紀行エッセイ「バスターミナル」
第三章 草原に燃えるロシアの風
 
第一話 オバタリアンの正当性
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ルマトィに向かうカザック国鉄。オレのコンパートメントの空き寝台に途中乗車してきたの は、2人のロシア系カザック人女性だった。
カザック国鉄のコンパートメント
シワ・たるみ・シミの際立つ肌は白く、目が覚めるような金髪だ。厚化粧で光沢がかってい る。露出の多いヒラヒラの衣服を体にかぶせ、2人ともサングラスをしていた。
 
彼女たちは各自の寝台に荷物をのせるや否や、まずオレに自分たちの要求を慇懃に、か つ、こまごまと伝えた。オレもうっかりしていた。彼女たちはレディファースト文化の人々であ る。譲り合いではない。譲らなくてはいけない。
 
昨日までカザフスタンに向かう中国人労働者や、カザック系中国人とばかり話をしていけれ ど、いまや彼らはすっかり列車内で肩身を狭くしている。
 
カザフへ夢運ぶ列車は、いつの間にか、カザフをひた走る列車に変わっていた。
 
夜が明け、アルマトィ駅に到着すると、中国人労働者たちが布団などの生活用品がたくさん 詰まった巨大な風呂敷を列車から引きずり出し、線路上に黒山の人だかりを作っていた。彼 女たちは足早に駅から立ち去る。
アルマトィI駅
広々とした旧ソ連的な道路、街路樹の下を自らの足で歩み始めると、ふつふつと中央アジア 圏にやってきたという自覚が湧いた。
アルマトィ市街
ところで、カザフスタンやキルギスなどのロシア文化の影響を強く受けた国々の中年以上の 女性たちは『自由』に見えた。それは、ラテンアメリカのように開放的だというわけでもなく、 また、社会でのびのびと活躍しているわけでもない。
 
品の良いオバタリアンだ。
 
忌憚なく自己の主張を相手に伝える。そのこと自体は良いことなのだけれど、その主張は公 共の福祉や社会の貢献ではなく、利己的だ。レディファーストとも質が違う。イスラム圏であ る中央アジア独特の感覚だった。
 
イスラム教では、自分の奥さんを太らせることが、男の甲斐性とされるそうだ。この考え方自 体は男目線の発想なのであるが、ロシア化により女性蔑視からかなり解放されている。
肥満は中央アジアの社会問題
中央アジア諸国の近代化は、ロシア正教的な主義・思想をもつ旧ソ連によってもたらされ た。女性蔑視からの解放は、近代化が異教異文化によったものではないトルコなどに比べる と、より自然で根っからのものに思える。
 
つまり、女性の欲求を満たすことへの美徳にロシア風のレディファーストが入り混じって独特 の風潮が成り立ったのではないだろうか。結婚で強くなりすぎてしまうようだ。
 
カザフスタンと性質が近いキルギスの都市部で、マルシュルートカ(乗合バン)を利用したと きの話だ。オレは連れ合いの旅行者コータローと座っていて、1人の若い男が満席の車内に 立って乗車していた。
ターミナルのマルシュルートカ乗り場
そこに40代くらいの女性が2人乗車してくる。オレたちはそれに気がつかない。立っていた 若い男はオレに、「席を譲れよ」と注意してくれた。かたわらでコータローは、もう1人の女性 に直接「あんたどきなさい」と言われ、少し意外そうに席を譲っていた。
 
ロシア風イスラム遊牧文化における年配の女性を非難しているように思われるかもしれない けれど、そうではない。ただ、別の文化圏を旅して違和感を感じたのである。
 A   
央アジアに垣間見れるロシア文化の国民性は、フレンドリーとは言えなかった。
 
フランス・ドイツ・イギリスなどの欧州の先進諸国は、国家の立場そのものが世界においてか なり『大人』な位置づけにあると思う。
 
どんな人に対しても対応が自立的であり、キリリとしてビジネスライク、ときに冷たさを感じる こともあるけれど、『礼』の伝統もあろうから、米国のように確信犯的に相手の文化を軽んじ た対応をとることも少ないだろう。
 
だが、ロシア文化の国民性はこうした欧米圏の先進諸国に見られる国民性とは違った。中 央アジア諸国にオレが見たロシア的国民性は、やや威圧的に主張し、否定的に指摘する。 閉鎖的で、少し固い。
 
そのことは、ロシア語の言い回しでも感じる節があった。
 
否定をして軽い疑問ならしめる文法は世界各国でも良くあるが、ロシア語であれば「〜です よね?」という感じで、肯定を相手に促す形で簡単な疑問を表す。
 
また、人を赦す場合、英語でも日本語でも相手の非を打ち消す言い回しを通常は使うが、ロ シア語は「気にしておいてください、取るに足りません」と、相手の非を打ち消さない表現が 特殊ではない。
 
オレのロシア的とは、『尊大なネクラ』だ。
 
ちなみに、あだ名ブームに則っていうなれば…。アメリカは『背伸びした脳筋』、中国は『素朴 なKY』。日本はさしづめ『フ抜けた優等生』といったところか。外交や政策ではなく、国民性 の話である。
 
あいや、マニアックな悪ふざけが過ぎたので反省。
  B  
ルマトィに到着したのは早朝。見どころとされる場所を回っては見たものの、どこも30分 程度で飽きてしまった。いま、自分の手記を読み返してみてもあまり大した記録は残ってい ない。
 
印象に残っているのは、自分から訪れてみたいと思った日本墓地だ。オレはカザフという国 を知らなかったし、ましてやここに眠る日本人がいるということも知らなかった。それゆえ特に 有名でもないし名所でもないけれど、ここだけは来てみようと思ったのだ。
アルマトィの日本人墓地
とうとう到着初日にして、次の町シュムケントへ移動の準備を開始したかだ。
 
こうした旅において印象に残るのは人とのふれ合いである。アルマトィで言葉を交わした記 憶といえば、店やタクシーのなどの交渉か道を尋ねたくらいか、外国人ににわかに興味を持 ってアプローチしてくるヒマな人くらいだろう。
 
「お前、中国人…、じゃないよな。韓国人だろう?」
「違うよ。」
「ウソだろ、お前、韓国人じゃないのか?じゃぁ、マレーシア人か?」
 
なかなか、日本人という発想は出てこなかった。カザフにやってくる日本人旅行者なんてよっ ぽど少ないに違いないだろう。
 
「日本人だよ。」
「…。に、日本人か!おぉ、TOKYO、OSAKA、HIROSIMA、NAGASAKI!」
「ハハ…。」
「ジャッキー・チェン。ホァア!タカダー、プライドー。」
 
思いもよらない日本人との遭遇に、きまって彼らは知れた日本を引っぱり出してくる。そして 大かた「日本人はイイヤツだから、お前は友達だ!」と、こうなるのだ。
 
それで何かドラマティックな展開になると思いきやそうでもなく、にわかな興奮が覚めるとどこ かに消えていくのだ。その軽薄さが、だんだん億劫になってくる。
   C 
ュムケントへ向かう列車に乗り込むと、乗客が入れ替わり立ち替わり、オレのコンパート メントまでやってきては何も言わずに立ち去った。遠めにジロジロと眺めながらも、話しかけ る風はなかった。
 
もどかしい気持ちになっていたころ、カザック系の男が不器用に話しかけてきた。ジャンドゥ ースと名乗るその乗客は、33歳の純粋なカザック系カザック人だった。
 
妻とともに乗車中だが、短距離移動であるため寝台切符を持っていない。だから、コンパート メントで圧迫された狭い車両の通路に、妻と縦並びになってしゃがみこんでいた。通路は人 の往来も激しく、寝ることもできまい。妻はクロスワードパズルに夢中だ。ジャンドゥースはた いそうヒマだったのだろう。
 
オレは、ジャンドゥースにロシア語を教えてもらうことにした。彼は彼で辞書を見ながら、自ら の興味を満たすことができるし、オレもロシア語を勉強することができ、なおかつ、カザック人 がどういう人々なのか知ることができる。時間はたっぷりあった。
ジャンドゥースと著者とウズベク系の少年
突如辞書が暗くてよく見えなくなった。ふと顔を上げると、他の乗客たちが覆いかぶさるよう にして、珍しい日本人観察に乗っかってきたようだ。オレはまるで見世物か…。もののついで にタバコなどをねだる不届きがも多いは困りものだ。
 
寄手が突入すれば、後詰が押し寄せる。そして、敵陣に乗り込めば雑兵によっ掠奪などが て繰り広げられるようなもんだ。いずれにせよ気分は、あまり良くなかった。
     D
い、暑い。それにしてもカザフスタンは物価も高いし、思った以上に過酷な環境である。 キルギス行きの夜行バスに逃げるように飛び乗った。まだ、乗客はまばらだった。
 バスターミナルの人々、カザック系とロシア系
バスの後部座席はすべて取り払われて、埃っぽくくすんだ絨毯が敷かれていた。何に使うの だろうか…。
 
出発間際になると、肥大した女性たちの一団が乗り込んできた。そして、迷わず後部の絨毯 スペースに雑魚寝すると、すね毛の生えた太い脚を投げ出し、さっそくいびきをかき始めたの であった。
バスのお座敷
第一話 オバタリアンの正当性@
著者は中国の新疆ウイグル自治区区都ウルムチから3 6時間2泊3日の長距離列車に乗って、カザフスタン南 部第一の都市アルマトィを目指していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
慇懃に、努めて丁寧に。
 
 
 
 
 
 
 
 
アルマトィはカザフスタン南部第一の都市。激しいインフ レのもと急激な建築ラッシュが続いている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キルギスは旧ソ連の中央アジア諸国の中でもカザフス タンに並びロシア化が著しい。都市部は完全にロシア 化し日常会話としてロシア語を用いるが、地方では遊牧 生活を続ける人々も多く格差は激しい。
オバタリアンとはバブル期の日本の流行語。自己中心 的な振る舞いをする中年以上の女性を指す。オバタリア ンをテーマとするマンガ・ドラマまで登場し、社会現象に もなった。 
忌憚なく、はばかることなく。
 
甲斐性とは人に褒められる立派な行い。
イスラム教では女は男の所有物という考え方がある。そ の上で自分の奥さんを太らせるということは、自らのス テータス誇示の意味があり、男目線の発想という表現を 用いた。
 
 
 
 
トルコはイスラム教国家としては随一の近代化を果たし た国であり、政教分離の観点から古いイスラムの慣習 を重視しない政策をとっている。
 

 
コータローとはキルギスの首都ビシュケクで知り合い、 その後約1月にわたって行動を共にした道連れの日本 人。中国在住。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第一話 オバタリアンの正当性A
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
英『〜Isn't it?』、日『〜じゃない?』、西『〜no(ノ)?』、 中『能不能(ヌォンブヌォン?』、露『〜да(ダ)?』
『Don't mind, No problem』、日『気にするな、大丈 夫』、露『На’до быть осторо’жне е(ナーダビッツィアストロージニェエ)、Ничего (ニチェゴー)』
 
 
あだ名ブーム、タレント有吉弘之氏が鋭い観察眼と毒舌 を自身の苦節に包んで「あだ名」という形で世に発表 し、それが受け入れられている。
脳筋、脳みそ筋肉、単細胞。
KY、空気が読めない人のこと。
 
第一話 オバタリアンの正当性B
 
 
 
 
 
 
日本人墓地は、アルマトィだけではなく、旧ソ連圏の各 地にある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カザフスタン物価は、中国の2倍払って中国の半分のク オリティ。世界遺産は3つ。遊牧文化は滅亡済みで、伝 統的なカザック遊牧民は中国領内でわずかに見られる 程度。優先的に観光旅行の目的地には挙がりにくい典 型的な国。
米国を嫌う中央アジアの人々は、原爆を落とされた唯 一の国日本に対して、米国を嫌っているはずだという先 入観を持つ人が多い。
ジャッキー・チェンがダサい劣等民族の中国人と思って いる中央アジア人は多い。またジャッキーをブルース・リ ーと混同することが多い。さらに日本人は中国語を話す と、思っている人も多い。
タカダとは、総合格闘技プライドの総括高田延彦氏のこ とで、カザフで有名な数少ない邦人。
 
 
 
 
 
第一話 オバタリアンの正当性C
 
シュムケントはカザフ南部の第二の都市。ステップ地帯 に位置し夏は酷暑。郊外のテュルキスタンには世界遺 産のモスクがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第一話 オバタリアンの正当性D
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第二話 馬上の琴とまずいメシ
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 暑ぃ…、死にそうである。もはや汗をショートカットして湯気しか立たない。まるでお酒を 飲んだ時のように赤面状態で体中が火照ってしまうのだ。いわゆる熱中症らしい。
 
 テュルキスタンの世界遺産、聖人ヤサウィの廟の近く、売店を見つけ今日3リットル目の水 を買う。日陰に入り一息で500ccほど喉に流し込むと、急激に汗が出た。汗を吸った皮膚に 風があたると、熱風だということに気がついた。それも排気ガスと砂埃混じりの…。
巨大なヤサウィ廟灼熱のステップ地帯
 草原の国カザフスタン、雄大で美しいイメージがあったけれど、現実は甘くなく、早々に逃 げ出すべく今夜、キルギスに向かう夜行バスに乗り込むことにした。
 
 日が暮れても暑いのだ。車内は人間たちから蒸発する水分で、走るサウナさながらであ る。車中には、旧ソ連の古びた映画のセリフがスピーカーも割れんばかりに鳴り響き、睡眠 さえも容易には許されなかった。そんなバッテリーがあるのなら…。
 
 エアコンは燃費をものすごく食うのでつけてはいけない。こちらにおいてはいらない機能な のである。無理なお願いだとは思ったけれど、いや、無理なお願いだからこそ、「どうかエア コンを付けてください」とアッラーに祈った。
 A   
 日が暮れるのは夜の9時を回る頃だろうか。こちらの夏は、日がとても長い。というより は標準時差がかなり遅れているのだろう。
 
 車窓には、夕日に照らされる黄金色の草原が映し出されていた。牧童たちが相撲をとって いる。一日が終わり、家に帰って食卓を囲む。そんな団欒前のひと時を楽しんでいた。
夕暮れの牧草地と牧童たち
 羊の放牧、きっとこの風景が、現代の定住化したカザフに残される、数少ない遊牧生活の 面影だった。
 
 遊牧生活を営む人々にとって、吟遊詩人は尊敬される存在であった。定住地をもたない彼 らの文化を語り継ぐアイデンティティの象徴的な存在なのである。馬を駆って、草原の各地を 放浪し、ドンブラやコムズで歴史や伝説を語り巡るのだ。
 
 遊牧民に伝わる楽器には弦楽器が多く、笛は少ない。これらの弦楽器は美しい旋律を奏 でるというよりは、むしろリズムを重視して演奏される。そして、曲は単調なものが多く、独特 の雰囲気を醸し出して物語の繰り広げられる周囲の空気に香りを付けた。
 
 弾き『語る』ことが、彼らの音楽の原点だとしたら、納得の行く話である。
カザフの楽器博物館カザフのドンブラ奏者
 南米では同じ弦楽器でもリズムはもちろん、旋律も重視される。ケーナやサンポーニャな ど、旋律を自由に奏でることができる笛も多い。南米の音楽的文化は、スペインによってもた らされた文化と融合して、独特の世界観を表現することができた。フォルクローレ(伝承)と呼 ばれる、世界的に確立された音楽ジャンルとして。
 
 南米の音楽の原点は、祭りや踊り、つまりエンタテイメントなのである。いまも、どこかの路 線バスで流しのフォルクローレ奏者が、バス停からバス停まで演奏しておひねりをもらってい るのだろう。
 
 しかし、シルクロードの遊牧生活において重視された吟遊詩人は、いつしかその役目を終 えてしまった。定住化である。原点を失った音楽は、歴史に取り残されるのだ。
 
 いま、エンタテイメントとして受け継がれている音楽的な文化は、ウズベキスタンの宮廷音 楽くらいであろうか…。草原に吹く悠久の風を表現してくれる、オレの心に響くような音楽は、 残念ながらシルクロードの各地を巡っても、ついには巡り合うことができなかった…。
ウズベクの観光用宮廷ダンス
ウイグルの楽器露天商キルギスの路上演奏家
  B  
 環境が生活スタイルに及ぼす影響は、音楽だけではない。食生活においてもとても特 徴的なのである。料理は文化だ。土地柄によって発展する文化、しない文化があってもおか しくはない。山も乏しく海もない地域では食材も限定される。
 
 ところで、オレはこのシルクロードの旅では常に食料袋を持ち歩いていた。中身は『ナン』と 野菜と果物だけである。ナンは原始的なパンで、水と塩で練った小麦を窯で平たく焼いたも のだ。
ウズベキスタンのナンキルギスのナン
 硬くて乾燥に強く、カビにくいナンはどこでも手軽にかじることができ、また、日もちもいい。 非常に重宝する食糧である。遊牧する彼らの主食だ。 
 
 肉類は死んでいるので食材のいたみがわかりづらく腹痛を起こしやすいけれど、果物は生 きているからいたみがすぐにわかる。皮を剥けば、まったく安全なものだ。
 
 オレは市場に行くと、決まってその土地の野菜と果物とナンを買ったものだ。
野菜はどこでも手に入る
 旅人もまた、遊牧民と通ずる。じっくり火を使って調理するのが、おっくうなのである。
 
 もともと遊牧民や隊商民に広がったイスラム教では、不浄の動物である豚の食用を禁じ た。やっぱり彼らはじっくり火を使って調理するのがおっくうで、ちゃんと豚肉の持つ雑菌を消 毒しきれないからだと、ある旅人は言っていた。
 
 彼らは牛や鶏を良く食べるけれど、何と言ってもイスラム圏では羊肉であろう。羊はある程 度環境が悪くてもしぶとく生きていけるし、毛が取れる。遊牧生活にはうってつけだ。
大量の油で焼き、生玉ねぎを乗せ塩をかけただけ
 それゆえ毛織物の技術はとても発達している。ペルシャやトルコなどが有名だけれど、遊 牧民の絨毯の丈夫さや美しさは目を見張るものがあった。
イランのペルシャ絨毯屋絨毯を洗うペルシャ系タジク人の少女
タジク山岳民族の民家キルギス山岳民族の民家
 どんなに貧しい家庭であってもシンメトリで幾何学的な模様の鮮やかな絨毯を生活必需品 として持っているものだ。遊牧民の移動住居ヤート(ユルタ・ボズユイ・キーズユイ)の中身は 鮮烈な模様が空間を支配し、ひとつの独特の世界を作り出している。
 キルギスの移動住居の中
 環境に応じる。英国にガーデニングやお茶が発達したのと同じように、料理の文化が発達 するところ、しないところがあっても何ら不思議はない。
   C 
 とは言え、料理に対しては世界的にも高い関心を持つ日本人には、そうした国々はや や辛いところもある。
 
 たまに人類の受け入れ得る味の限界をはるかに超越した物体にさえ遭遇することさえあ る。舌の造りは独自の進化を遂げているのかもしれない。
チャンピオンの馬乳発酵酒クムス穀類の練り物に砂糖を混ぜ油をたらしたモノ
 定番中の定番で安心感のあるラグマンやショルポにもさすがに飽きてしまう。また、炭水化 物と脂肪分があまりに多く、栄養バランスは極めて悪い。こちらでは脂身をご馳走としてみる 慣習があるようで、肉には必ず脂身を加えるのだ。
油の層で中身が見えない脂身が食材
 かといって、生野菜とナンだけの食事もさびしい。疲れた日には温かい食事がしたいのは 我がままではあるまい。だが、キッチンを使えるユースホステルのような宿も旧ソ連圏にはと ても少なく自炊もままならない。
 
 都市部のカフェは高めで量も少ないロシヤ料理っぽいものを出す。これらはコピー品質で、 十中八九はひどいものだった。もともと技術のない所に技術を持ち込んだところで付け焼刃 なのである。
ロシアンカフェで出た塩味の『ミャーサ(肉)』
 それゆえ、カザフにしろキルギスにしろ中央アジア全体において、食事は苦労したものだ。 やはり、長期の旅において食事は大切なものなのである。
 
 キルギス人女性のグリザールと食事に行った時のことである。
 
 「そんなものしか食べないで、キルギスの料理がマズいって思われたら残念です。やっぱ り現地のレストランに行くときは、現地人と一緒の方がいいデスよー。」
 
 なるほど、たしかにそうだ。現実問題、ロシア語で書かれたメニューが何を指しているのか 皆目見当もつかないわけだし、すると、失敗しないためにも見覚えのあるメニューを指差し頼 んでしまう傾向は否めないわけだ。
 
 出された料理はロシア料理でもキルギス料理でもない、いわゆる創作料理であった。アジ ア風サラダと牛肉のガーリック炒め。味は、飛び上るほどおいしいとは言えないけれど、なる ほど、いままで食べてきたものとは一味違うし、かなり楽しめるものだった。
人参、ピーマン、きゅうり、牛肉を炒め、生の青菜を散らす
 「たくさーん、食べてくださいね。これが、キルギスの若い人たちが普段食べる料理なんで すよ。ラグマンやシャシリク、ピロシキやボルシュ(ボルシチ)だけじゃないデス。」
 
 オレが皿の下にソースの如く料理がヒタヒタになるくらい溜まった油をさし、「こっちの料理 はげんなりするくらい油が多いね…」と言ったら、彼女は「キルギス人は自然に勝つために太 らなければ早く死んでしまうんデスよ」と、返してきた。続けて言った。
 
 「でも家庭では体に悪いのでここまで油は使いません。ここはレストランですからデコレーシ ョンのため油をたくさん使います。その方がおいしそうに見えるデショ?」
ぶつ切りチキンの炒め物、あぶら味透き通る油スープのショルポ
 現代に生きる油信仰。イスラム教徒の男性、妻を太らせる責任があるという宗教的な正当 性もあいまって、特殊なタジキスタンを除く中央アジア諸国の既婚女性の多くは、ファットピ ープル化してしまい、あまり健康的にも良い傾向とは言い難い。
 
 事実、定住して以来ロシア文化による近代化が進み、遊牧生活からだいぶライフスタイル が変わってきた現代の中央アジアにおいては、こうした肥満問題は社会問題になりつつある という。
    D
 ところで、ファットピープルとは、アジア人の肥満傾向と社会政策を研究し、医療費削減 と消費税増税阻止を訴える中年バックパッカーセイジが、その研究論文中に用いた用語で ある。
 
 「あの人、面白いですねぇ…。(旅人1)」
 「うんホント、ちょっと変わっているねぇ…。(オレ)」
 「あ、彼?要は、デブ専でドラえもん好きの八百屋の息子でしょ?(旅人2)」
 「見方によっちゃ、ちょっとアレですねぇ…。(旅人1)」
 「うん、頭が良くないオレとは、どうも話が噛み合わない気もする…。(オレ)」
 「見方によらなくても、しょうもないオッサンだよ。(旅人2)」
 
 暑いシルクロードの午後の過ごし方は、チャイに限るのだ。
午後、男たちはチャイを飲んで過ごす
第二話 馬上の琴とまずいメシ@
 
 
 
 
テュルキスタンはカザフスタン南部の都市。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第二話 馬上の琴とまずいメシA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ドンブラはカザフの弦楽器。コムズはキルギスの弦楽 器。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ケーナはアンデスの縦笛。
サンポーニャは階段状の筒笛。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第二話 馬上の琴とまずいメシB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第二話 馬上の琴とまずいメシC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ラグマンは中央アジア全域で食べられている汁うどん で、ショルポはスープのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ピロシキはロシア風の揚げパンで、ボルシュはロシア風 の野菜のトマトスープ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第二話 馬上の琴とまずいメシD 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第三話 ロシア少女のような建物
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 「は…。」
 
 軽く黙とうをささげおわると、オレはバンダナ代わりに頭に巻いた手拭いをサッと取り、バサ バサの髪をかきあげて踏み出した。
 
 オレにとっては初めてのイスラム体験だ。ここがカザフスタンの聖地ヤサウィ廟、世界遺産 にも登録されているイスラム神秘教派の聖人のお墓である。
 
 現役の宗教施設は人を真摯な気持ちにさせる。観光用に一般公開されてはいるけれど、 巡礼者はいる。他人の真面目な生活の営みにお邪魔するわけだし、緊張する。
 
 町で見るよりもおごそかな顔付きの人々。オレの前を歩く男性が、イスラム帽をかぶりなお した。入口付近には白装束の巡礼ツアー団体が記念撮影をしている。
巨大すぎるヤサウィ廟巡礼ツアー客
 だけど、入場するのにちょっとした覚悟が要ったのは、真摯な気持ちになったからだけじゃ なかった。
 
 「これが、イスラム世界…、なのか?」
 
 圧力、そして畏怖。
 
 幾何学模様とアーチ形、ドーム型による徹底した空間の創造は、イスラム教ならではであ る。この空間デザインに感じ取れるコンセプトは、理屈のいらない服従、そして圧し掛かるよ うな圧力。
ヤサウィ廟の門構え
 なんてことはない。あるのはイメージ通りの空間と模様だけ。そこに、何も見えない。見え ないのだが、確かにオレは、この空間の圧力の源を感じていた。
 
 戒律やしきたりを重んじ、徹底的に対抗馬を排除する。思考停止をもいとわない強烈にア グレッシブなストーリー仕立て。頭を使わなくて良いなら、楽だ。人は楽な方に流れる。盲目 的でさえある潜在意識への哲学の植え付け。
 
 「どうしてそういう決まりなんですか?」
 「理由も何もない。コーラン(聖典)にそう書いてあるのだ。」
 「どうしてそういうことがコーランに書いてあるんですか?」
 「アッラーの御心のままだ。」
 「アッラーはどんな神様ですか?」
 「アッラーは見えない。だが確かにおわす。」
イランのモスク内部色褪せたタジキスタンのモスクのドーム
イランの橋のアーチ装飾トルクメニスタンのドームの裏側
 目に見えない空間の圧力は、イスラム教の性格を如実に表しているようだった。
 A   
 人は、知恵を付けたがゆえ、良心と本能に生じうるギャップに葛藤する。
 
 頭の良い哲学者がいた。迷える仔羊の苦しみを救うべく、哲学にわかりやすいおとぎ話を 付け説いた。イスラム教に限ったことではなく、これが、宗教の正体だろう。
 
 宗教は、その依存性がゆえに悪用されることも多かった。思想が解放された現代において 『宗教的』と言えば、ウサン臭さの形容詞のようにもとられがちなのはそうした背景からなの だと思う。
 
 で、宗教ストーリーは大雑把に、生前・現世・死後の3つに区別できる。生前も死後も、誰も 知りはしないからストーリーはいろいろだ。どこから来たかを示して現世の善行を義務化し、 どこへ行くかを示して現世の善行を煽る。
 
 かといってオレは宗教を軽んじないし、無神論者でもない。形を変えた哲学の追及であれ ば、信仰心は正義だ。思考のストップといえども、危うさを差し引いてなお公共多数の福祉 が得られるのであれば、良い。
 
 宗教はまた、生活に結びつき発展に寄与する。宗教は生きる苦しみからの解放が目的な のだから、生活に密着していなければむしろ不自然なのである。
 
 信仰が根付いた町のモスクの大多数は信仰心の履行のための事務所である。いうなれば 『神社の横の集会所』のイメージだ。
 
 だから、宗教施設が必ずしも芸術的で美しいとは限らない。カザフやキルギスでオレが訪 れたモスクにはたいてい、昼寝をするオヤジや仕事の休憩時間に祈るサラリーマンがうろう ろしていた。
 
 アザーンがなった。一日5回の生活の音。
 
 どこからともなく人が集まり、法衣をまとった僧を筆頭に祈りの儀式が始まった。オレは、た だ後ろのほうで姿勢をただし、この儀式を見守るだけなのである。
カザフスタン礼拝に集まった人々ウズベキスタン金曜集会から出てくる信者
  B  
 宗教に興味を持ったのは、南米エクアドルの首都キトの歴史的な旧市街を訪れてから だ。初めて宗教が生活の営みであることを、実感したのである。この実感は、宗教が生活に 密着していない日本人のオレにとって、大きいものだった。
 
 キリスト教は日本人にとっても、割と身近だ。信仰心なんかなくとも純粋に楽しめるストーリ ーと、わかりやすい芸術は、エンタテイメント性に富んでいた。
 
 そんな物見遊山の軽い気持ちで訪れたオレの軽率さをことごとく打ちのめしたたのが、エク アドルでの経験なのである。そこでは、民族衣装のアンデス原住民たちが嗚咽し、神父の話 に涙ながら耳を傾けている様子だった。
 
 オレにとって南米のキリスト教会は、『生々しい』ものであった。
ペルーのカトリック教会
写真提供:Peusho
 木像や装飾物、建物の柱の一つ一つが赤・茶・黒色で統一されており、これらのコントラス トに金の装飾が怪しく光り、血と生と死を連想させる。また、手垢でくすんだ建具や壁は、信 仰心と生活の営みの生々しさが染み込んでいるようにさえ思えた。
 
 生きている宗教建築には、特有の『オーラ』というものがあるのだ。
 
 それ以来、宗教建築の訪問はオレの旅において外せないものとなった。散歩に疲れると良 く宗教施設で休憩する。黙想をし、雰囲気を感じ、疲れた足を休めるには、静かな宗教施設 がうってつけなのである。
 
 生活の営みに使われているいわゆる公民館だから、ちゅうちょは要らない。異教徒の侵入 を嫌うものもたまにはあるし、もちろん、珍しい外国人の存在に気をとめる人もいるだろうけれ ど、まずは恐れずにお邪魔すると良い。
キルギスのアジア情緒あふれるイスラム寺
 真摯な気持ちを忘れずに黙想しているだけなら、それぞれがみんな自由に祈ったり十字を 切ったりして何事もなかったかのように生活の営みが繰り広げられていくのだ。
   C 
 ところで、カザフやキルギスは、旧ソ連の中央アジア5スタン諸国のなかでも、とりわけ ロシア化が進んだ国である。だから、ロシア的な都市部においてはロシア正教会がイスラム 教のモスクと併存している。
 
 正教会はキリスト教の一派で南米のカトリックとは宗派が違うから、もちろん様式や雰囲気 も違うだろう。そのうえで、ロシア正教会の感想を述べてみる。
 
 初めてロシア正教会を訪れたのは、カザフだった。
 
 それはまるで生々しさを感じないおもちゃの建物のような雰囲気である。しかしながら、さ わやかな、確固たる、神々の聖なる世界が建築に展開されていた。きっと誰が見ても嫌悪 感を感じることはないのだろう。
アルマトィの憩いの広場金は絶妙のバランスで埋め込まれて無垢な輝きを放つ
 その表現されたる世界が、外から心に浸入してくるあたりは、カトリックとも通ずるキリスト 教らしさがあった。世界観が内面より湧き起こる仏教的な感覚とは違うようだ。
 
 内部には、結婚式のチャペルにみられるような長椅子は並んでいない。体育館みたいに広 い箱型の空間があって、壁際につつましく木のイスが立てかけてあるだけだった。像なども あまり見られず、すっきりしている。
 
 壁は白で統一されており、天井や柱のグラデーションに淡い青色が使われる。きっと青空 を表現しているのだろう。天井には羽の生えた天使の絵画が雲と一緒に描かれていた。そし て、建具や祭壇などの装飾は、透き通るような金色だった。
 
 あぁ、金という色。同じ金でも南米のカトリックとロシア正教とはこうまでも違うコーディネート になるものなのか。世情と交われば俗のシンボルになるのに、清楚と交われば無垢のシン ボルになるなんて…。
ロシア正教会の特徴が良く見られるウズベキスタンのロシア正教会
 描かれた聖者や大天使が、壁面や額に現れる。立体でないだけで威圧感や圧迫感はほ とんど感じられなくなるのだ。ただ、彼らの鋭く優しい瞳はオレを見透かすように、絶えずこち らに向けられている。
 
 青、白、金の純潔なる空間に見とれていると、気付いた。ハッとするような金髪、透明な空 色の瞳、純白の肌。まるで、ロシアの少女のような…純潔さに、心の汚れが拭きとられるよ うな感覚がわき起こる。
    D
 域性もまた、住む人々の生活感とともに宗教建築に染みつく。自然環境に富んだキル ギスの渓谷地帯ではかわいいログハウスのようなキリスト教会に出会い、旅情を駆り立てら れたものだ。
白青金のイメージそのままに木目がやさしい
 キルギスのとあるキリスト教会で、イスラム風に髪をスカーフで隠した中年女性が十字を切 り、燭台にロウソクをささげていた。ここいらでは珍しい光景ではない。
 
 きっと、彼女にとっての日常生活スタイルは、イスラム風なのだろう。それは彼女がクリス チャンであろうと、なかろうと、だ。
 
 オレは、ギャップを感じた。ここまで違う宗教の共存に違和感を感じたのである。
 
 この国の近代化がロシアによってもたらされた。ロシア文化の一部として、ロシア正教も中 央アジアにおいてはロシア系移民とともに受け入れられたのである。
 
 キリスト教徒がイスラム教徒を暴力的に排除しようとした話は聞かない。要は、柔軟な方 が、この国々の近代史においては優位だったってことか…。
牧童たちと草原の日暮れ灼熱地獄の焦土
キルギスのロシア系の結婚式ウズベキスタンのロシア系の結婚式
 そう考えてみると、灼熱の草原地帯で馬を、鳶を駆り羊を追う人々の文化にあって、金髪 色白ブルーリィアイズって言うのもなんとも不思議な感覚だなぁ。
 
 なお、どうでもいいけれど、オレは柏手も打たないような軽い神道イストである。実は、これ に仏教テイストが加われば、典型的な日本人の宗教観念とまったく同じになる。日本は古来 より宗教と生活が密接にかかわらなくても、その戦乱の伝統の中で道徳観念が身に付いて きた老国家なのだ。仕方なかろう。
 
 でも、宗教に興味を持って海外旅行をすると、新しい気付きや、深い異文化コミュニケーシ ョンに出会えること請け合い。オレ流のとっておきの旅の楽しみ方なのだ。
第三話 ロシア少女のような建物@
 
 
 
 
 
 
イスラム神秘主義は、絶対神との融合・同一化を目指 すイスラム教の一派の考えである。融合・同一化(トラン ス状態)の手段は毒物摂取や苦行やダンスなど様々で ある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コーラン(聖典)とは、神の言葉を記した書物でイスラム 教のバイブルのようなもの。イスラム教ではコーランも神 の一部として神格化して丁重に扱う。イスラム政治の歴 史の約束事をまとめられているため、より厳密な規則な ども定められており、法典の位置づけもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第三話 ロシア少女のような建物A
 
 

あくまで私見である。
 
 
悪用とは、政治や利権に利用されることである。「坊主 憎けりゃ袈裟まで憎い」は、仏法を盾にして悪政を行っ た日本の故事に由来する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
定刻になると、モスクの塔から大爆音の祝詞が町中に 放送され、住民に祈りの時刻を知らせる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ロシア少女のような建物B
 
 
 
 
 
 
 
 
神父はカトリックの司祭を指し、結婚しない。牧師はプロ テスタントで、結婚もする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

筆者は生きている宗教施設内部は撮影しない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第三話 ロシア少女のような建物C
 
 
 
 

正教会はキリスト教の一派で、国家ごとにその総本山 がある。アルメニア正教、ギリシア正教、日本ハリストス 正教など。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「外から心に浸入する…」とは、筆者が各宗教建築の雰 囲気から得た個人的な感想に過ぎない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第三話 ロシア少女のような建物D
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
戦乱の伝統の中での道徳観念は、民族学者:新戸部 稲造が米国にて発表したその研究書『武士道』の中で 記述している。
 
 
 
 
 
 
 
第四話 働くのが嫌いな人々
@    
 まれて初めてリに遭った。自分は旅慣れている。スリや置き引きに遭う人はヌけて いると思っていた。ショックだ。キルギスの首都ビシュケクでの事件である。
 
 その日オレは、マルシュルートカと呼ばれる乗合バンでバザールに向かっていた。座席は 3人シートが3列と補助席で12人。夕刻ともなると混み、立ち客を含めると15人ほどになろ うか。隣に立っている若い男が密着するので、無意識に離れる。彼は再び寄ってきた。スリ だな……。お金の入った右ポケットに手をやると、まだ大丈夫なようだ。『見えない感覚もな いスリの攻撃』は続いた。車中はバザールに近づくにつれてますます混雑し、身動きが取れ なくなってきた。ポケットに『右手』を引っ掛けている限り、大丈夫だろう。
マルシュルートカ
 「ゴトゴトン!」バンが大きく揺れた。アスファルトの陥没に当たったようだ。その瞬間。手す りにつかまるオレの『左手』に、誰かの手がかぶさった。「イズヴィニーチェ(ごめんなさい)」 と、言ったのはバランスを崩したうしろの乗客だった。
 
 バンが停車し、数人が降りる。オレの隣にいた怪しい男もいなくなり、バンは再び走り出し た。ふぅ……、ん?怪しい男とバランスを崩した客とが並んで歩く姿が車窓から見えた。ヤカ ンが火に掛けられ、不安がポッポッとのぼって間もなく沸騰した。ポケットに掛けていた右手 を、奥まですり込ませてみた。……ない!
 
 「ここで降りる、止めて!」運転手は迷惑そうな顔をした。乗客たちの冷ややかな視線が集 まる。周囲に言い訳するように「デンギ、デンギ(お金)!」と叫んだ。バンを飛び降り、2人組 を追いかけた。彼らはオレに気が付くとニヤニヤしながら両手を広げるしぐさをする。こいつら が、犯人だ。
 
 2人組は自らカバンの中を見せたり、ポケットの中身を出したりして、アピールしている。お 金は、どこにもない。プロだ……。完敗だった。約4千円程度、こちらの3日分の滞在費にあ たる。大きなショックの原因は、『敗北感』だ。
 
 だが。
 
 泣きっ面を蜂に刺されると、痛みを通りこして脱力感しか感じないと知る。まだ、緞帳が引 かれたわけでは、なかった。泣きっ面のオレの目に、ヒマそうな2人の警官が映った。彼らに は、うろたえる外国人が格好のヒマつぶし材料に見えたことだろう。
 
 「どうしたんだ?(警官1)」 
 「いやぁ、さっきマルシュルートカでスリに遭ってしまいまして……。」
 「え、スリだって?どこへ行った?(警官2)」
 「いや、あっちの方ですけど、もういいんです。」
 「おう、おう、探し出してやるよ。どんな格好だ?(警官2)」
 「あ、いや……『無視したらどうせ追ってくるんだろうなぁ』……。」
 
 警官2人はオレを挟んでゆっくり歩き「パスポートみせろ」、「給料はいくらだ」、「車を持って いるか」などと、尋問してくる。そして、ときおり通り過ぎる人々をさしては「アイツが犯人 か?」、「アイツだろう?」と、聞いてきた。それは10歳くらいの女の子だったり、杖をついた 老人だったりした。
 
 パスポートを珍しそうに眺めていてなかなか返してくれない。「あ、これちょっといい?」と、 言いながらパスポートを自然に奪い取りつつ、キルギスの入国スタンプの所を指さしてみせ る。と、「あっ!アイツ、かな……、おっと違うみたい。」など言って、視線をそらさせたスキに しまい込みつつ、こう切り出した。
 
 「あのぅ、もう、いいんです……。」
 「お前が良くても、こっちは良くない。(真顔で行く手をさえぎろうとする)」
 「……じゃぁ、被害届けでも書いてください。」
 「被害届け、なんだそりゃ?そんなもん!(2人で顔を見合せながらニヤニヤする)」
 「じゃぁ、もういいです。ありがとうございました、さようなら。」
 「まてよ、コラッ!(腕を引っ張り声を荒げる)」
 「もぅ、メンドクセーな!なんなんだよ(日本語)?……なんですか(ロシア語)?」
 「オレは腹が減った。お前は腹減っていないか?(肩を組もうと密着する)」
 「いや、別に?」
 「チッ。じゃぁ、そこに店があるから、コーラ買おうぜ。(前方の角を指差す)」
 「いらないんですけど。」
 「いいから、店まで来いよ!(にらみながら腕を引っ張る)」
 「いや、ホラこれ。水なら持っているから……。」
 「お前じゃねーよ。コーラおごれって言ってんの、バカかお前?(嘲笑する)」
 「なんで?」
 「……ほんっと頭悪いな。スリ探し回ったから喉が渇いたんだよ。(あきれ顔をする)」
 「オレ、スられたから無一文ですよ。」
 「……チッ。」
 
 キルギスの、特にビシュケクの警官の話は有名だ。モラルや知能があまりにも低く、中学 生のカツアゲと変わらない。これが国家権力を持ってしまったものだから、どうにも手がつけ られない。ビシュケクの外国人向けの安宿には、警官にイジワルをされた際の対処法が事 細かに張り紙されているくらいなのだ。
壁に張られた旅行情報
 A   
 ソ連は共産主義だ。うまく運営することができれば、もっともすぐれた経済構造だとま で言われている。私見だけど、資本主義の課題が格差だとすると、共産主義の課題は怠惰 であろう。頑張っても頑張らなくても変わらない。変わったとしても意欲を駆り立てるほどの魅 力的なインセンティブではない。
 
 これは、一般的なアルバイト感覚に似ていると思う。
 
 以前、東京都内の外資系チェーンのコーヒーショップで見かけた光景である。レジ前には 短い行列が出来ていた。行列の中には日本語が一切話せない観光客風の白人の姿があっ た。きっと母国でも良く見かけるチェーン店舗だったので、気易く入店したのだろう。だけどメ ニューも読めないしシステムもいまいちよくわからない。ときに、自分の順番だ。英語でアル バイト女性に話しかけるのだが、女性は型にはまった慇懃な尊敬語で淡々と日本語を繰り 返していた。白人の客はオロオロと途方に暮れてしまう。列は止まった。そこでその女性の とった行動は、「はい、次のお客様、お決まりでしょうか?」白人の客は、とぼとぼと店を後に したのであった。
 
 なぜ、このような話をしたのかというと、ビシュケクの郵便局を訪れたときの経験が、あまり に酷似していたからである。平日の昼間、特に忙しいわけでもない。ロシア語もキルギス語 も話せない面倒くさそうな外国人がやってきた。そして何やら英語で要求をしてきて、良くわ からない。ロシア語の辞書を見せびらかしてきているけど、面倒くさそうだ。そこで、溜息をフ ゥとついて、あとは何を言われても適当にうなずくだけ。外国人は途方に暮れる。そこに、た またま少しだけ英語の話せる女性がやってきて手続きはできた……。
 
 給料も変わらないなら、楽をしたい、というのが当然の発想だ。共産主義のシステム上定 着せざるを得ない環境には違いなかった。
  B  
 「牧民は働かねー。」とは、中央アジア在住の旅行者の言葉である。「あいつら、楽ば っかりしようとするし、そもそも『労働』という概念がないのかもしれないね。」とまで、言うの だった。
 
 私見が続き恐縮ではではあるが、中央アジアの5スタンの中でも割と発展的なのは、カザ フスタン・キルギス・ウズベキスタンの3国である。このうち割と早い段階で定住化の進んだ ウズベクは、この3つの中で唯一ロシア的でない独自の経済発展を遂げている。底力に関し て言えばは、ウズベクに軍配を上げたいところだ。
カザフのロシア的な都市キルギスの首都の中心地
ビシュケクの文字はロシア文字
ウズベクの都市部はウズベク色が強いウズベクは綿花や養蚕桑畑など、古くから農業も盛ん
 確かに、農畜業にしても定住化した生活スタイルでは、スケジュールを定めて労働をしなけ れば生産性が得られない。そして、市場などの経済システムが起これば、当然のようにビジ ネスの概念が生まれるわけである。
 
 だから、遊牧文化が、近代的な経済・ビジネスマインドに馴染まないというのは一理あるの かもしれない。遊牧民は働くのが嫌い、とまでは言わないけれど……。
   C 
 スラム思想のひとつに、『喜捨』ある。喜捨は字のごとく、ほどこしは喜びであり、徳で あるという考え方だ。喜捨の概念は仏教やキリスト教にも通じるから(ちょっと考えの方向性 は異なるが)、必ずしもこれが労働意欲の阻害に直結するとも思わない。それでも、これが 労働意欲に少なからず影響しているのだと思った出来事をひとつ、紹介しよう。
 
 あるとき、街を歩いていたら男性の物乞いが話しかけてきた。「あ〜キミ、待ちたまえ」と、 尊大な態度である。基本的にはお年寄り以外の物乞いに恵みたくはない。そういう考えなの だ。だが、彼曰く「私にほどこしをなさい。そうすればキミ自身の幸せにつながる。惜しむこと はないよ。」
 
 喜捨の習慣があることは知っていた。そこで、気持ち程度にお金を渡すと突き返された。 「キミは何を惜しむのかね?キミのために言っていることじゃないか。こんなはした金は受け 取れない。」おやおや、特別に安い金額でもなかろう。それに気持ちの問題でしょう?と聞き 返してみたら、「キミは日本人で給料も我々の数倍はあるだろう?この金額は確かにはした 金ではないが、キミ自身の幸せの対価としてはどうかと思うがねぇ……?」
 
 そこで、オレは「じゃぁ、いーや。」と返されたお金をポケットにしまって立ち去ろうとしたら、 後ろから追いかけてきて、「さっきのお金でいいからチョーダイ」と、言う。
 
 せっかくの崇高な思想が、物乞い根性の正当化につながることもある。たとえば、今でこそ 近代都市で廃止されつつあるが、中央アジアに根強く残る『外国人価格』のマインドは、そ の典型だろう。タバコの物乞いが多いのなんかも、理解できない所ではある。
    D
 「しいからですよ。」
 そう言ったのは、キルギス人の友だちグリザールだった。25歳の彼女は才女で3つの顔を 持つ知識人である。成績優秀にして奨学金で日本留学を経ている。いまでは国立大学の日 本語講師、ロシア語のビジネス翻訳家、そして、日本人向けオンラインロシア語教師もして いた。
 
 何を隠そう、オレとグリザールが知り合ったのも、このオンラインロシア語学校なのである。 グリザールはオレの担当講師だった。実際にキルギスを訪れたときに、生での対面を果たし たのであった。
 
 彼女は「留学で、日本人に親切にしてもらいました。だから、キルギスでは日本人に親切 にしてあげたいデス。」と、言った。社会的な地位も高く、キルギスでも富裕層に入り、また国 際人なので、正真正銘の知識人と言えた。
 
 そんな彼女に、さっそくオレがキルギスで受けた洗礼の話をしてみた。すると意外な意見 が返ってきた。「お金がなくて貧乏だからです。外国人はキルギス人よりもお金を持っている でしょう?」そうか……。そう言われると身も蓋もない。では、警官のタカりはどうだろう。思惑 を表情から読み取ったのだろう。彼女はさらに「警官もお給料が安いです。だから、貧しいか らそういうことをやるんです。」と、続けた。
 
 不思議だ。グリザールは3つの仕事を掛け持ちし、毎日朝から夜10時まで働く。日本のお 父さんなみに働いて、月々の稼ぎは15万円くらいだそうだ。日本の価値に直すと、ざっと60 万円ほどだろう。その彼女がこうした輩を擁護しているようにもとれる発言をするなんて。
 
 彼女は「仕事が人生です。仕事がないと、なにもしようがないデス。」と、言う。もちろん彼 女には仕事のモチベーションがある。自分の生活だけではなく、良心、そして弟たちの留学 費まで稼ぎあげているのだ。一家の大黒柱だ。結婚はまだ、していない。キルギスの結婚 は20前後が普通だから、遅い方であろう。「仕事が趣味です。」ビシュケクには彼女のよう にバリバリやるビジネスマンも非常に多い。
 
 キルギス北東部の美しいイシククリ湖畔の民宿での話だ。実家の民宿を手伝いに来てい た青年ティムールは29歳。流暢な英語を話したので、ロシア語漬けだったオレはずいぶん 話し込んだ。普段はビシュケクの都市銀行に勤めるキャリアだ。「英語は為替業務の必須条 件ですよ。自分で勉強したんです。」と、さも当然のように語っていた。彼もまた自分の仕事 に誇りを持ち、楽しんでいるわけだ。
キルギスの宝イシククリ湖
 こうした人々が、キルギスのロシア的ビジネス化を引っ張る原動力なのだろう。バザール や観光地をウロつくような旅の中で、思わぬ出会いがあったわけだ。 
 
 「仕事がないんです。仕事があるのは幸せです。」とは、グリザールの言葉。そして仕事は つらい。でもそれを楽しむことができる人もいる。「仕事を楽しもう!」と、いうのは、特別な理 想論でも、ないと思うのだけどなぁ……。
第四話 働くのが嫌いな人々@
 
 
 
 
 マルシュルートカとは街の大通りを網の目のように行 き交う市民の足。路線バスはだいぶ整備されては来て いるけれど、キルギスではまだこうした乗合バンが主力 公共交通なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 著者は現金を持ち歩く際には体の各所に分散させて 歩いている。被害額はとるにたらない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ビシュケクの中心街には警官がウヨウヨしている。た いていほっつき歩いているか、ベンチで雑談しているか で、あまり緊張感はない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 前述したとおり、無一文と言うのはウソ。
 
 
 
 たとえば、パスポートの提示を求められたら必ず公衆 の面前で提示する。よくガイドブックでは警察署に行っ たうえで提示するよう書かれているが、ビシュケクでは 警察署ではなく交番に連行され、リンチ状態にされるの がオチであり、著者もまた実際にその憂き目に遭った。 公前で潔白を大声で主張すれば、住民の手前、警官も バツが悪くなってあきらめる。
 
 
第四話 働くのが嫌いな人々A
 
 
 
 『テトリス』を世界で最初に発明したソ連の数学者の報 奨は、カラーテレビ一台だったというウワサもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 著者は、中国の安宿の備品を無断で持ってきてしまっ たので、郵送で返却しようとしていた。
 
 
 
 
 もちろん資本主義においても、確固たるインセンティブ がないサラリーマンレベルでは同じ罠に陥る。
第四話 働くのが嫌いな人々B
 
 
 
 
 
 タジキスタンの国民1人当たりの年間GDPは2万円に 満たず5スタンでは最貧。トルクメニスタンはオイルマネ ーを首都にのみ集中投下していて特殊。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 働くのが嫌いな人々C
 
 
 イスラム教の喜捨は、絶対神アッラーに対する信仰の 表れとされ、自己の心の研磨とは間接的な関係にあ る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第四話 働くのが嫌いな人々D
 
 
 
 
 
 
 
 話せるオンライン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ビシュケクで会った旅人たち
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 ひとり旅をしているリィが、ずかずかとサロンに闊歩してきた。一見横柄とも見える態度 である。そのあとを、チャリダー風の格好をした中年旅行者セイジがニヤニヤしながら付いて くる。彼らの登場で、和やかだったサロンは途端、妙な雰囲気に包まれた。
 
 ここはキルギスの首都ビシュケクでもバックパッカーが多く集まる安宿である。夏の観光シ ーズン、中央アジア諸国のビザ申請の拠点ということも重なって、裕福で自由な先進諸国か らの若者たちでにぎわっていた。
バックパッカーの集まる安宿のサロン欧米人バックパッカーの集まる宿
 誰かが言った。
 
 「旅人さんってキャラ、濃いよね……。アタシね、思うの。ステータスを脱ぎ去って裸になる から、キャラが一皮むけて目立っちゃうのか。それとも、もともとキャラが目立っちゃうような濃 い人だからこそ、ステータスを脱ぎ去って旅人になることができるのか……。」
 
 見ると年端も行かぬひとり旅の女の子である。『萌えこ』と名乗った。22歳で、大学を卒業 してから就職をせずに海外に飛び出した。幼い風貌に似つかず、妙に哲学的なことを言って のけたのだった。
 
 とどのつまり、バックパッカーにはキャラクタの濃い人が多い。
 A   
 室のベッドではなく、吹きさらしのサロンのベンチで寝るカズユキは26歳だ。落ち武者 のような長髪をだらしなく後頭部にまとめ、ヒゲは伸ばし放題。かれこれアジア圏を8か月も 放浪しているらしい。最初、あまりの風来坊ぶりに宿のオーナーと見間違えてしまったけれ ど、表情にどこかあどけなさが残る。
 
 カズユキもまた独特な男である。キルギス語などの現地語はもちろんのこと、ロシア語も話 すことはできない。そればかりか、宿にいる欧米系のバックパッカーとの会話を聞く限りで は、英語もあまり得意ではないようだった。しかし、彼は宿の誰よりも現地人や欧米系のバ ックパッカーと打ち解けることができる、不思議な雰囲気を持っていた。
 
 『カリスマ』のひとことで片づけてよいものであろうか。言葉以外のコミュニケーション力をと にかく彼は持っているのだ。オレがコミュニケーションに心底苦労したカザフスタンでさえ、彼 はめぐり合わせか引き寄せか、良い塩梅に気の合う現地の人と知り合い、1週間ばかりそ の人の家に居候していたとか……。
 
 そうした彼の、流れに逆らわず身を任せる様だとか、場の空気や相手の気持ちを読む能力 だとかは、言わば天性のものであり本人は深くは考えていないようなのである。
 
 日本ではフリーのカメラマンをしていた。「この職業は、技術以上にコネが大事」と、言い切 るあたり、浮世離れしてない印象を受ける。カズユキいわく、「今回の旅は、取材でもなんで もない。ただ行きたかったから行ってみている。」潔さに、どこか羨ましさを感じた。
旅人たちが入れ替わるドミトリー
  B  
 宿の時期を同じくした旅行者の中に、コータローがいた。32歳の彼は、年齢不相応なほ どに人見知りである。サロンに出てきても情報ノートを読みあさり、現在繰り広げられている 話題には興味を持たないタイプの人であった。
 
 彼は大学卒業後の中国留学を機に、そのまま中国に在留して日本語の教師をすることと なった。大連の大学で、学生と日本語の会話練習を行う仕事をしている。標準語のアクセン トには、いつも気を付けているそうだ。月給は約6万円。無料で提供される家具付きの寮に 住む限り、100円も出せば1食にありつける中国にあって、たいそう余裕のある生活をして いた。
 
 大学の夏休み、彼は思い切って中央アジアへの自由旅行に繰り出した。ここビシュケクで 隣国のビザ申請をしていた彼は、1週間ほどの足止めだ。元来おなじく人見知りのオレは、 どこか同類の匂いを感じて彼にイシククリ湖一周のショートトリップの提案をしてみた。きっ と、彼もオレに安心感を感じたのであろう。少し悩んだのち、彼が下した結論は『イエス』であ った。
美しいイシククリ湖
 ふたり旅は効率が良い。ダブルルームを2人でシェアした方が宿代も断然安上がりだ。そ れに、強盗に遭う確率も単独行動よりも低い。だが、そんな屁理屈はもとより、観光の喜びを 分かち合える相手がいることは、うれしいものだ。
 
 で、あるからして。
 
 いざ、乗合バンを乗り継いでイシククリ湖にやってきたオレは、ビシュケクの安宿で顔見知 りだったイクエと偶然にもすれ違い、さも当然に彼女を仲間に加えた。イシククリ湖のショート トリップはにわかに3人パーティになったわけだ。バックパック旅行にあっては、こうした行き ずりの道連れはよくあることである。
にわか3人パーティ
 イクエは現役の女子大生だ。単位もあらかた取得できたし、あとは就職活動と内定を待つ ばかり。彼女は在学中に、イギリスへの短期留学経験があり、人より英語が堪能だった。そ れより特筆すべきは、外国に対して感じる日本人特有の壁が、そうした経験からか、かなり 低く設定されているのである。せっかくのメリット、自由が許される期間に活用しなければも ったいない。現代の社会人執行猶予型文系教育のスキマを、自ら埋めんとする元気な学生 であった。
 
 ところで、イクエの口癖は「申し訳ないです」、だ。そんなところに、彼女の若さが見え隠れ して微笑ましくもあった。返す方法を知らないだけなのである。でも、感謝を体で受け止めて いる、その表現に違いはなかった。
 
 「現代の若者は気概が足りない」と、嘆く中高年が多いのだろう。しかし、今も昔も若い人 にはエネルギーがあふれている。そのはけ口を示す工夫が足りないだけ。モノや情報で溢 れた現代をありきたりに生活する分には、気概を発揮する必要なんてどこにもない。だけど、 発揮の必要性を具体的に示して、エネルギーの発散場所を正しく提供してあげることが、い つの時代にも共通する『大人』の役割なのであると、そう、思っている。
   C 
 シククリ湖の東岸には、温泉の湧く渓谷地帯が広がっていた。イクエと別れたオレとコ ータローは、お目当ての温泉が湧くアルティン・アラシャンという集落を目指すことにした。6 時間のハイキングは、決して楽な道のりではない。緩急のぼり坂が延々続き、日差しは厳し い。彼はオレの歩幅に合わせるよう黙ってしんがりを勤める。それを苦とも思っていない様子 に、オレにない彼の人間性を見出すことができたのだった。
飲み水を汲むコータロー峠を越えて見えてくる集落
 ここにも、日本人がいた。Jaica(青年海外協力隊)として海外に派遣されている若者たちで ある。余暇を使って現地観光をしているのだ。バックパッカーとは、少し違う。Jaikcaは、社会 責任を全うしつつ活躍フィールドを海外に広げてくれる自己実現の一手段なのであろう。協 力隊は中央アジアだけでなく世界の発展途上にある各国に派遣される。オレが学生時代に 放浪した南米でも、Jaicaを名乗る人には良く出会ったものだ。
 
 協力隊員と話をしていて感じ取るのは、現代の日本社会において誰しも納得しうる地位を 付与され保証された立場であること。それゆえに、協力志願者の競争率は激しいいっぽう で、専門スキルを擁した技術者は競争率が甘いという現状。職員には生活費の名目のも と、日本の価格水準に合わせた実質的な給与が支給される。意欲あらばこれに、乗じない 手はないだろう。
 
 今年より新たにキルギスに派遣された新人協力隊員の女の子。彼女はOLを3年経験した のち、念願かなって志願競争に勝ち残った。迷わず退職。世界に飛び出し、キルギスの地 方で子供たちに日本語を教える任務に就いたのだ。任務の準備期間にキルギス語の講習 を受け、早くも現地の人と不自由なく会話できるまでになっている。
 
 「ホントはね。第一希望地は憧れの南米。けど、それは叶わず中央アジア。せめて広く通じ るロシア語で活動できるところに派遣されたかったの。でも、こればっかりはどうしようもない よね。私みたいに技術協力できない人間は、必要なところに配置されるのが必然だから。決 まったからには頑張るつもりだけど、やっぱ志望した赴任地に派遣されなかったのがどうして も引っかかっちゃう。あーぁ、贅沢な悩みなのかなぁ……。」
Jaicaの人々と
 渓谷地帯をあとにして、ふもとの町に到着するや否や、ビシュケクの宿で妙に哲学的なこと を言っていた『萌えこ』とすれ違う。ここで初めてミユキと名乗った。「なんだ、普通に可愛い名 前じゃん」と、言うと「やだやだー。ねぇ、アタシのことは『萌えこ』ちゃんって呼んで?」と、わ けのわからないことを言う。
アルティン・アラシャン集落でたたずむ著者渓谷の峠に咲く草花
 ズレた主張を口走る屁垂れ中年バックパッカーのセイジ、mixiで出会った旅行仲間と決別 しておきながらも道連れ行動を起こす他力本願依存症のフミコ。敢えて空気を読まないミユ キは、この2人を道連れにして、これから温泉渓谷に向かうようである。
    D
 シククリ湖のショートトリップから予定通り1週間後にビシュケクに戻ったオレは、以前利 用していた宿とは別の宿に陣取ることにした。戻った宿が満室だったのである。したがってこ こでもコータローと行動を共にする。コータローは相性が良い。新たな宿で待っていたのは、 冒頭で述べたリィである。
 
 「まったくさー、あのセイジっ奴最低だよね。ホント気持ち悪いし怖かったよ。それで道中引 き返して宿に逃げ帰ってきたんだよ?」
 
 リィはセイジと目的地が同じだったため、例によって道連れた。確かに旅人の道連れに男 女の区別はない。その道中、セイジはリィに対してストーカーやセクハラに近いアプローチを 繰り返したようだ。宿に戻って一息つくと、さらにまた宿を変えて完全に彼から離れたのだっ た。
 
 リィはオレとは気があうようで、セイジとの不快なる日々とその後のビシュケク周辺の旅行 話、これまでの旅の話を語りだした。半年ほど滞在した中国では、オレがウルムチで出会っ たエミとも酒を酌み交わしたそうだ。思わず人のつながりのいとおしさを感じるとともに、エミ の敦煌での酒豪ぶりを思い出さずにはいられなかった。
 
 リィは10年目の彼氏を日本に残している。結婚直前に最後の青春(?)ということで2年限 りの世界放浪を許された。日本に戻ったらすでに結婚の用意はできており、そして、彼女の 心の用意もできていた。リィは心を開いていた。彼女の特質なのだろう。
 
 ガードは、甘い。セイジではないけれど、オレも彼女と同室になったら、何らかのアプローチ をするかもしれない。もっとも、こうした身の上や気持ちを理解した上で、きっとコトには及ぶ まい。だが、セイジのように、理解の前に本能が先んじてしまう男もきっと多い。すると、リィ のこうした性格には、どこか危うさのようなものが感じられ、オレは愛着さえ覚えた。リィは3 0歳、男好きのする風貌ではある。
 
 翌日、オレと同じくショートトリップを終えたミユキがこの宿にやってきた。積もる話があるの だろう。セイジのヘタレっぷりや、それにキれてしまった他力本願フミコのワガママっぷりな ど、期待していたネタの数々が、彼女の口から飛び出した。そのどれもが悪意を帯びておら ず、ミユキ本人もうんざりしていると言うわけでもない。
 
 もとより、ミユキ自身もキャラが濃い。オレはこの空気を読まずモノを知らない若い女の子 に、菩薩のような心の広さと、図らずとも物事の本質に迫る頭のキレ、そして芯のようなもの を感じ、惹かれ始めていた。
宿のおばあちゃんの手作りジャムを味見する著者
ミユキ撮影
 オシュはキルギス第二の都市である。キルギスという国の南部に位置しており、国の中央 を東西に分断する山脈の峠道を、北の首都ビシュケクと挟んでいた。峠道は険しい。乗合タ クシーを利用するのがもっとも快適だ。
 
 「3人いれば、交通費もシェアできるし、なにより自由に車を止めて峠の景色を堪能できる よ。」
 
 おりしも、オシュに向かうと言っていたコータロー、ミユキを誘って相乗りの旅を提案した。も ちろん、効率のみを考えてのことではない。オレは、この不思議な3人の組み合わせで珍道 中を楽しむのも、いいな、と考えていた。
第五話 ビシュケクで会った旅人たち@
 
 
チャリダーまたはランドナーとは、アウトドア風にカスタマ イズされた自転車に乗って旅行をする人。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ビシュケクで会った旅人たちA
 
サロンとは宿の共有スペースで宿泊客たちが雑談や情 報交換をする場所。
発展途上国で宿を開く先進諸国出身のオーナーは、も ともと旅行者である人が多く、自由な雰囲気の人が多 い。
中央アジアは旧ソ連圏で、ロシア語が共通語として広く 通用する。
 
 
 
 
イスラム教徒には、旅人をもてなすという習慣がある。こ れはコーランにおいてメッカ巡礼者をもてなすことが自身 の徳を高める手段として明記されていることが習慣化し たものだと思われる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ビシュケクで会った旅人たちB
 
 
情報ノートとは、バックパッカーの集まる所に設置されて いる旅行情報を書きよせたもの。
 
いま、中国は英語以外の第二外国語が大変なブーム である。ひとりっ子政策の教育に対して財を惜しまぬ風 潮も加担しているのだろう。特に、フランス語、ドイツ語、 日本語などが人気である。
 
 
 
キルギス北東の山岳地帯にあるイシククリ湖は、キル ギスの宝と称される美しい湖。夏にはかっこうの避暑地 となるが、かの西遊記の三蔵法師は冬でも凍りつかな い様を見て『熱海』と漢訳した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トリプルルームは少ないし、機動力が落ちるため、3人 旅は効率が落ちる。4人であればタクシーなどのチャー ターがしやすいし2人ごとに分かれることもできるので、 効率は良い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ビシュケクで会った旅人たちC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロシア化が激しいキルギスにおいては、首都では日常 的にロシア語が話されているが、地方では現地のキル ギス語が主流である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
mixiとはインターネット上で自らのプロフィールを公開し、 気の合う仲間と共同社会を構成する、日本最大の交流 ウェブサイト。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五話 ビシュケクで会った旅人たちD
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エミについては、シルクロード篇の第二章第五話『ウル ムチで会った旅人たち』を参照のこと。自身の結婚式を すっぽかして旅に出た妙齢の美女。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 オレとミユキとコータロー
@    
 味の旅行ブログの書籍化を夢見る、経理屋。ミユキとコータローは、そんなオレとかつ て旅先で道連れ、いまも連絡を取り合っている『旅仲間』だ。
 
 ミユキは今年で23歳になる。地元の埼玉でタイ古式マッサージの修行中、いわばマッシャ ーのたまごである。毎日の筋肉痛はつらいけれど、指の変形が少しばかり誇らしい。
 
 したいことがなかったミユキは、就職活動をしないまま大学を卒業した。もともと海外旅行 は好きだったので、卒業後は宛てなく単身アジアに飛び出した。そこで出会ったのが、タイ 古式マッサージである。タイ古式マッサージは、肉体と重力を駆使した、組み体操のような 施術が特徴的だ。
 
 家庭の面目と年齢のプレッシャーの中で、目移りするほどに溢れる選択肢から、彼女が見 出した道である。向き合うことで癒すこと、そして自立。
 
 「なんの取り柄もないわたしだけど、言われてうれしいのは『癒し系』っていうほめ言葉。体 一つで相手と向き合い、癒しを施すこのスタイルに、ピピッときたの。」
ミユキ(架空の人物)
 32歳のコータローは、中国のダーリェン(大連)で日本語を教える、いわゆる外国人講師で ある。大連住まいはかれこれ7年。中国の経済成長はめまぐるしい。ひとりっ子政策も相まっ て、教育につぎ込む資本も半端ではない。英語はもちろんのこと、第二外国語である日本語 やドイツ語の学習が目下盛んである。
 
 日本の大学を卒業してから自費で留学した中国。コータローは最初、滞在費を稼ぐための アルバイトのつもりだった。学校の掲示板に張られていた講師募集のチラシに応募し、なん となく日本語を教え始めた。
 
 だが、言葉を教える過程で感じ取ったこと、それは、外国語は新しい社会生活の日用品と いうことだった。コータローはいま、中国語よりもむしろ日本語の習得に力を入れている。そ の動機はプロ意識に他ならない。
コータロー(架空の人物)
 オレが彼らと出会ったのは、キルギスという国である。中国の西に隣接した山岳地帯と草 原の小さな国だった。日本で生活していたら、巡り合わなかっただろう……
 A   
 人になると個性が浮き立つのか、それとも個性が強いから旅人になるのか。
 
 キルギスの首都ビシュケクにある、バックパッカーが集まる安宿のサロンにやってきたミユ キはそう言った。だらしなく語尾が間延びする若い人特有の話し方だった。
 
 そのルックスと、若々しさに、おのずと男性陣のテンションは上がるらしい。この辺りをひと りで旅している30前のお兄様方は、一見マト外れとも思える舌足らずの発言を拾って「う〜 ん、そうだよねぇ…。あ、いいよ、いいんだよぉ?」なんて、つられたように間延びした猫なで 声を出す。ミユキはバカではない。そんな掛け合いをも楽しんでいるようだ。KY(空気読めな い)とかけて、これをAKY(敢えて空気を読まない)と、表現するらしい。
バックパッカーたちが情報交換をするサロン別室(ドミトリーの共同ベッド)
 サロンで廻されるメリーゴーラウンドを尻目に、コータローは別室にこもって黙々と旅行ガイ ドを読み漁っていた。あまり話題に興味がない。「調べものなら、サロンにたくさん人がいる から、質問のチャンスですよ?」「あ〜、いいのいいの。聞くほどのことじゃないんだ。旅行ガ イドも持たずにここまで来ちゃって、ホントなんもわからないだけだから。」
 
 「へぇ〜、珍しいですね。」と返すと、コータローは察したように釈明した。「あ、いや別に、 逃避行とか放浪の旅とかじゃなくて、ただの観光旅行だよ?ボクね、学校勤めなんだけど、 今年の夏休みが急にズレちゃってさ。特にやることもないから遠出しようと思っていたら、い つのまにかロシア語圏まで来ちゃって。どうせなら、ウズベキスタンのサマルカンドまで行こ うと思っているんだよ。」
サマルカンドのレギスタン広場
 これは意外。流行りで表現するなら草食系男子で、人付き合いは苦手そうだけれど、この 行動力と、相手の気持ちを酌み取り合わせようとするサービス精神は見事だ。さっき聞いた 話ではないけれど、この旅人も何か、光る。
 
 コータローはオレと馬が合った。自分のペースで闊歩するオレの性格と、一歩引いて相手 の出方を見極め、合わせることが自然にできる彼の性格は、噛み合っていた。双方の振る 舞いが運よくマッチしただけではない。双方の気遣いが息苦しくない範囲に収まる、いわゆ る天然の相性なのだと思う。彼とは行動を共にすることが多かった。
 
 今の宿が手狭になったコータローとオレは、町はずれにある日本人宿に拠点を変えた。タ イミングだったのか、宿にはオレとコータロー、そして、その日の夕方に偶然宿に流れてきた ミユキの3人しかいない。最初オレはミユキという娘が苦手だったのだが、3人しかいないの であれば、妙な連帯感はあった。食事どきには3人で卓を囲み、外出をすれば3人で留守を 回す。
 
 「ミユキちゃんも、夕食シェアする?」と、聞くと、まず彼女は喜んだ。そして、「ソーセージは アタシいらないから、2人で分けて。」「じゃぁ、ハムとかにしようか。」「ううん、ごめんね。肉 は全般的にダメなんだ。」「あぁ、ベジタリアンか。味付けに使うコンソメもダメなんだっけ?」 「……できれば。」
生野菜とチーズのサラダ。チーズ入りトマトパスタ。
 彼女は思想的ベジタリアンだ。日本では『好き嫌い』に位置づけられるだろう。遠慮がち に、でも我慢せず、伝える労力を惜しまない娘だと思った。コータローにはかると、「ミユキち ゃん、いい娘だよね」と絶賛する。
 
 キルギス南部の町オシュに向かうと言うと、残りの2人も方向が同じだという。3人の旅 は、自然と始まっていた。
   B  
 しい山脈に隔たれたオシュは、キルギスの南の首都と称される。近年アスファルトも敷 かれ、ビシュケクから自動車でたった1日。だが、悪路と寒暖の差で、道程短しとは言えな い。車中の会話は、はからずも道連れ3人の探り合いの時間だった。
ビシュケク・オシュ街道
 オシュ着くと、3人で部屋をとって、思い思いに滞在を楽しんだ。道連れがうまくいくかどう かの分かれ目は、自分で決めて行動を共にしたという意識があるか否かだろう。
 
 ところで、オレにはミユキのワガママにときおりストレスを感じる。ワガママではなく、自己 主張の伝え方の『幼さ』に対して、なのかもしれない。つまり、こうだ。
 
 ミユキは前述したとおり、思想的ベジタリアンである。中央アジアではベジタリアンという考 えがそもそもない。したがって、「肉は食べない」と言われたら、料理から肉片を取り去るとい う発想しかわかないのだ。
オシュの大衆食堂
 そこで、ミユキは「肉ヤダ、肉イラナイ」と泣きそうな顔をして頼む。「チーズとか卵とかない のぉ?」と、ミユキが懇願すると店員は「卵、いくつですか?」と、聞き返す。こうしたやり取り は、ずっとミユキを悩ませていたらしい。にわかに嫌気を呈して「もうやだぁ、目玉焼きなんて 原始人の料理だよ!なんで野菜炒めとか作ってくれないのぉ?」と、店員を責めるのだ。む ろん、出される料理は結局のところ崩れた目玉焼きと塩だけ……
 
 思想的なギャップを我慢で埋め合わせる必要はない。ミユキと店員の双方を、不憫に思っ た。だけど、なるべくミユキに不快な思いをさせまいと店を選ぶコータローやオレの気遣い、 ましてやミユキと店員のやり取りを眺めるオレやコータローの存在そのものは、きっとミユキ には見えにくいのだろう。
中央アジアの食事の一例
 「中央アジアに来なければ良い」なんて、嫌な気分だ……。言えば解決するような単純な 『間違い』ではなく、経験の差による感性の違い。自らそのうちに気づくことなのだが、ときお りこうしたギャップを感じることもあった。
   C 
 態を犯した。ある日の晩の話である。まだあると思っていたペットボトルの水が切れて しまったのだ。今日はとりわけ良く動いた。軽い脱水症状を覚え始め、コータローの水を分け てもらおうとしたが、コータローのボトルにもひとり分の水しか残っていない。
 
 かろうじて灯りのあるうちに、と宿から少し離れたところにある商店へ、小銭だけを持って出 かけた。暗闇に唸り声が響く。「グゥルルルゥ……。」
発展途上国には野犬がウロウロ
 宿のすぐそばだ。鎖に繋がれていない野犬たちが生ごみをあさっている。黒い中型犬が近 づいてきた。目が合った。「グゥゥッワンワンワンワン!」こういうときは、刺激せず、後ずさり をして、距離をとって、何食わぬ顔で通り過ぎれば良い……、ハズだった!
 
 「ワワワワワン!」距離を詰めてきた犬の歯が、オレのズボンの裾に引っかかった!狂犬 病のワクチンは打ってはいるけれど、噛まれたらいずれにせよ入院だ。一触即発……、逃げ るが勝ち!
 
 宿の階段を駈け上ると、すぐ下でなお吠え続けている犬が見えた。黒だと思っていたけれ ど、実際は黒と茶のまだら模様のようだ。買い物は、無理だ。大汗をかきながら自室に戻る と、コータローとミユキが「水買えた?」と、心配そうに迎えてくれる。事情を話すとコータロー は「ボク、動物には好かれるから買ってきてあげようか?」
 
 ミユキとオレは必死に止めた。犬はもとより、悪漢の類いが心配である。ましてや彼はリス クを求める必要性がまったくないのだ。そんなことをされるくらいなら、オレは下水の混じった 水道水を甘んじて飲む。
 
 「いいのに……」と、名残惜しそうに言うコータローも、オレたちの諫言を渋々飲んだ。ひと まず水シャワーを浴びればのどの渇きも多少落ち着くだろう。部屋に戻ると、誰もいない。ち ょうど洗濯を終えて戻ってきたミユキにコータローの行方を聞くと、みるみるうちに、ミユキの 表情はこわばっていった……。
 
 時刻は24時を過ぎた。あまりにも遅すぎる。『眠る街:オシュ』の街灯は絶えて久しい。6 時にバザールは閉鎖され、8時には街灯もまばらになるのだ。やがて宿のブレーカーも落と され暗闇になった。懐中電灯を部屋にともす。一晩くらい水飲まなくたって死にはしない。オ レなんて乾いていりゃよかったんだ。彼にこんなことを言ったオレが、浅はかだった。それか ら30分ほどたって。
 
 「ただいま〜。はい、お水。大きいのは冷えていなかったから、小さいのになっちゃったけ れど、これでいいよね?真っ暗だと星がキレイに見えるねぇ。犬、大丈夫だったよ?ゴミ捨て 場を迂回して大周りに商店まで行ったから、遅くなっちゃった。ごめんね。」
 
 コータローは照れくさそうにオレに水のボトルを差し出した。冷えたボトルは湿気を引き寄せ ビショビショだ。そのしずくが、オレの手を伝った。ミユキは泣きそうな声でコータローをなじっ た。オレの心には、爆発する申し訳なさに包まれた怒りと感謝が、シコリのように沈んでいっ た。
    D
 シュの生活は4日ほどだったが、いま振り返れば、長いようで短かい。
オシュのバザールオシュのバザール
 ミユキもコータローも、オシュの観光を一通り終えたらファルガナ盆地を越境して西のウズ ベキスタンを目指す。オレはこのまま山脈を越えて、南のタジキスタンのパミール高地に入 域する予定だった。
 
 オレが独自に旅の情報収集に奔走する間、ミユキとコータローは可愛い小物や化粧品の ショッピングを楽しむ。「ねぇねぇ、聞いて?コーちゃんったら、まるでお姉ちゃんみたいなんだ よ?」「えー、だってぇ、こういうフェイスクリームって男にも使えるじゃん。いい匂い好きだ し!」また、散歩好きなコータローが遠出をしている間には、オレとミユキが近場のバザール めぐりを楽しんだ。「これか、昨日コータローさんと見つけたという怪しい物体は。店員さんに 使い方を聞いてみなよ?ほら、あの店番の女の子に聞いてごらん?ハハハ。」
仲良く寄り添うミユキとコータロー中国産の怪しい物体
 もちろん3人で行動することも多かった。オシュにはソロモン王の伝説にまつわる山が町の 中心にそびえている。こうした当たり前の観光は3人そろって行かない理由が見当たらな い。歩き疲れたミユキが昼寝をしている間、オレとコータローでオシュ名産のスイカを買いに 出る。3人で割って今晩の夕食にしよう!ひとり旅では楽しめないんだよなぁ……。ミユキは お礼代わりにタイで覚えたというマッサージをしてくれた。タイ語と日本語で書かれたテキス トを見ながら、非力な手で「んしょ、んしょ」と押す。
スレイマン山で地元の巡礼観光客とオシュ中央にそびえるソロモン王のスレイマン山
スイカパーティタイ古式マッサージ本を広げるミユキ
 さて。
 
 情報収集の甲斐あって、オレは欧米人バックパッカーがチャーターしたジープに、明日の早 朝タジクに向けて便乗できることになった。「今日もタジクの情報は得られなかったよ」と、い つも話していたから、ミユキもコータローも「もう、3人でウズベクに行こうよ!」なんて言って いた矢先の話だ。出発は5時半。彼らを起こさないよう前夜のうちからしっかり別れを告げて いたのだけれど、彼らは眠い目をこすりながら、見送りに来てくれた。
 
 「じゃぁ……、元気で。」交わした握手に、コータローの手の熱を感じて思わず力がこもる。 彼は、キュッと握り返した。ミユキに手を差し伸べると、ミユキは手をすりぬけてふところに入 り、抱きついた。彼女の小さな肩をポンと叩き、オレは背を向けた。
 
 それからいく日たったころだろうか。タジキスタンを越え、ようやくウズベキスタン入りを果た したオレは、日本人の集まる安宿で、コータローとミユキのうわさを耳にした。「あー、あの人 たち一緒に行動していたんだ。」「男の人の顔は良く覚えていないけれど、女の子は情報ノ ートに書き込みしていたから覚えているよ。」
 
 オシュからウズベキスタンの道中での安宿情報。日付は、2週間前だから、別れた日の翌 週だ。南京虫に噛まれていかにもかゆそうな表情をしている女の子のイラストが添えられて いた。その時のコータローの心配っぷりや、ミユキの不機嫌っぷりったらきっとなかったろう に。思わずもれる笑顔。彼らと時は違えど、旅の交差を喜ぶ自分がいる。彼らの旅の軌跡が ありありとここで、その場にいて見たかのように思い浮かんだ。情報ノートを、何度も何度も 読み返した。
記念に撮ったプリクラ
 旅の一期一会、日常では実現し得なかったはずの運命的な出会いと別れ。今日も、オレと ミユキとコータローは、それぞれ新たな旅路を、歩んでいる。
第六話 オレとミユキとコータロー@
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 オレとミユキとコータローA
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中央アジア諸国は旧ソ連の国々であり、独立後の現在 も日常的にロシア語がつかわれる。
 
サマルカンドは世界史の教科書でも有名な、ウズベキ スタンの都市。青タイル装飾で美を極めるイスラム建築 が広場にそびえる。『青の都』。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本人宿とは、発展途上国などで日本人バックパッカ ーが集まる宿のこと。最新情報や独特な人間関係があ る。
 
 
 
キッチンのある安宿では多くのバックパッカーが自炊を し、他者と分け合って材料費を負担する『シェア飯』が頻 繁に行われる。
 
著者は料理が好きで、自炊ができるところではたいてい 自炊する。
 
 
 
 
 
ベジタリアンには3種類、インドなどで見られる宗教的な もの、ドクターストップなど健康的なもの、そして、欧米 諸国に多い思想的なものがある。
 
 
 
第六話 オレとミユキとコータローB
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 オレとミユキとコータローC
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
狂犬病の予防接種は感染を予防するものではなく、発 病を猶予するためのもの。接種していても治療しなけれ ばいずれ発病する。この点勘違いされていることが多 い。発病後の生存率は0%
 
 
 
 
 
悪漢とは強盗やチンピラなど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六話 オレとミユキとコータローD
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
紀行エッセイ「バスターミナル」