
「…これが、オレのお願いだよ。」
「…確かに最初に言わなかったのは悪かったよ。」
「…。」
「120元。もう、運転手に払うお金もなくなっちゃう。一台280元がギリギリ。これは、アタシ からのお願いよ。」
 
同時に息を吐き、互いに目を見つめ合って、呼吸を合わせて空気を同時に吸い込んだ。そう してどちらからともなく2つの手は近づいて、握手した。
 
「ホーッ」とお互いに一息つくと、日本語使いは「あーぁ、もー、日本人、本当にウルサイヨ ー!もー。」と笑いながら、例のブタ野郎をじゃれるように蹴っ飛ばした。そしてウイグル語で 何やら言うと、「彼にちゃんとバスターミナルまで送るように言いつけたから。お金もいらない から。元気でね、ありがとね!」と別れをオレに告げた。
 
ブタ野郎は運転席からのぞき込むように後部座席のオレを見ると自分の食べていたお菓子 をすすめ、どこか吹っ切れたように今日初めての笑顔を見せた。そして、ターミナルのバスに 乗り込もうとするオレに向かって親指を上に向かって立てた。
 
こんな人間臭い一面を見ると、どうしても憎めなくなってしまうのが、オレの甘いところでもあ り、自賛するところでもあった。
 
トルファンでは、日本語使い、ブタ野郎、安っぽい民族衣装のレストランの少女以外にも多く の親切なウイグル人に出会った。彼らもまた観光従事者だった。コミュニケーションを阻害す るものは、観光スレだけではない気がした。
『旅ふぇち』宣材撮影に協力トルファン郊外
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疆ウイグル自治区の区都ウルムチに到着してまず目につくのは、新しい高層ビルが並 びきれいに整備された道路やおびただしい数の自動車たちだ。すべてがキレイでハイテク で、まさに文化大革命後の勢いのある中国そのものである。
ウルムチ中心部
だがいっぽうウルムチには悠久なる大陸文明の風は強く吹かず、ウイグル文化も区分けさ れたウイグル人居住区にスラム街の如く残されるのみ。
 
中央よりやや外れにあるウイグル人居住区の、大通りに面している広場はもっぱら漢人観 光客向けの商業施設がたちならぶ。新疆国際大バザールもそのひとつだろう。裏通りはや や薄暗く、日本人のオレも漢人と間違われれば舌打ちをされたりぶっきらぼうにボられたりす ることもまれではない。
新疆国際大バザール
その一方で日本人だとわかるとガゼン友好的で、「お前の国は良い製品を世界に届ける良 い国だから、日本人は友だちだ」と、こうくるのだ。
 
市の中心部にある中央人民公園に来てみればそこはまったく漢人たちの憩いの場となり、 新疆ウイグル自治区という特殊な立地であることをふと忘れさせる。
舞踊を楽しむ奥様方詩経を吟じるおじ様方
看板など公共設備はウイグル語と中国語が併記されているが、両者の生活の拠点はこうし てみると明らかに区別されていた。
ウイグル人居住区目抜き通り
各地方に古来住まう少数民族があるようように中国の広い国土にはもともと固有の文化が あって、それが中国に編入された。そもそもウイグル族は、トルクメン族やウズベク族などと 同系統のトルコ系遊牧民の一派なのである。それが、たまたま前者が中国に編入され、後 者が旧ソ連に編入されたにすぎない。
 路上のドンブラ売り
ウイグル人からすれば、宗教も文化もまったく異なる中国に支配されている理由はないこと だろう。そして圧政を敷かれ、鉱山や天然資源などを無尽蔵に掘り返されているといったとこ ろか。
新疆特産の一『玉ギョク』の市場
確執そのものは理解にたやすいが、血に染みついた怨念は日本人には理解しがたい。日本 という国は、単一民族のまま世界的にも最長老クラスという珍しい国家なのである。エゾや 琉球は異文化といえ、いまこの時代においてアイデンティティの主張あれど、何人だと問わ れて「日本人」と答えるのに違和感を感じる人は少ないのではなかろうか。
 
エゾのアイヌは、全滅させられた。琉球が、割と独立した地位を保っているのは単純に距離 の問題なのかとも思うけど。ともかく、いま、日本は平和だ。
 
そして日本は異教徒が日常生活で混在している点も特徴的である。町のいたるところに教 会はあるし、それぞれの家庭に宗教あれど、市民生活を営むにあたってなんら影響しない。 ある市営葬祭場では、神道・仏教・その他の宗教ごとに、それぞれの儀式に対応できる設 備が準備されているくらいである。
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イグルはと言えば、宗教がそもそも中国と異なる。中国政府もイスラム教こそ国家転覆 の火種とまで考えているようだ。またウイグル自治区の独立運動を繰り広げているゲリラ集 団にはトルキスタン・イスラム党と名乗るものがある。彼らの後ろ盾は宗教。
 
私見ではあるけれど、ウイグルスタンは、旧ソ連から独立を果たした中央アジアの5スタンの ようにはまだなれないと思う。ウイグルスタンはあまりにも中国制度にガップリ四つを組みす ぎているというのが漠然と浮かぶ理由の一つだ。また、この国際経済社会で一人前を名乗 るには、ウイグルスタンの生産性だけをとってみても未熟感を拭うことができない。そんな状 態で独立しても、タジキスタンのように辛酸をなめることは必然だろう。
 
宗教や文化の違いだけで、国家は独立できない。強行独立国家となってますます周辺諸国 と良好な関係が築けるほど、世界は平和ではない。それより、圧政を変え、風潮をただし、よ り柔軟に世を渡り歩くことこそが、独立、もとい、アイデンティティの回帰への着実な前進なの だと思うのだが。
 
いかにも単一民族国家らしい理解のない発想であるけど、私見を止める。
 
ウルムチのユースホステルは中心部の漢人の多く住まう地域にある。そこでは若いスタッフ が民族や出身を問わず働いていた。もともと外国人相手の商売ではあるけれど、宿の外の 市街の雰囲気とはギャップを感じたものだ。
 
20歳のマイラは大学に通いながらここでスタッフのアルバイトをするいまどきの女子大生で ある。そしてウイグル人だ。彼女は髪も隠さないし肌も意図的に隠す風はない。英語が堪能 で、おしゃべり好きだ。
 
欧米人の旅行者たちとよくコミュニケーションをとっているからなのか、オープンにスキンシッ プも取りたがるので、オレも彼女と話をする時間はデレデレしてしまったものである。
瑪依拉(マイラ)ちゃんと著者
「お酒飲む?今晩一緒に飲もうよ。」
「飲まないー。日曜日とか、お休みの日には飲むよ!でも、ちょっぴり。」
 
人差指と親指でつまむようにしてジェスチャーしながら、「エヘッ」と肩をすくめてみせた。
 
「マイラは、イスラム教徒?」
「アタシ、ムスリマだよん!」
 
彼女はウイグル語を表にこそあまり出さないが、れっきとしたウイグル人であり、イスラム教 徒である。それでいて柔軟でしなやかでバネのあるパワーはその笑顔にあふれ、今日も新 しい風を吹かしている。
 
そうして、若い風は新しい歴史を運んできてくれるのであろうか。
第四話 異文化不交流@
トルファンは新疆ウイグル自治区のオアシス都市の中で も最もツーリスティックな都市のひとつ。
 
 
 
 
 
火焔山とは西遊記で玄奘三蔵が芭蕉扇を用いて鎮火し たという燃え盛る山。トルファン名所。乾燥気候とオアシ ス地下水脈を組み上げた水道施設カレーズを利用してト ルファンではブドウの栽培が盛んである。また、レーズン も名産。ブドウ園は風土テーマパークとして主に中国人 観光客に人気のスポット。
 
 
 
 
 
ウルムチは新疆ウイグル自治区の北西部に位置する区 都。世界で一番海から遠い町と言われているが、その 反面非常に発展しており近代的。カザフスタン、ロシア、 キルギスなどの各方面へ向かう人々が交差する交通の 要所でもある。
 
 
 
 
 
観光地の日本語使いにも、良い人はいる。たとえば敦 煌で個人のツアーエージェントを営む隋オヤジなどは、 日本人の人気者。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 異文化不交流A
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トルファンは中国一暑い場所としても有名で火州との異 名をも持つ。乾季の気温は50度を超えることもざらにあ る。 
現在の中国は羽振りが良く外国語スクールは売れ筋産 業なのだ。なお、こうした欧米諸国の外国語教師は中 国語を話すことができるけれど、その多くは漢字を解さ ない。
ウイグル人はウイグル語を日常的に話す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中国の観光スポットの入場料は現地の生活水準とかい 離していて爆発的に高い。たとえば敦煌の莫高窟は外 国人料金で180元(2,700円:外国語ガイド付)で、現 地人価格も150元(2,250円)であるが、現地人も当 然のように支払っている。
 
 
 
 
 
ラグメンは中央アジアからウイグルにわたって広く食べ られる定番うどんラグマンのこと。中国語ではバンミェン (拌麺)と呼ばれる。
「ツーツゥバ!」=食え、さぁ食え!
 
カワップは羊肉の串焼きケバブ(肉)のこと。中国語では カォヤンーロゥ(火考 羊肉)と呼ばれる。
 
ポロは中央アジアからウイグルにわたって広く食べられ る定番ピラフのこと。中国語ではズヮファン(抓飯)と呼 ばれる。
 
ベジタリアンとは動物の肉を食べない人のこと。発展途 上国では宗教・経済的な理由によることが多く、欧米諸 国では思想・主義的な理由によることが多い。なお、日 本では定着していない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 異文化不交流B
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宣言的な主張を表現するため『のたまう』と言う単語を用 いている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
四人乗りタクシーを6時間程度チャーターして、斡旋料 や燃料費を加えると相場。なお、個人で3時間程度チャ ーターした場合は100元。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
運転手にとってオレは、ここにきてようやく人間扱いされ たようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 異文化不交流C
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第四話 異文化不交流D 
 
 
 
 
タジクは首都でさえ旧ソ連の匂いしかしない。国民一人 当たりのGDPは年間2万円足らずだという。山岳部に は、統計にすら反映されない少数民族が、いまなお自 給自足の生活をしている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ムスリムはイスラム教徒(男性)のこと。ムスリマは特に 女性をさす。
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ウルムチで会った旅人たち
@    
ルクロードの東の果て、西安。ここからまず鉄道に乗り西へ、西へ。オレの長い陸路の 旅が始まった。
 
西安駅はまるで広大で、人民の想いは車両の最大積載量をはるかに超える。待合いロビー は、まるでゲレンデバスを待つスキーヤーたちで溢れ返ったバブル期の新宿バスターミナル のようなありさまだった。巨大な荷物に腰をかけ家族で円陣を組むもの、食料をむさぼるも の、寝るもの、泣きわめく子供、イチャつくカップル、小汚い労働者たち…。
常に混雑する西安駅
オレの乗った鉄道は空調のない硬い椅子のクラス。車窓の風景はいつも単調なクリーム色 だった。木々や空さえも。荒涼とした黄色い大地と吹きあげられた砂塵に空気はあわく霞 み、その濁った色をさらに太陽が照らしつけるクリーム色。
色を調整しています
放射熱は人間たちを箱ごと温め、列車内に流行病が起きてもなんらおかしくない状況だっ た。と、言って、窓を開ければ粉塵と前方車両の乗客が窓から放り出す生ゴミや唾が舞い込 んでくる。汗ばむ額や頬にはミクロの黄砂がベットリしみ込み、黒髪のツヤを輝かせるものは 1人としていなかった。
 
ジァユィーグヮン(嘉峪関)という町からバスに乗り換え5時間ほど行くと、ゴビ砂漠入口のオ アシス都市に着く。ここが有名なドンホァン(敦煌)だ。
 
いうなれば、敦煌こそ、シルクロード文化と大陸文化との境界線。オレが、初めて自分以外 の旅人と『すれ違った』町である。
反弾琵琶を奏でる飛翔天女像
「やったー!きゃー、日本人だ〜!第一旅人発見!」と、片手にビール。敦煌で日本人専門 の個人ツアーエージェントを営む隋オヤジの入り浸る飯屋にひびく、彼女の第一声は印象的 だった。
 
「こんにちは。オレもこの旅ではじめて日本人に会いました。」
「うれしいなー。まぁまぁ座って〜、さぁ飲もう、さぁ飲もう!」
 
このテンション…、たとえば仲良しOL二人組のもとにイケメンで年下の可愛い学生旅行者が 爽やかにやってきたら、冷やかし半分に張るであろうテンションに似ている。しかし、彼女は 酔っていないし、1人だ。さびしかったのだろう。
 
名前はエミ。中国で日本語教師をしているらしい。話しぶりは快活、活発で元気な人だ。31 歳らしいが24歳だと言い張っている。その元気はちょっと大味で、元気の層の下に、凛とし た静かな水の気配がした。大人の女だ。内心ホッとした。
 
美人かと聞かれたら、美人である。クリクリした大きな瞳をはじめ、顔のパーツのすべてが大 きく、知的に配置されている。鮮やかなガラの長スカートにタンクトップといったラフな服装 で、グラマーだった。
 
隋オヤジの持つゲストブックをパラパラめくると、最後のページにエミのコメントが寄せられて いる。目の前で3本目のビールを空けようとしているエミは、「コレ、わたしが書いたの。もう 参っちゃうよね!」と、おちゃらけながら指さした。
 
その先には、「胃腸の調子がおかしくて、ビールと羊肉しか喉を通らん」という旨が青いボー ルペンで書かれていた。
 
次の日。
 
オレとエミは一緒に郊外へ足を延ばした。旅の道連れは良くある。観光も旅の大きな目的の 1つ、であれば観光の感想を述べ合える人が隣にいるのはうれしい。
 
行先はユーリンクゥ(楡林窟)という石窟寺院である。本当は今日オレは姉妹関係にあたる 世界遺産モーガォクゥ(莫高窟)に行く予定だったのだが、すれ違いの人と過ごす時間は今 を逃してはないし、この遠出はエミの希望でもあった。オレは、エミに惹かれていた。
ユーリンクゥ(楡林窟)
エミは敦煌の窟めぐりに並々ならぬ思い入れがあった。根っからの文学少女である。いろん な本を読んで、いろんな空想をして想いを積み重ねた人だ。だから、その想いを解き放つよう に、窟の内部の壁画や仏像を恍惚の表情で眺める様子は、翼の生えた少年のようにも見え た。
 
あくる朝、エミはテンションと裏腹な青白い顔色で、「この旅ね、わたしにとってはケッコー大 事なんだ。ちょっくら頑張って行ってくるわっ!」と言いながら、左手を挙げて振り向き、中国 の西の最果てカシュガル(喀什)へ向かった。
 
ウルムチでの再会を、お互いに期待していた。
 A   
高窟に行くと、日本人の学生の旅行者が多かった。今は7月の暮れ、この時期に休み なのは学生くらいだろう。特に、中国に留学している日本人学生が多いことには気付く。留 学期間の終了後に、帰国前に中国国内を回るというパターンが多いようなのだ。
モーガォクゥ(莫高窟)
中国語を実践利用する良いチャンスだ。それにタイミングも良い。一般的にちゅうちょしがち な海外ひとり旅もこういう形ならチャレンジしやすいだろう。そして中国もやはり物価の安さ、 治安の良さ、インフラの充実、観光名所の多さなど、どれをとっても学生の個人旅行にはうっ てつけなのである。
 
何人かの留学後残留放浪学生に会ったけれど、毎度とてつもなくうらやましくなる。悩みも、 憂いも、責任も、期待もない中で、手近でリスクも少ないけれど国際的で冒険的な経験に挑 むことで、その若さとパワーを余すことなく発揮できるなんて、どんなに気持ちが良いことだろ うか。
 
敦煌から西の新疆ウイグル自治区トルファン(吐魯番)を目指す夜行バスには、現地人の 他、個人旅行者とみられる外国人がオレの他2組いた。さすがは敦煌、トルファンとくれば中 国シルクロードの観光王道ルートか。
 
一方は韓国人のOL風3人組。ゴム紐付きのおばちゃん帽子を仲良く3人で被り、赤やピンク の女色リュックサックを背負い、タオルを首に巻いていた。化粧っ気はまったくない。3人でオ ドオドしながら相談し合う様子が微笑ましい。
 
そしてもう一方はフランス人の白人と黒人の若い女性2人組。いずれもタンクトップにアーミ ーズボンというワイルドセクシーないでたちで、大きなサングラスをかけていた。こちらはどち らかというとスポーティに個人旅行を楽しむバックパッカー的な印象だ。装備もさきほどの韓 国人の遠足用品より、幾分も金がかかっていそうだ。
 
夜行バスは1時間遅れで敦煌を発った。日差しはバスの弱々しいエアコンなんてものともし ないで板金からジワジワと車内の空気に伝導してくる。そして日が沈むと暗黒の砂塵のなか にポツンとヘッドライトだけが浮かび、風は急激に冷たくなった。
 
深夜ウトウトし始めるころにバスは停車し、ウイグル自治区の入域検問が行われた。その後 進みだして間もなく乗客の1人と運転手がケンカを始めた。運転手は大声でどなり散らし、と うとう乗客を砂漠の闇の中に引きずりおろして置き去ってしまった。
敦煌を発った夜行バスからの車窓
バスはその後も故障と修理を何度か繰り返す。変な表現だけれど、発展途上国らしさがあっ て旅情がふつふつとわき起こる。眠くて汗でべたべたで風が冷たくて乾燥していて体が痛い 深夜3時ころだろうか。オレは、ワクワクしていた。
 
西遊記の舞台トルファン(吐魯番)で参加したタクシーツアーの同乗者はフランス人カップル である。中国でフランス語教師をしており、期間が終了したため区切りで中国国内を旅行し ている。
トルファン郊外の火焔山
今日の中国は日本語、フランス語、ドイツ語などの外国語が教えられるのであれば、外国人 でも中国に仕事を得るのはそう難しいことではないそうだ。
 
民族的ないざこざあれど、それがイスラム諸国や中南米諸国のように外国人に対する影響 はそこまで強くない。あまつさえ、先進国とのシビアな国際取引の結果、ドル経済の人々に とっては物価がものすごく安い。ツーリスティックな見どころも多く、食事の幅も広い。中国と は、なんと旅行しやすい国なのであろうか…。
  B  
ルムチ(烏魯木斉)に到着し、心配していたカザフスタンへ向かうカザック鉄道の切符も 首尾よく入手できた。さて、鉄道出発まで6日ある。幸いウルムチという町は散財してしまう ほどエンタテイメントが充実しているわけでもないし、かといって暇を持て余すほど退屈でも ない。潜伏して作業をするにはちょうど良い。
ウルムチの中心部ウルムチのウイグル人居住区
ウルムチで利用したユースホステルは無国籍で、民族の隔たりなく、若いスタッフが協力し て働いていた。英語もみんなよく勉強している。インターネットやDVDなども完備していた。 多くの客は欧州圏のバックパッカー、次いで韓国、中国都市部、台湾系の家族連れが多く、 そして韓国・香港・日本のバックパッカーがチラホラ訪れるのだそうな。
 
サロンと呼ばれる共有リビングでは肥ったオーストラリア人がいつもDVDを見ていた。夜は 寝ているのだろうか、出かけた様子もないしサロンにも表れない。売春やマリファナに関して 言えば中国は割とクローズされた環境にあるといえるから、中南米や東南アジアと異なり、 町もしっかり眠る。彼は何を、しているのだろう。
 
インターネットでEメールのチェックをしてみると、敦煌で別れたエミからメールが届いていた。 驚くことにトルファンでニアミスしていたようなのだが、どうやらエミはホテルで寝込んでいた らしい。その間にオレが追い抜いてウルムチに到着してしまったというわけだ。
 
エミとはすぐに再会した。同じユースホステルだったのである。
 
たった3日ぶりなのに思い出話に花が咲いた。一度出会い、異国の地で再開すると、前にも まして親しみがわいた。その夜、エミの元気の鎧は、少しはだけていた。
 
人生の話、夢の話、生き方や迷い。エミは自分の選んだ旅路に孤独と寂しさをチラつかせ る。そして不安と恐れをちょっとこちらに投げては、すぐに取り返そうとする。その夜のエミ は、色っぽく見えた。
 
翌日、自然に2人で市街観光を行うことになっていた。エミは相変わらず体調が優れない。 だけど、もう旅も終りに近いからと、少しでも動こうとしていた。
 
オレは一所懸命いろんな話題を振って、元気を絞ってもらおうと思ったのだが、なにせ知性も 品性もない男である。面白い話を振るつもりになるとどうしても下ネタに片寄る。エミはそんな オレを見ると、「このエロ坊主はこの先ひとり旅をちゃんと続けられるのだろうか」と、かえって 心配にさえなっていた。
ウルムチのウイグル人居住区
その夜、珍しいタイプの個人旅行者が宿にやってきた。川嶋と名乗るその男は40代前半の 働き盛りの大人だ。話し方や物腰、雰囲気の読み方、落ち着きぶりのどれをとっても、社会 人らしい人である。
 
川嶋は金融コンサルティング会社に勤めるばりばりのサラリーマンで、今回は45日間もの 有給消化で中国を拠点に南アジアを周遊しているのだという。まさに大人のバックパッカー のお手本ともいえるような人物である。
 
自信に裏付けられた謙虚さがあり、情報や話題の引き出しをタイミングとテンポをよく図って 提示するのだ。メガネで日焼け。ちょうど良い塩梅に大人のオトコのワイルドさも兼ね備えて いる。
 
こういうタイプの男性が30代くらいの女性にもてるだろうことは、オレの想像にも易い。現に エミも「カッコイイ…」と、尊敬のまなざしで絶賛し、その後も彼の話題が出ると賛辞は止まな かった。
 
川嶋が所帯を持っているか否かは、聞いていない。
   C 
朝、オレは天池への現地ツアーに向かうため観光バスを待っていた。現ガイドをはじめ 英語が通じる人はいない。
中国のスイス「天池」
「もーぉ、ほんと君は心配!!昨日一日のエロトークでよっく分かった!これからトルコまで 行くんでしょ、ダイジョブ?ひとりでやっていけるのか、お姉さんは心配で心配で仕方がない ぞっ!」
「なんか、エミさん顔色良くないから、自分の出発まで寝ていた方が良いよ?」
 
ぶつぶつ言いながらエミはとうとう集合場所まで付いてきていた。顔色から血の気が引き、 眼の下にはクマが浮かんでいる。唇はファンデーションを塗ったように、あわい色の肌との境 界がはっきりしない。
 
今日、ツアーからオレが戻ってくる前に、エミはカシュガルへ旅立つのだ。いまが、別れの 時。バスは案の定遅れているので、エミと少し話をしていた。
 
「…今日ね。」
「うん。」
「…わたしの結婚式なの。」
「………はぁっ!?」
「すっぽかしちゃった…。タハハ…。」
「…。」
 
いやはやまったく、人間とは実に勝手な生き物である。したいことをしなければ気が済まな い。そして、そのしたいことがいつも楽だとは限らないのは、どうしたものか。荊棘であって も、死地であっても、選んだ道が、その人の道になる。
 
エミは自らのために、その旅路を選んだ。
 
ついに観光バスがやってきた。まだぬぐえない孤独への恐怖が、やつれたエミの表情に浮 かび、やがて眼もとに広がった。ふいに、右腕をオレの左肩から首に回し、左腕をオレの右 腰から背中にまわして抱きつき、しばらく離れなかった。もしかしたらたった3秒かもしれな い。だけど、「しばらく」だった。
 
エミの行動は、泣きすがり、温もりを惜しむのではない。まるでスニーカーのひもを締めなお すようなボディランゲージとして、オレに伝わった。
 
オレは全く名残惜しくない風を装って、わざと軽々しくエミを引き離し、孤独を押し返す。予定 を変更し、カシュガルまで道連れになることなんて簡単だ。アホなエロ話をBGMにしてエミ のすすむ孤独の道を、慣れるまでもう少し照らすことは簡単だ。
 
でも、オレはここで、エミに『孤独』を返してあげることにした。エミもそれを望んでいた。
    D
ツコは、中国にある日系企業で3年働く女性だ。日本に彼氏を残して自分のやりたいこ とに打ち込んでいる自由な人だった。エミがいなくなったので、宿に日本人は、オレと川嶋と ナツコの3人だった。
 
ナツコはまるでウワバミのように飲み、良く喋る。そして誰に対しても物怖じしないでオープン に接するタイプの女だ。けれど、天然でおっとりしている感は否めない。このユースホステル では、一般客室の宿代の3〜4倍もする個室を借りている。女ひとり旅のナツコはこれまでだ まされたり、質の悪いツアーに当たってしまったりで、なかなか大変そうな道中を経てきたよ うだ。
 
カザック鉄道の発車日までまだ日にちもある。ウルムチの市街散歩にも飽きていなかったの で、翌日ナツコを勝手知ったるウイグル人居住区へ連れ出すことにした。
ウイグル人居住区
しかし、通りでスリの憂き目に遭ったと思えば、理不尽なぼったくりで気分を大いに害する。 オレひとりのときはこんなこと一度もなかったのに…、やっぱりウイグル人たちも彼女のワキ の甘さをを察知して狙ってくるのだろうか。
 
一見すればとっぽい。しかし相手を自分の懐に惹き込む門扉の広さを感じる。悪く言えば無 防備。に反して、話していくうちにどこかしら芯の強さのようなものを感じた。
 
不思議な人だ。妙な災難には人一倍巻き込まれてしまうのに、ここまで乗り越えてきたのは 秘めたるしぶとさのたまものであろう。
 
「外国語を勉強したいの。何かオススメの外国語ないかなぁ?」
「スペイン語はどう?ローマ字読みだしラテン系の文法と近いからフランス語とかとつなが る。それにスペインだけじゃなく、中南米のほとんどで通じるよ。」
「面白そうだよね。興味あるし、あこがれるね。けれど、スペイン語でできることって言ったら 旅行くらいじゃない?なら、新たに外国語を勉強するまでのモチベーションはわかないかな。 そうなると、結局中国語が一番なのか持って思っちゃうんだよねぇ。」
 
そんなナツコの野望は、駐在員妻だという。「現地語が分かれば外にも出やすいし、社会の 価値観や妙な束縛にとらわれず好きなことににのんびり没頭できる」そうだ。
 
ナツコの強さは、精神面での人的依存が人よりも少ないところなのかもしれない。オレは、ナ ツコの彼氏には多分なれないあたり、人並みのさびしがり屋ではある。
 
さて、ヒロと名乗る物腰穏やかで大人しいその青年は、脱サラ留学生だと自己紹介した。 「中国がひたすら好き、この国の将来が楽しみ」と、語った。「いつ帰国するんです?」と、問 うてみると「親が恋しい年齢でもないし、日本に帰るつもりはないですよ」と、言う意外な回答 があった。
 
オレは俗人である。中国の将来より、日本での生活が心配だ。そして、オレはこの年になっ てますます親が恋しい。自分にはない感覚に、感服するばかりである。
 
明日になれば、このウルムチのこの宿に、カシュガルから折り返してエミが戻ってくる。オレ は町でエミの欲しがっていたアザーン時計を買い、手紙を書いた。そしてこれを、宿のスタッ フのマイラに託し、バックパックを背負った。
 
ふと、宿の出口わきの掲示板に気がついた。
 
掲示板に張られた置手紙の一枚、それはエミからの「偶然敦煌で出会えて、お互いの旅の 途中で『すれ違う』ことができて、めっちゃうれしかった★」というメッセージだった。
ウルムチ駅
今夜、カザック鉄道はウルムチ駅を発つ。36時間後には、カザフスタンだ。
第五話 ウルムチで会った旅人たち@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中国の鉄道は大きく硬座(ベンチ)、硬臥(寝台)、軟座 (シート)、軟臥(ベッド)の4クラスにわかれ、察する通り 硬座が4等車両である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジァユィーグヮン(嘉峪関)は、万里の長城の最も西にあ る関所の町。
ドンホァン(敦煌)作家:井上靖氏の小説『敦煌とんこ う』や、世界遺産の石窟寺院で有名。
ゴビ砂漠は内陸のタクラマカン砂漠に続いて、北は天山 山脈、南は崑崙山脈に隔たれ中国シルクロードの終焉 を迎える。
隋オヤジは、敦煌バスターミナル近くの料理店『敦煌風 味』を活動拠点とする、個人のツアーエージェント。流暢 な日本語で日本人観光客を拠点に連れ込んでは優良 なツアーをあっせんする。彼のオリジナルツアーは特に 人気で、また彼のキャラクターそのものも多くの日本人 観光客に長年愛されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中国は高度成長の波に乗り、主に都市部で英語以外 の外国語(日本語、フランス語、ドイツ語など)の履修が 盛んに行われているため、外国語教師は中国でも人気 の職業である。
 
 
 
 
ツアー利用者が感想を述べたり旅行者同士が連絡を取 り合ったりするために、旅行者の集まる宿や施設に設 置された情報ノート。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古来この地の権力者は徳を積むために寺院や仏像を建 立したのだが、異教徒イスラム教徒による破壊を恐れて 崖を削って密かに作った。こうして隠れて作られた石窟 寺院はこの近辺にいくつかある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

カシュガルは新疆ウイグル自治区の最西端に位置する 国境の町。
 
 
第五話 ウルムチで会った旅人たちA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

トルファンは新疆ウイグル自治区のオアシス都市のひと つ。西遊記にまつわる一大観光地。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第五話 ウルムチで会った旅人たちB
 
 
 

著者が旅をしながらしていた作業
 1.旅行情報ホームページの運営
 2.エッセイの取材
 3.Eメールでの仕事の後始末
 
 
 
 
 
ユースホステルとは安宿のことである。イメージ的には 若者の異文化交流支援を目的とした施設で、現地労働 者が利用することはない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ウルムチで会った旅人たちC
 
天池は中国のスイスと称される中国観光府5つ星認定 の観光スポット。ウルムチ郊外、天山山脈グボタ峰山頂 付近にある美しい湖。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ウルムチで会った旅人たちD 
 
 
 
 
 
ウワバミとは酒を底なしに飲む大蛇のこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アザーン時計とは、目覚ましのアラームがアザーンの 時計。アザーンとは、イスラム教徒が行う礼拝の時間を 知らせる歌。定刻になると、モスク寺院から爆音で鳴り 響く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 あんた何族?
@    
語堪能な青年イェルボンは、白人と東洋人のハーフに近い雰囲気の中国人である。年 は若く、サッパリとした顔立ちで、太っていた。裕福な育ちなのであろう。父親の後を継ぐた め大学で薬学を勉強しており、英語もそうした教育の過程で身につけた。
 
ウルムチ駅の待合ロビーで彼を見かけてから、鉄道を同じくしてすでに18時間は経過してい る。車両の端のトイレがある踊り場でてタバコを吸うたびに出くわし、お互い顔見知りではあ ったものの、最初は眼を合わせることにさえちゅうちょしていた。
踊り場でタバコを吸う筆者
5度目の遭遇だったろうか。イェルボンは目をあわせニコと笑い、携帯電話の待受画面に設 定した日本のアニメ『ナルト』の画像を見せながら、英語で「日本人だよね?」と声を掛けてく れた。
 
英語が使えない日常において、英語のできる彼は孤独だった。そこに、そんな自分の身辺 には珍しく外国人を見かけた。自慢の英語を活躍させてコミュニケーションしたいという動機 は、つつましい勇気を奮い立たせるのに充分である。
 
そのうちオレのコンパートメントに顔を出し、自分がタバコを吸いに行くタイミングで、オレを踊 り場まで誘い出すようになっていた。
 
コンパートメントは4人寝台で、オレの他の乗客1人。残りの2寝台は途中乗車が予定されて いるのだろう。同乗の男性はネズミ男のように小柄で貧相な顔立ちをしていた。強い南方訛 りのある中国語だ。
カザック鉄道4人コンパートメント
長い鉄道の旅、2人だけのコンパートメントである。景色は延々と砂地に草原。わずかに話 せる北京語や筆談で彼とコミュニケーションをした。
草原と砂地の車窓
34歳のティン(丁)はカザフスタンに向かう労働者。所詮は筆談やヘボ中国語だ。自己紹介 以上の話題となると、ろく噛まずに飲み込んでしまうようなやりとりが続いた。
 
それでも、丁はオレにときおり笑顔をチラつかせたり、自分の荷物から食料を取り出しては投 げてよこしたりと、ひたむきにポジティブな投げかけを繰り返してくれた。
 
ビスケットの1枚2枚ならわかる。自分の食べているもののおすそわけなら良い。だが、未開 封の1袋、1缶と、繰り返されるプレゼントが余りに心苦しかったので、オレは自分の食料袋 に入った菓子類を見せながら、「もう大丈夫だから、自分のためにとっておいてよ」と、ジェス チュアした。
食料とティン(丁)
すると丁も自分の体の体積の3倍もあろうかという麻袋をほどき、大量に詰められた食料を 見せてニヤリとするのだった。
 A   
つからか、イェルボンはオレのコンパートメントまで上がり込んで話すようになっていた。 まだ、途中乗車の乗客はいない。広々した4人部屋が快適に埋まった。
 
イェルボンはご自慢の英語で丁とオレの会話を取り持ってくれる。こうしたつながりで、より深 い会話が丁とできるようになったわけだ。言葉がなくとも丁とオレはお互いに好意を持ってい たのだけれど、やっぱり言葉があった方が良いに決まっている。
 
「あんたは何語が話せるんだい?」と、イェルボンが聞いてきた。この手の質問は実は良く聞 かれる。特に、現地語で会話をしようとする外国人に対して自然にわき起こる疑問なのだろ うか。
 
「まず、英語でしょ、ちょっと中国語。もちろん日本語も話せるだろう。他には…?」
「あとはスペイン語くらいかなぁ、ポルトガル語もちょっとだけわかるよ。いまは、ロシア語を勉 強しているんだ。」
「へぇ、すごいじゃないか。オレはね、英語、中国語とカザック語だ。」
 
かたわらで、丁が羨望のまなざしを向けながら、「ヘンハオァ、ウォブーヅィーダォワイユィ(い いなぁ、オイラ中国語しかできないや)」と、言った。若いイェルボンは自慢げだ。
 
「オレ、カザフスタンの親戚に会いに行くんだ。あんたもこのままアルマトィに向かうんでし ょ?カザック語が話せなければ苦労するよ?」
 
イェルボンは丁にも目くばせしながら、英語と中国語で説いた。
 
「アルマトィは今、インフレさ。みんな仕事をしに行きたがるんだ。しかし、丁さんは良くまぁ、 渡航許可証を取れたね。何の仕事だい?」
「オイラは建築技師さ。アルマトィの高層ビル建築現場に派遣されるんだよ。」
「なるほど、アルマトィは建築ラッシュで町の形も昨日の今日で変わるもんだから混乱状態 さ。なぁ、あんた、丁さん月1000ドル(10万円)も稼ぐんだってな、すげーよなっ!日本だと 月どれくらい稼げるんだい?」
工事用クレーンが点在する市街俯瞰
「2000ドル(20万円)くらいかねぇ。」と、答えると、丁とイェルボンは顔を見合せてヒョォと 音のない空気を同時にもらした。「でも、物価は高いし、日本は不況だから仕事にありつくこ とがまず大変だよ。」と、切り上げて話題を変えた。
  B  
ころで、イェルボンはカザフスタンに親せきがいるんだろう?中国人なの?」
「うん、オレは中国人だよ、カザック系のね。家族とはカザック語で話をしているんだ。あん た、何族だい?」
 
「えっ…。」と、オレは一瞬回答に困って固まってしまった。丁も不思議そうな顔をしてオレの 目を覘きこみながら「シェマミンゾー、ミンゾゥ(民族)」と、筆談で聞いてきた。
 
「え、だから、日本人だよ。」 
「じゃなくって…。日本人の何族なんだい?」
「日本…、族かな?民族は、ないよ。」
 
イェルボンと丁は顔を見合せて、同時にポケットに手を入れてカードを取り出した。丁は自分 のカードをオレに見せて、ある一項目を指で示した。そこには『漢族』と書かれていた。イェル ボンのカードには…『哈薩克斯坦(カザクスタン)族』と、ある。
 
世界各国で民族紛争が繰り広げられ、先進諸国で会っても民族問題が生じていることを、ニ ュースやインターネットなどのメディアを通じて知識としては知っていた。そして、そうした問題 が『問題』だという認識もあった。
 
けれど、いざそれを自分に置き換えてみると、これほどまでに民族というものが自分の意識 の中で軽薄で意味をなさないものであったことにふと気付く。
 
民族問題について議論するとき、日本人には理解ができないニュアンスがあるとは良く聞く けれど、なるほど理解しがたい背景のひとつがここにありありと顕れた。
 
日本においては、各人が自らのアイデンティティを確保するにあたって、民族の概念がまった く重要視されていないからだった。単一民族のまま最長老になるまで存続している国家らし い国民性からくるのだろう。
 
話は少し飛ぶが、アイデンティティへの姿勢というものも、国民性によってまちまちだ。
 
南米のパラグアイという国では、スペイン統治後、スペイン風に発展し現在もなおスペイン語 を公用語とする。けれど独立・安定してきた現代において、敢えてかつてのグアラニー族とし てのアイデンティティに回帰する傾向がその国民性に見られる。それはそれで清々しくオレ の目に映った。
パラグアイのグアラニー族
いっぽうで、カザフスタン、キルギスなどは旧ソ連の麾下に加わったのち、崩壊に応じて独立 を果たしたわけだが、遊牧文化を捨て、現代もロシア化こそ美徳とばかりに帝国の背中を追 いかけて、ひたすら走り続けている感はぬぐえない。
ロシア宮殿風博物館、庭園
であるからなのか、ロシア化した町において社会生活を営むにあたっては、民族の壁は特に 顕著には感じられなかった。もっとも、結婚など風習的な側面においては、いまだ根強く民族 による区別がされているのだが。
ロシア風の建築、街路樹、幅広道路
中国はといえば、文化大革命で伝統を放棄してから、野放図。
 
そういえば、ウルムチに住むイェルボンはウイグル人を卑下していた。その理由が知りたく て、純粋な興味から聞いてみると、「あいつらは教育が貧しくて品がない劣等民族だからだ」 などと、嫌悪感を顔に浮かべながら語っていた。
 
なるほど、民族の区別、これすなわち、アイデンティティの区別では断じてない。だけど、民 族は、風習、文化、など日常生活を営むにあたって、ひいては生活を基盤とする社会構築に あたって、無視できない重要項目だということには違いなさそうだ。
   C 
んたの身分証には、なんて書いてあるの?」
「これ、パスポートだけど、そんな記載ないよ。」
「パスポートじゃなくて、身分証、アイディーのこと。持っていないの?」
「ないよ。隠しているわけじゃないんだけど、日本には身分証がないんだ。」
イェルボンとティン(丁)
再び丁とイェルボンは顔を見合わせた。「じゃぁ、どうやって身分を証明するんだい?」と、丁 は言いながら、こちらを見つめてきた。「身元は国が管理しているから、必要なときに証明書 類を紙で発行してもらうんだ。」と、答えた。
 
中国の身分証には、氏名や生年月日をはじめとして、星の数ほど桁が付されたコード番号、 出身、民族、発行局など考え付く個人情報特定材料が網羅されている。また、顔写真まで 付いているくらいだから定期的に更新が必要なものらしい。
 
日本にはこういう身分証がない。考えてみれば不思議な状況だ。運転免許を持っていなく て、学生ではなくて、健康保険に加入していなければ、TSUTAYAで会員カードすら更新でき ないのだ。
 
かといって、いまや誰だって携帯電話も契約しているし、その都度住民票や戸籍謄本を役所 に行って取り寄せているわけではないだろうから、日常生活に支障をきたすわけでもないよ うだが。
 
日本も住民基本台帳カードじゃないけれど、こうしたカードに統一して、各方面で必要に応じ て登録さえすれば楽なのに。このカード1枚もっているだけで免許、保険証、住民票、戸籍謄 本、印鑑証明から果てはカラオケ屋なりレンタル屋なりの会員カードと同じ役割が果たせる ようにすれば楽なのに。
 
日本にはそもそもいらないカードが多すぎるのだ。オレの財布の厚みの9割は会員だとかポ イントだとかの下らないカードで占めている。あぁ…。
全部で30枚を超す
もちろん、個人情報が統一されれば、その流出もシステマチックになり、下手をすればプライ バシーもへったくれもない社会になるリスクはある。
 
やや、所詮オレの私見なんて極論だ。にしても、近頃の個人情報保護の動きは、良く知られ てもいない割にやや過剰な気もするのはオレだけだろうか。隠匿主義。
 
オレを乗せたカザック鉄道はやがて中国とカザフスタン国境のアラシャンコー(阿拉山口)で 止まった。中国側の出国審査は厳しく、カバンの中身は小分けしたポーチの中身に至るまで 入念に調べられた。
カザック鉄道の車窓から
折も折、この新疆ウイグル自治区では独立ゲリラが立て続けにテロを起こすし、チベット問題 の加熱は世界中に広がるし、オリンピックの開催は刻一刻と迫るしで、中国も大変だろう。 特に陸路で国境を越える外国人は厳しく取り締まられる。
 
デジカメのデータはもちろん、パソコンデータやiPODの音楽データまで隈なくチェックされた。 チェックするのはシステム専門官とみられる中年男性である。
 
さっきは隠匿主義が行き過ぎだとか言いながらも、やはりさすがにパソコンの中身を人に見 られるのは、あまり気分が良いものじゃないな…。
    D
しろから画面をそっと覗くと、操作の手は動画フォルダに達していた、その瞬間!オレの 背筋にいまだかつてない戦慄が走った。ナッ、南無三ッ…!!
 
天が味方したか…、否。間違いなく日ごろの行いが良かったからなのだが、捜査のメスが入 れられた動画には立派な堂々たる『モザイク装飾』が手がけられていた。男同士、話せばわ かる。ここは笑って、「ドゥイブチー(ご免チャイ)」と謝りながらこの場で削除するという条件の もと、おとがめなしに、こと済んだ。
 
と、次の瞬間。別の調査官がシステム専門官に何かを告げに駆けつけてきたのだ。何と言う ことだろうか、その専門官はアイドル級に美人で可愛い若い女性の調査官だったのだ。これ は、10人が見て11人が振り返るだろう…。
 
あぁ、間一髪。こちらの顔から火が出て悶死するくらいならまだ良い。女性は甘くない。呵責 なき連行の憂き目にあう可能性だって存分にあるのだ。2度も危急を救われるとは。やは り、日ごろの心掛けは大切である。
 
それにしてもなんでこんな辺境の国境にこんな超絶美女がこんな仕事をしながら埋もれてい るのか、中国は最後まで旅人たちにミラクルを起こす暗黒大陸である。
 
雑談も調査のようだった。みな、努めて紳士的な応答をしてくれるが、どちらかと言えば尋問 に近い思想調査のように思えた。日記や書籍などを手にとっては漢字で意味を推察している ようだ。雑談の中、調査官の1人が言った。
 
「おまえは、日本人だ。オレは中国人でモンゴル族だ。おまえは何族だ?」
「あ、はい。日本は単一国家ですから、オレは日本民族です。」
「そうか、中国にはカザック族も漢族もいる。あいつはロシア族だ。」
 
思想調査に民族関係は切っても切れないらしい。
 
中国国境で調査を受けていたのは外国人だけだった。カザフスタン側に入域すると、中国よ りも物々しい装備を携えたロシア系の大男たちがロシア語で何やら言いながら、軍靴でずか ずかと鉄道の狭い通路に押し入ってきた。
カザック鉄道
彼らは、オレのパスポートを見て日本人であることを確認したら、簡単な荷物検査だけですぐ に調査は終わった。だが、中国からの労働者たちに対しては、かなり粗暴な取り調べを加え ている。
 
無論、丁に対しても同じだった。オレを通路につまみ出すと、ライフルを持った大男は、丁の 大きな麻袋を暴いて、コンパートメント一面の床に荷物をぶちまけた。丁は、一歩も動かない で、立ちつくしていた。丁の表情は、武装した大男に対する恐怖だけ。
 
オレはぶちまけられる丁の荷物を、コンパートメントの外から眺めていた。大きな荷物の正体 は、布団だった。
 
電気毛布とみられるコードのついたマットが丸められて無理やり折られていた。そのほか、 歯ブラシ、きちんと畳まれた衣類、当座の食料だろうカップ麺やパック牛乳、未開封のまま 粉々に砕け散ったビスケットにベコベコに凹んだ缶詰のお粥…。
 
オレのかばんの中身と、だいぶ違っていた…。違うんだな、と思った。
 
カザフスタンに入ると、ロシア系の熟年女性2人組が、オレと丁のコンパートメントに途中乗 車してきた。彼女たちは、簡単な単語をつなげる程度の英語が話せたが、丁は、ひたすら 「ティンブドン(ロシア語も英語もはわからないや)」を繰り返すのみ。同じコンパートメントで も、丁だけのけものにされオレだけがその老女たちにかわいがられた。
 
また、彼女たちはイェルボンがお気に召さなかったようで、オレをタバコに誘い出すため彼が コンパートメントに近づくごとに、あからさまに嫌な顔をみせた。ロシア系の彼女たちは、もち ろんロシア語を話すけれど、カザック語も中国語も話さない。
 
彼女たちの到来は、新しい風をコンパートメントに吹かせ、オレと丁とイェルボンの時代は、 儚く流されてしまったようだ。
 
翌朝、鉄道はアルマトィ駅に到着した。女性たちは、自分たちを迎えに来させていた中年男 性と握手をしながらあいさつキスを交わし、オレを紹介する。
 
「ここから、中心部まで少し遠いのよ。中央公園まで彼の車に乗せて行ってあげるから、早く いらっしゃい。」
 アルマトィI駅
好意はうれしかった。後ろを振り向くと、列車から大量の荷物を引きずりおろす、小汚い労働 者たちがまだ線路上にたむろしていた。黒山の人だかりだった。彼女たちは、汚い所から早 く立ち去りたいかの様に足を速める。
 
丁を見つけた。思うが先か、言うが先か、無意識にオレは群衆に向けて大きく手を振ってい た。
 
「おーいっ!!ティーン、ティーン!」
「あぁー!」
「ツァイジェーン(再見)!」
 
丁は中腰で荷物を探ったまま、顔を上げ、オレを見た。そして彼もまた、満面の笑顔で手を 振り返してきたのだった。
 
「ツァイジェーン(再見)!」
第六話 あんた何族?@
 
 
 
 
 
ウルムチは中国の新疆ウイグル自治区の区都で、中国 北西部の隣接諸国への交通の要所である。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本のアニメは世界中どこでも有名で、中央アジア諸 国においてはとくに『ナルト』が人気。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中国は広大で同じ中国語でも地方により発音が全く異 なり中国人同士でも理解できないほど。標準発音は北 京語。南方の人々は巻き舌音が苦手。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第六話 あんた何族?A
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カザフスタンはカザクスタンともいい、カザックはコザック ダンスのコザック。著者は日本読みの国名を省略する 場合はカザフとし、形容的に省略する場合はカザック 人、カザック語と表記している。
 
アルマトィはカザフスタンの旧都で南部第一の近代都 市。カザック語でリンゴの父という意味。現在は町のい たるところで建て直しが行われており、住民でさえ気が つかないうちに住所が変わっているほどめまぐるしい と、アルマトィ住民は言う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第六話 あんた何族?B
 
 
 
 
 
 
直訳:民族は何ですか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パラグアイは特に、先進国による奴隷狩りの憂き目にあ ったのち帰順して、混血が進み、純粋な血筋や文化の 保存に恵まれた環境にあったとは言えない。
 
 
 
 
 
 
 
 
麾下とは指導の傘下に加わる状態。配下。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
基本的にはロシア族とカザック族のカップルは見かけな い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウルムチは中国の新疆ウイグル自治区の区都であり、 近隣諸国との交通の要所であるから、主に漢人、ウイ グル人のほか、カザック系、ロシア系、キルギス系の中 国人も住む。
 
 
 
第六話 あんた何族?C
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このとき著者は「住民票、戸籍」をイメージして回答し た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008年夏のできごと
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 あんた何族?D 
 
 
 
 
倫理基準で修正済みのアダルト動画。なお、中国はわ いせつ画像の規制は厳しい。しかしながら、それ以上に 海賊版や違法画像の方がなお強い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カザフスタンはロシア寄りであり、ロシア化が著しい。国 民もカザック系とロシア系が混在している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ツァイジェン=再見の意味。
 
 
 
 
紀行エッセイ「バスターミナル」