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シルクロード。
漠然と言われてイメージするものは何か。長い一筋の陸路をたどる文化圏である。すぐ隣
のアジアのお話。にもかかわらず、われわれ日本人の想像するシルクロードは、おとぎ話に
も似ていてリアリズムに欠ける。
たとえば井上靖の小説『敦煌』、久保田早紀の歌謡『異邦人』、イスラムモスクの立ち並ぶ
エキゾチックな『イスタンブール』。これらに代表されるイメージに他ならない。まま、日常生活
にはなんら支障をきたさない。につけても、日本で生活していると、どうも外の世界のリアリ
ズムが希薄化してしまうように感じるのはオレだけであろうか。
今回の長旅でオレがたどっているシルクロードとは、どんなところか。そしていま、オレが
(エッセイの舞台として)身を置くパミール高地とはどんなところか。簡単に説明しても、悪く
はなかろう。
今回はつまらない話かもしれないけれど、ちょっと聞いてもらいたい。
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シルクロードの解釈は多々あるが、もっともイメージしやすいのは、中国の帝都『長安(現
在のシーアン)』から、欧州とアジアのかけ橋『コンスタンティノープル(現在のイスタンブー
ル)』までの交易ルートだろう。
一本道が伸びているわけではない。文化圏を道に喩えてこう呼ぶのだ。
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交易の目玉はシルク。伴って、多くの文化がこの道を往来した。食事・芸術・音楽しかり、
技術・産業しかり、もちろん民族や言語も。それらの根底にあるものは世界最大規模の宗教
『イスラム教』である。実際にシルクロードをたどってみて、この道をして『イスラミックロード』
と言わしめることになんら抵抗を感じない。
オレは道程を、『大陸』、『中央アジア』、『世界交差点』の3つに区分した。
『大陸』は、中国西部タクラマカン砂漠に代表される灼熱の内陸気候の地域だ。敦煌やト
ルファンはこの地域にある。ラクダと隊商、仏教寺院とイスラム寺院、そして西遊記。回族や
ウイグル人が文化を築く。ウイグル人は中央アジアのウズベク人とルーツを同じくする人々
だ。エキゾチックな顔立ちで、のっぺり顔の漢人とは異なる。
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中央アジアは、旧ソ連から独立した国々(通称5スタン)をさす。北部の草原はモンゴルの
イメージに近く、のっぺり顔の人々が移動住居に住んでいた。中西部の砂漠地帯は、バザー
ルの喧騒やモスクの祝詞でにぎわい、いずれもトルコ系遊牧民をルーツとする。いっぽう、山
脈に隔たれた東南部の高山地帯はペルシャ系遊牧民をルーツとし、彫りが深く毛深い人々
が多い。
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最後の区分、世界交差点で発祥したトルコ文明とペルシャ文明は、アメリカを除くすべての
大陸の文化を取り巻いた。トルコやイランの立地はまさに交差点とも言えよう。いずれも史上
幾度となく世界の中心となった土地である。
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いま、オレが旅するパミール高地は、中央アジア南部の山岳地帯で、ペルシャ文明をルー
ツとする地域だ。この流れは北の大山脈に沿ってこのまま東へ渡り、アフガニスタン、パキス
タンを経てインドにいたる。
シルクロードの起点をインドとする考えもある。確かにインドは香辛料や産品など物資が豊
富だ。そういう意味で、このパミールもシルクロードに含めて良いだろう。
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立地の条件により、この辺りの食文化は中央アジアのどの地域にまして貧しい。また、芸
術や技術もぱっとしない。なにせ何もないのだ。木もなければ水もない。鉱物もなければ動
物もいない。いまだにライフラインは整わず、集落でたまに見かける手動ポンプ井戸は、日本
政府の援助によって建築されたものである。
パミールの旅では、わずかな謝礼(1千円程度)を支払って、民泊することが多い。民泊は
発展途上国に見られる物々交換としてのホテル役務とは違い、『おもてなし』を存分に受け
ることができる。その土地の人々と触れ合うにはうってつけだった。
パミールハイウェイにあるブルンクール集落の話だ。旅行者が到着したら、彼らはお茶と菓
子で迎え、夕食をふるまう。そして一息ついたら親族が居間に集まり、お話をしたり、音楽ビ
デオの放映をしたりして客をもてなす。電気がない地域だ。客のために若い衆が軒先で発電
機を回す。集落で珍しく煌々と電球が灯るのだから、近所の無関係な人も、久しぶりの音楽
ビデオを見に集まってくる。
このパミールの地では、インド文化が人気だ。かつて日本でも『踊るマハラジャ』なる映画
が流行したように、インドの歌謡舞踏はパミールで大衆の心をつかんだ。音楽ビデオはもち
ろん、インドの歌舞エンタテイメントである。女たちはかいがいしくお茶を汲んだり子どもを遠
ざけたり、客の寝室を調えたりしている。男たちは「インドスキー、ハラショーダ(やっぱり、イ
ンド風はイカすだろう)?」などと言った。
夜も更け、寝室に行くとド派手な布団が客人のために敷かれており、壁にはインド歌謡スタ
ーのポスターがデカデカと張られていた。
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山脈に阻まれ、渓谷沿いに流入する物資や文化と言えば、南アジアからかろうじてやっ
てくるものだったのだろう。
谷や丘などのいたるところに仏教遺跡が点在しているのだ。その多くはイスラム教の排他
主義に噛みつかれ崩壊し、現在イスラム一色に染め上げられているが、かつては異教徒と
して仏教が定着していた節が垣間見れるのだ。
タジキスタンの首都ドゥシャンベの博物館では、中央アジア最大級ともいわれる涅槃像が
展示されている。それ以外にも、東南アジアの匂いのする宗教美術品が多くのこされている
のだ。
イスラム教が遊牧民によって中央アジアに広がったのは10世紀前後のこと。それ以前は
土着の信仰や文化があったのだが、ここ、タジキスタンはインドなど南アジア文化の影響を
受け、システマチックな宗教があったことがうかがえる。すなわち仏教だ。
そして、仏教はイスラム教に塗り替えられた。
■ ■ ■ ■ D
旧ソ連から独立した5スタン諸国の中で、タジクは異色を放つ。まず、他の国々に比較して
抜群に貧しい。また国土の9割以上が山岳地帯であり土地の生産性が低い。物流も悪く、
封鎖環境にあると言えよう。
国民1人あたりの年間のもうけは2万円に足らないという。それに対して都市部の安食堂
での1食は200円程度。タジク政府の統計に含まれない自給自足の人々が、パミールには
多く存在するから、総平均で豊かさを数値化することはできない。だが、少なくとも数字では
上記のようにあらわされる。
パミールに暮らす人々にとっては、我々が思い描く未来も近代も想像に及ばない。そんな
余裕(余地と言うのが良いかもしれない)は生活にない。ここを訪れると、なんだかマジックミ
ラーで彼らの文化をのぞき見ているような錯覚を感じる。
それでも中国人労働力を招致して、パミール高地とタジクの西部の都市を結ぶ幹線道路
は徐々に整備されてきた。今日、パミールのバスターミナルからは、都市に向けて険しい道
を行くマルシュルートカが5台ほど出発した。
オレの乗ったマルシュルートカは、10時に客がそろった。病気の子供を伴った婦人、学校
に向かう少年、親戚を頼って働き口を探す少女、新婚旅行の夫婦、出稼ぎ労働者……。大
きな故障やパンクがなければ到着予定は深夜の12時だ。
アスファルトはない。寒暖の差は激しく、砂埃が舞う。いつガケ崩れが起こるともしれない。
マルシュルートカは激しくバウンドし、すし詰めの乗客たちの頭を天井に打ち付け、ひた走
る。
オレは、多くの想いとともに、荷台に乗せられて乗せて首都ドゥシャンベを目指した。
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